最後のニュース

 無理に一言にまとめる必要もないのですが、痛みに敏感になりすぎてしまったのかなというのが心当たりです。耐えられるもの、耐えがたきものの分別ができなくなってしまいました。子どもたちの笑顔も、窓辺に差し込む朝陽もとにかく全てが物悲しく、何やら督促されている気分になります。だいぶ先まで熟慮したわけではありませんが、来年の春もきっと私は同類の億劫さと戦ってどうにか言い訳をして繋いでいくのかなと思ったとき、ある程度整頓できてしまいました。


 昔香港にレスリー・チャンという俳優がいました。朝刊を広げていた私は彼がエイプリルフールにホテルから飛び降りたことを知りました。うまいことまとめやがったな――。それが最初の感想でした。マネージャーからの電話に「今から1階に降りていく」と言って24階から飛び降りたことも、何よりエイプリルフールというどんなひどい冗談も許されてしまう日を選んだことに無駄の無さと嫉妬を感じました。

 今から行うことはその模倣ではありませんが、少なくともマジシャンとして舞台に立ってきたことと無縁ではありません。最後まで物語を大事にしたい。わたしはこの日にしようと年明けから準備をしてきました。決して衝動に駆られたわけではありません。旅の計画と同じようにリストを作り、直前になって忘れ物に慌てないように気を付けてきました。

 実は何度もそれによって先延ばしされてきました。もう今夜辺りでいいだろうと涙を拭ったあと、生活のための様々な契約や何かしら思って欲しい人の顔が浮かび、そこを片付けぬうちは納得できませんでした。単純明快に生きたと思ってもらうための処分が、投げやりな気持ちにブレーキを掛けてきました。でもそれらは問題の先送りにこそなったけれど、むしろ次は邪魔させないぞという強い信念になっていきました。1月から計画的に物を捨て、最後に机に並べる印刷物を用意して、ただ春が来るのを待っていました。

 私は鬱ではないですし、待ったなしの絶望を味わったわけでもありません。多少でも麻痺してくれたほうが痛みも少なかったのかも知れません。だからいよいよあと1週間後に迫ったエイプリルフールを前にやや客観的になりつつあり、両足を渦に引き込まれながらもどうにか可能性はないのか細々思ったりします。最後に何を綴るべきか悩みましたが、やはりその辺りのか細い後悔を書いておこうと思います。


 とにかく最大は、ふたりの娘たちのことです。いつだってお菓子を半分に割ってパパに残してくれる優しい子たちです。彼女たちの成長だけが楽しみでした。その子たちに背負いきれない痛みを遺してしまった。どう繕っても、結果的にわたしたちを捨てたと責められたら何も言えません。M、A。ふたりともパパの宝物です。これからパパが見たことないような景色をたくさん見ると思います。その時は個室を予約して閉店まで色々聞かせてほしかったです。

 妻とはとても残念な結果になってしまいました。積もり積もったものもあったでしょうし、不器用な私に腹も立てたでしょう。でもそこまでして娘たちとわたしを切り離す必要があったでしょうか。不貞があったわけでもお金の使い込みやハラスメントがあったわけでもありません。なぜという私の問いにあなたは「外国ではよくあること」「あなたとは性格が違うことに気づいた」では説明になっていません。静かに生きてきただけなのになぜ娘たちを奪われなければならないのか。それでもいつか和解して、また昔のように週末はどこに行こうか相談したかったです。

 いつの間にか老人になっていた両親についても複雑です。もちろん申し訳ない気持ちはありますが、どうして人の顔色ばかり伺う少年に育ててしまったのでしょうか。教育虐待という言葉を知ったとき、偏差値60以下は社会に出てもロクな人間になれないという刷り込みを俯瞰できました。その刷り込み通りわたしは社会に出てからも失敗続きでした。ささいなプライドを捨てることが出来ず、何度人間関係を理由に転職を繰り返してきたことか。そんなはずはないことは分かりきっていますが、子供時代にしかけられた黒魔術が私の自己嫌悪をどんどん深めていきました。親が子供に与えるべきは自信。それだけです。満期になった通帳でも持ち家でもありません。自信さえあれば、誰かの言葉により掛かることなくきっと自立した人間になれます。密閉した風呂場でぐったりしている私を見つけたとき、きっといつものように「馬鹿なヤツだ」と物言わぬ私を見下ろして罵るでしょう。でももっと褒めてほしかった。よく頑張ったと言ってほしかったです。


 果たして44年の中に少しの価値もなかったかといえばそれは嘘になりますが、やはり白よりも黒に近い色がほとんどではないかと思います。たえず誰かからの拍手を期待し、あるいは調子に乗ったあげくに手のひらを返されることに怯えていました。コツコツ積み上げたものの、後になってそのために犠牲にしたものの大きさに傷つきます。どうしてこうも燃費が悪いのか吐き気がします。人のせいにするなと言われても、もう私はそういう次元にいないのです。しばらくはもう一度舞台に立ちたいという想いを秘めていましたが、今は己を奮い立たせて頬を叩く力さえ残っていません。もうとにかくうんざりです。

 でも大丈夫。もうすぐです。あとたった1週間です。いつかけても繋がらない「こころの健康相談ダイヤル」にため息を付くのも辞めます。最後の24時間は長いと思いますが、その日は一人でできる限り美術館を巡り、疲れ果てた体に睡眠薬を与えたいと思います。


アウレリウスの『自省録』第6章に、「死とは感覚を通してくる印象や我々を糸で操る衝動、心の迷い、肉への奉仕などの中止である」とあります。しかしすぐ次に、「君の肉体がこの人生にへこたれないのに、魂のほうが先にへこたれるとは恥ずかしいこと」とあり、思わず声を出して笑ってしまいました。

 道化と疑心に満ちた私の人生にとってエイプリルフールほどふさわしい記念日はありません。最後ぐらいエンターテイナーとしての意地を許してください。


さようなら、みなさん



マジシャン アスカ・ジョ―こと齋藤貴之

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る