テロリストN澤の鳩時計

 神保町駅を出て竹橋方面に歩き、学士会館の角をひとつ入ったところにオシャレなビジネスタワーがある。現在はテラススクエアと名前を変えた、博報堂旧本社跡地である。

 通勤で三田線を使っていることもあり、仕事帰りだけでなく、休日もわざわざ定期券とノートパソコンを持ってここの1階のPRONTOに通っている。雰囲気がいい。氷で薄くなったブラッドオレンジジュースを置いたまま、キーボードをパチパチやっているのがいたら、たぶんそれは私である。

 執筆するための場所を都内にいくつも持っており、ここ神保町だけでも3か所は挙げられる。この歴史の詰まった街が好きだ。それに本の街・神保町で執筆をしているというだけでも仄かな高揚を感じるものだ。



 ところで、神保町といえば思い出すことがある。今から10年近く前の同窓会での出来事だ。

 N澤は中学1年の春休みに家族でオーストラリアに移住したのでそれほど深い思い出はない。「いやぁ、まさかクラスメートからマジシャンが出るとは思わなかったよ!」。SNSで俺を見つけたらしい。その後Facebookやmixiで当時のクラスメートをたくさん発掘していた彼の発案で、5月の連休明けに同窓会を開くことになった。場所は神保町。N澤が経営しているドイツ料理屋が会場となった。

 N澤は、本場ドイツから鳩時計を輸入販売をする会社を立ち上げていた。三省堂書店にほど近い雑居ビルの1階で、ドイツビールとソーセージを取り揃えたスタンディングバーを開いていた(すでに閉店)。もちろん壁一面には、商品でもある鳩時計がぎっしりと飾られており、からくり時計のカタンコトンという時を刻む音を聞きながら、仕事帰りが一杯だけ引っかけていくような店だった。


 30人は集まらなかったと思うが、ママになったクラスメートが連れてきた子どもたちでパーティーは膨れ上がった。マジシャンはその子たちの真ん中に居場所を見つけ、鬼ごっこをしてはしゃいでいた。

 はじまって2時間ぐらいした頃、「みんな、こっちに来てよ!」とN澤が声をかけて回った。「今日はマジシャンも来ているけど、僕もハトを出せるんだよ!」。多少呂律が怪しくなり始めていたが、ようするに壁に掛けてある商品を一斉に鳴らすから見てろ、というのである。


 「あのさぁ、こういうのって夜中もカタコトうるさいんでしょ?こんなの家にあったらフツー寝れないよね」。同級生というのは遠慮がない。学窓から20年経ち、外では肩書で呼ばれるようになっても、相変わらずケンちゃん、アッちゃんなのだ。ましてや20年ぶりの同窓会である。こんなところで取引先に配る名刺をちらつかせる方が野暮というものだ。あわよくばこの機会に1台でも売れたらというN澤の野望は、同級生からの遠慮ない品評によって完全につぶされた。

 N澤は壁一面の鳩時計の前に立つと、マジシャンの真似をして、うやうやしく酔客どもにお辞儀をした。前述のように、N澤との思い出は、1年生の合唱コンクールが最後である。集まったそれぞれは、その後の部活やクソ担任の思い出話しで盛り上がっていたが、N澤には空いたジョッキを片付けるぐらいしかポジションがなかった。そのすべてを巻き返さんという想いもあったのかもしれない。N澤は今宵とっておきの演出として、20時になったら壁一面の鳩時計が一斉に魔法で動き出すというテロを仕掛けたのである。


 俺を含めた暇な数人が19時58分ぐらいから壁の前に集まった。ぼんやりと口を開け、異様な壁とその前で胸を張ったN澤を眺めていた。そして8時になった。その瞬間、壁に掛けてある20数台が一斉におしゃべりを始めたのである。チンチン、カンカン凄まじい呪いである。もはや興味をそそるような光景ではなく、重度の薬物乱用者が見るような地獄絵図だった。

 持ち込んだワインを開けていた連中からは「うるせぇぞ、N澤!」と怒号が飛び、うんざりした女子たちも「もうわかったよ、N澤君!」と彼のワンマンショーに中指を立てた。

 クルクル回る木彫りのお姫様や兵隊の行進に囲まれたN澤だったが、とうとう幼稚園児にまで見捨てられた。誰かが「…コレ見せるためにこの店だったってオチ?N澤ってやっぱり中1の時からウザかったね」とささやいた。テロリストN澤は、8回目の鐘を鳴り終わった鳩時計を見上げ、「やっぱいいわぁ、不思議だわぁ」とひとり不敵な笑みを浮かべていた…。



 現在、新作に取り掛かっている。可愛らしい女性マジシャンを主人公にしたありきたりの展開だが、芸人として見てきた世界を深堀していきたい。

 マジシャンとして、”人を喜ばすとは何か”について取り組んできた。それはおそらく恋愛よりも奥深く、また広漠なテーマだ。だからこそ物語があり、そこに喜劇がある。そう信じ、温め続けてきたものを編んでいる。

 

 結局のところN澤の引き起こしたテロ事件は、彼自身を喜ばすためのものだった。以降同窓会は開催されていないが、一部のアングラの間で「N澤鳩時計テロ事件」として語りつがれているという。

 ”独善”と切り捨てられるサプライズほど悲しいものはない。「これは絶対喜んでもらえるはずだ!」という期待。ところが実社会では、相手の大人対応によって救われていることが多い。

 しかし、それのどこが悪いのだ。多少意地悪く描いてみたが、物語を構成するものとは、このようなありふれたボタンの掛け違いにこそある。

 乾杯、テロリストN澤!。人を喜ばすことがいかに難しいかという君のライブショーを俺は忘れない。

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