着陸

 ある親類の死が話題になっている。享年93歳。最後の数カ月は闘病生活だったが、ほぼ大往生と言っていい。

 私にとっては遠い叔父であり、経済紙などでその名を見る以外、声を交わした記憶もほとんどない。マジシャンとしてプロデビューした頃、成人祝いもかねて100万円をいただいた時は困った。半分は何らかで返せと教わってきたが、さすがに桁が違いすぎる。怖くなり、親同伴で特級の洋酒を下げてお礼に伺ったが、秘書の方がご対応され直接ご挨拶することは叶わなかった。


 そんな叔父の莫大な遺産をめぐり、壮絶な遺産相続が勃発している。昭和一代記を打ち立てた叔父だけに、非嫡出子だけでも3人いる。まだご健在の会長婦人を持ち上げる長男、亡き会長に代わりホールディングスの舵取りをしてきた次男、前妻との間にできた長女など登場人物だけでもなかなか賑やかだが、さらに会長個人の債権者や銀行など、サマリーだけでも劇場版サイズである。

 我が家は遠縁であり、当然相続権などかすりもしない。よって、おしゃべり好きの親類から入ってくる戦況を冷ややかな気持ちで聞いているだけである。それにしても、持ちすぎることもまた不幸である。第一、残された者がかわいそうだ。

 病室で管につながれた叔父を囲み、いよいよ今日か明日かという時に、「貴様にだけは喪主はやらせねぇ!」とそれぞれが勝手に葬儀社に見積もりを取った結果、「葬式のダブルブッキング」という珍事件が発生した。


 我が家からはウチの江戸っ子親父だけがご焼香にうかがった。

「そりゃもう大変な騒ぎだったぜ。婆さん(故会長の正妻)も揉みくちゃにされちゃってさぁ。ったく可哀そうっだってんだい!」


 四十九日開けからは、舞台はいよいよ裁判所へと移った。「しゃらくせぇからジャンケンで決めりゃいいじゃねぇか!」とウチの江戸っ子は小学生レベルの解決の仕方をあちこちで触れ回っている。知能指数を疑われるからやめよとたしなめているが、こちらも言うことを聞かない。

 結局カネなのだが、それ以前にお互い積年の恨みを晴らさんと、もはやどちらかが死滅するまで続きそうである。関係ない我々にはちょうどいいバラエティになっているが、目も当てられない地獄絵図である。



 ジャンボジェット機の着陸時における衝撃シミュレーションは興味深い。大雑把に言えば、飛行機の重量のほとんどは燃料であり、着陸時の衝撃G計算において最も考慮しなければならないのは、機内に積み込んだ液化燃料の残量だ。着陸Gを上回る量の液化燃料を積んでいると、着陸時のスピードや機体の重さに耐えかね、いわば燃料の重さによる内臓破裂を引き起こす。

 よって一度離陸した後は、たとえなんらかの機械トラブルに見舞われたとしてもすぐには緊急着陸できないのである。2時間程度上空を旋回しながら積み込んだ燃料をせっせと気化させ、着陸に耐えうる量までダイエットする必要がある。スウェーデンの環境保護活動家の少女が「飛行機にはぜったい乗らない」といっているのはこういう理由である。



 叔父は明らかに着陸に失敗した。

 長生きしたのはめでたいが、人生の着陸においてあまりにも液化燃料を消化しきれていなかった。カネの問題もそうだが、私的に整理しなければならない関係者間の感情もすべて気化することなくめいっぱい溜め込んでいた。その結果、着陸と共にどうにか保ってきた関係がついに崩壊し、いまや消防車も近づけないほどの大惨事になっている。


 ”寂しい”と惜しまれる名優もいれば、”だがあの人は、”と葬儀会場でヒソヒソ話の対象になってしまう人もいる。その差は何かといえば、やはり「分け与えた量」ではないか。モノだけではなく、相手へ配ってきた気持ちの数もそれ以上に重要である。


 着陸は難しい。軽すぎても、重すぎても事故につながる。

 我が家の江戸っ子は「ウチは貧乏でよかったな!ざまぁみやがれっ!」と相変わらず親類の醜聞にはしゃいでいる。多分に負け惜しみも含まれているが、たしかにこの親父は着陸事故のもとになるようなものは残していない。ありがたいことだ。

 来週は父の日だ。オレなんざ安い焼酎で十分なんだよと日ごろから言っているが、今回は少し高めのいいヤツをくれてやろう。

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