リモートワークの限界

 ”時間貯蓄銀行”から来たという灰色の男たちが、時間をお預けいただけると命を倍にしてお返ししますと触れ回る。やがて街は、時間に追いかけ回される大人たちにあふれ、老母は施設へ、子どもたちは知識だけを詰め込む学校へ収容。

 盗まれていく時間を取り戻すべく、捨てられた円形劇場で暮らすモモは、時間を司るマスター・ホラを探す冒険に繰り出す――。

 ミヒャエル・エンデ『モモ』(1974)は児童文学作品として扱われてきたが、近年「大人こそ読むべき一冊」として紹介されている。



 首都圏では、4月後半からコロナ感染者がふたたび急増しており、久々のマスクなしの大型連休に暗雲がかかり始めている。

 コロナによって、隅々まで意識が変わった。折しもITインフラが仕上がっていたこともあり、今やリモートワークにおけるITリテラシーは、エクセル・ワードに次ぐ必須と言っていい。

 合理性への追求は続く。会話形AIとして注目されているChatGPTを使ってみた。なるほど私が編むクセ強めの文章より、よほど秀麗である。

 ウォートン校MBA中間試験を1分足らずで高得点突破した驚異に、各国政府は規制に乗り出している。しかし運用ガイドラインも時間の問題であろう。やがてはChatGPTで求めた回答を前提に、自らの考察を付記させる宿題がやってくるだろう。

 そうした流れとは逆行する形で、今ミヒャエル・エンデの『モモ』が注目されている辺りに、我々の大好物である「合理性」の限界を見て取れる。

 とりあえず近頃鼻についてならない”リモート管理職殿”をやり玉に挙げたい。


 私は彼がこしらえてくるマーケティング用語だらけの事業計画書に頭痛がしている。先のChatGPTに撃破されたMBAを持っているそうだが、”ユニットミッション”だの”ブランドエクイティ”だの、こちらの機嫌が悪いときは「バカにしているのか?」と破り捨てたくなることがある。

 さらに面白くないと言えば、彼は基本的に川口のタワマンから出勤することなく、現場を預かる我々にあれこれと報告だけを求めていることだ。

 出社率は代取や副社長より低い。一応罪意識はあるらしく、「申し訳ないと思っているがまだ子供が小さくて」とWEB会議で頭を下げていたが、それにムッとした者が「ウチにも小さい子供がいるんでね」と返していた。


 問題は、現場が彼を責任者として認めていないことである。

 彼は報告業務のための時間を圧縮し、クラウド上のスプレッドシートで定点観測することで着地見込みから応対時間まで把握している。

 しかし、Slackで送りつけてくるパワポ資料の数%も理解されないのは、ひとえに彼に対する周りの興味の低さである。その横文字だらけのレポートを見ると笑いが止まらなくなるので私も読まない。



 関係なさそうだが、関係ありそうな話しを付け足す。

 よく「マジシャンはどんなマジックでもタネがわかるか?」と聞かれるが、これは映像かライブかで違ってくる。

 マジシャンとは、的確なタイミングで観客に質問や会話を投げることによって、手元の作業の存在感をゼロフラットにすることを目指している。急に早口になったり肩がブレることなく、視線と心理を自在にコントロールできてこそのプロだ。

 ライブで完全に引っかかったものを後日youtubeで見つけ、「ああ、そういうことか」と合点することもある。不自然な手元を覆い隠すための「会話」が取り去られると、マジシャンの致死率は高い。


 つまり会話がOFFにできる状況は、それだけ批判的アプローチを容易にさせるのである。私は都度この話を引用し、コミュニケーションの大切さを説いてきた。

 世の中がこれだけ批判と論評に満ちあふれているのは、我々がメディアという非参加型の映像のみで見渡すことができるからである。その現場にいた人間にしか分からない部分を除外することで、冷静な”種明かし”に没入できる。

 職場や家庭でも同じことがいえる。会話のない相手について批判的になるのはそういう理屈であって、逆に相手もこちらの取るに足らないミスに虫眼鏡を当てている可能性が高い。ミスをカバーするために会話をしようというのではない。批判的アプローチに満ちた日常から解放されよう、と言っているのだ。



 件の「ミスター・リモート管理者」について、私もいささか感情的になっているが、やはり「もう少し出社されては?」というアドバイスは変わらない。いかにご立派でスタイリッシュなパワポ資料を配ろうと、それを読むのは人間だからだ。ちょっとした用語の誤りやデータの引用ミスも含め、我々は採点者にこそなれど共有者にはなれない。


 「孤掌鳴らし難し」は、”一人では生きていけないよ”という戒めのために使われるが、「人間は愚であり、すなわち法で縛り上げねばならない」という説を採る『韓非子』が出典であることは興味深い。

 特に組織は、一度決定されたやり方について見直されることが稀である。しかしそろそろリモートワークによって浸透したものを見直すべきではないか。


 満員電車はイヤだ。ZOOMでいいじゃないか。

 わかる。わかるが、合理主義で管理される側にもなってほしい。みんなそれを乗り越えて、「今日も電車混んでてさ」というやり取りから一日をはじめているのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る