ダイバーシティ

 朝井リョウ『正欲』読了の余韻に浸る。

 直木賞受賞作『何者』や『桐島、部活やめるってよ』など線の内側・外側の人間を描いてきた著者の作品は常に繊細かつ自由な深さがある。筆力というが、著者のそれは「筆」というよりも「彫刻刀」だ。ありふれた日常の中で見過ごされていく感情を写真以上のリアリティで切り取ってくる。それも恐ろしく深い場所のそれをだ。

 本作『正欲』のテーマについて「性的マイノリティのお話」と一言で片付けてしまうのは少しイージーだ。「普通」と「普通じゃない」の境界線に著者が設置したカメラには、どうにか理解して救ってあげたい側と、言葉を尽くしても理解されないと拒絶する側の螺旋が様々な色を放って映し出されていた。


<――自分が想像できる”多様性”だけ礼賛して、秩序整えた気になってさ。”私は理解者です”みたいな顔で近づいてくる奴が一番ムカつくんだよ。自分に正直に生きたいとかこっちは思ってないから、そもそも(本文より)>


<差別はダメ!でも小児性愛者は隔離されてほしいし、倫理的にアウトな言動をした人も社会的に消えるべき。「理解があります」って何だよ!お前らが理解したってしなくったって、俺は変わらずここにいるんだよ(本文より)>


 多様性とか理解とかつい興味を引くワードに持っていかれそうになるが、あくまで本作が掲げているのは、この世界を覆う「普通」についての素朴な疑問であって、決して差別に対する問題提起ではない。



 奇しくも一年前の今日のことだが、会社の創業記念イベントで豊洲のBBQ会場にいた。都会人のためのスタイリッシュなBBQスペースで、少し離れた席には歌手の倖田來未がプライベートで来ており、ピンぼけした隠し撮りの餌食になっていた。


 同じ頃、会社に”人見知り”を自称する人事担当者が入社した。彼女が社内掲示板にアップしたプロフによれば、「わたしは内気であまり自分から声をかけることができない性格で、」とあり、人事担当者としての資質は大丈夫かと話題になった。

 その後社内挨拶も兼ね個別面談が行われたが、なぜか彼女は「わたしは結婚したい相手ができたので転職しました」と面談した一人ひとりに伝えたのである。それを聞いた女性たちは「だから何?」と眉をひそめ、男たちは「いきなりのディフェンスですか?」と囁きあった。残念ながら彼女のそうした独特なスタイルは、個性として見過ごされることなく、明らかに失敗したデビュー戦としてみんなに記憶されることとなった。


 話を豊洲のBBQ会場に戻す。

 わたしは中心の話題からあぶれた誰かに興味のない自分語りを聞かせられるのを恐れ、そっと輪の中心から外れてひとりで空いた紙皿などの片付けなどをしていた。そこへ同じくソファ席に居心地の悪さを感じたのか、あの人見知り人事担当の彼女が私の生息領域に迷い込んできたのである。個別面談以後特に言葉をかわすこともなかったが、「そういえば結婚式の日取りとか決まったんですか?」と声をかけた。

 彼女はふと手を止め、ちょっとだけ後ろに下がって声を潜めた。


「…まぁ隠すつもりは全然ないんですけど、実は相手は同性でしてね」


 彼女は困ったような恥ずかしいようなの表情でいきなりカミングアウトしてきたのである。その時の自分の無様を思い出すと、今でも辛くなってしまう。


「ああ、そうなんですね。でも今はそういうの理解される時代だから」だって!。



 朝井リョウ氏の『正欲』が、いまだに食道あたりで引っ掛かっているのはそういう経緯を経てである。 


<――自分が想像できる”多様性”だけ礼賛して、秩序整えた気になってさ。”私は理解者です”みたいな顔で近づいてくる奴が一番ムカつくんだよ>


 彼女の内心はともかく「そう言ってもらえて嬉しいです」と笑顔で返してくれたが、本作を読み進めるうちに何度も彼女に大声で罵倒されているような気持ちになってしまった。

 BBQ直後、LGBTについてyoutubeで知識を漁ったり、迂闊な言葉は選べないのだと知ったが、それは彼女に寄り添いたいからというよりも、どう言葉を返すべきだったかという懺悔からだった。

 私は多くと同じように鈍い反応しか返せないし、もちろん差別など持ち合わせていない。あの時もたいした深さから出た言葉ではなく、「何かあればいつでも話は聞くよ」と同じ職場の仲間としての連帯感を示しただけである。

 しかしよくよく自分の発言を分解してみると、「今は理解される時代だから」と無自覚に一段高いところから見ていなかったかとチクチクする。



<――ほっといてくれとか言うけどさ、そんなのそっちの勝手な論理だから。あんたがどんな性癖かしらないし、迷惑かけないようにしてきたつもりかもしれないけど。教えてよ!話してよ!何なの?俺らの気持ちわかるかよとか言って閉ざしてさ!(本文より)>


 容姿コンプレックスを持つ女子大生が、憧れを抱いていたダンスサークルの男の子に喰ってかかるラスト――。

 知りたいものはいつでも知れる時代なんかじゃないのだ。私たちは知りたいものだけを選んでいるだけで、誠意だとか寄り添う気持ちだけで吸収しきれない世界がたくさんある。私たちの境界線ボーダーとはそれぐらい曖昧模糊としていることに改めて気付かせてくれる作品となった。

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