雨の根津権現にて

 千駄木三丁目の交差点を閉ざす細い雨の隙間を赤い傘がひとつ過ぎていく。この寒さは雨のせいか、それとも秋深まる空気のせいか。バーに吊るされた琥珀色の大きなランプの光が、隣の席に注がれたボジョレーの底に沈む。


「――何か書いたら?」


 声に俯いたまま、私は窓に沈む降り止まない交差点にふたたび顔を背ける。

 ”その節は大変ご心配をおかけしまして”という行儀のよさだけならばと筆が鈍る。エイプリルフールの嘘をいまだに眺め透かし、何かしらの色形を発見しようと二杯目のソーダ水を注ぎ足す。



 短期間に多くを失った。

 仕事、信頼、そして家族――。ひとりぼっちの夕べを古びたバーのカウンターで占いながら、「ただ在る」というだけの日々の欠片を想う。

 確かにすべては時が忘れさせてくれた。右腕に残った醜い火傷の跡も寅のような模様になって塞がった。一酸化炭素中毒でイカれちまった脳の霞は晴れ、周囲の世話のおかげでふたたびネクタイを締めて出かける日々が戻った。そして、あれだけ執着した父親としての日々も街角からかすれていった。

 今に至っては命を畳もうとした刹那について「そりゃあれだな。洗濯物をたたむようなもんだったさ」と後輩に語り、旅をしてきた者のように「だから思い詰めちゃいけないよ」と聞かせていい気になっている。


 しかしそうした全てについて、私はどこかで「むかしあるところに ひとりの愚か者がいたそうな」というのんびりとした客観を感じている。これは本来の自分ではない。いずれは太宰のように「あれは道化さ」と批評される部類のものだ。生きているなら幸せを向いていなければならない。ただそうした妄想から脱却できず、道化の提灯をぶら下げてどうにかお祭り気分を盛り上げているだけなのだ、と――。


 オレの看脚下はこんな薄っぺらいバラエティーなのか。

 そんな想いを夏に『自殺と希望列車』という短編にまとめ、文藝春秋の文學新人賞に送った。何があったのか、何故こうなったのか、その後どうなったか――。その赤裸々な6万字に評価が与えられるとは思えないが、とりあえず来春発売の文學界までは発表は控えたい。

 私は私を語ることでしか書けない。個性的な主人公に現代社会のアンチテーゼを語らせることも、器用に異世界へ転生することもできない。恋愛を綴らせれば最後にはフェティッシュな自分を暴露する。

 

「小説を書くというのは、日本橋のまんなかで素っ裸で仰向けに寝るようなものなんだ。自分をいい子にみせようなんて気持ちは捨てなくちゃ」

『回想 太宰治』(野原一夫著)より


 どうやら太宰のそれは漫画家岡本一平が元ネタらしく、その妻で画家岡本太郎の母でもある岡本かの子もなかなかの脱ぎっぷりを残している。


「体の中から何かがあふれて来てじっとしていられないの。裸で夜中の街へ飛び出すかもしれないわ。体をぎゅっと縛るような気で鉛筆をとるの」

『かの子の記』(岡本一平著)より


 我ら生ぬるくなった皮膚の供託者。時代錯誤の不器用さを語り、できれば喜劇として捉えてほしいという渇望を細い指先でカリカリと削る。開き直らず、共鳴するでもなく、私の中を流れる激情が誰かしらの慰めになるのなら、私は下も隠さず日本橋のまんなかで素っ裸になれる。



 雨の根津権現から流れ着いた千駄木のバーに、マイルズ・デイヴィスの古いレコードが回されている。交差点を包む冷たい雨に通うものはもう見当たらない。だがそこに誰と誰を交差させるか、私には見えるものがある。誰に捧げるでもない歌と赤ワインが11時を告げる。

 そろそろ帰ろう。私にはまだやることがある。


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