旅へのアクセス
コンファビュレーション・トリックと呼ばれるマジックがある。筋はこうだ。舞台上高いところに透明な箱がチェーンで吊るされている。
「――箱の中には黒い筒が入っているのが見えますか?その中には丸めた模造紙が入っています。何が書かれているのかは後ほどお見せするとして、今からある実験をしてみたいと思います」
マジシャンは舞台から降りゆっくりと客席を歩きながら、無作為に観客を指差して質問をする。
「ではあなたは今から海外旅行に行くとします。行先は何処にしますか?」
「では次にそちらのブルーのシャツの方。旅といえば食事です。今宵は最高のディナーを予約しています。さて、何を注文されましたか?」
「最後の質問です。そこのベージュのカーディガンのご婦人。ステキな思い出にレストランで写真を撮りました。写真の右端には日付が印刷されています。そこには何月何日と書かれていますか?」
仮に、6月20日にニューヨークでピザを食べた、という内容だったとしよう。満足そうに舞台に戻ったマジシャンは、舞台袖に指示を出し、吊るしてあった透明な箱を降ろさせる。アシスタントが運んできたテーブルの上にその箱を置くと、鍵を受け取り、箱はしっかり閉じられていたことを強調する。そしていよいよ箱の中にあった黒い筒を取り出す。
「――実は、今朝ふとひらめいた内容をここに書いてきました」
会場がざわつく中、マジシャンはゆっくりその模造紙を広げて微笑む。
<わたしは ニューヨークのレストランで 本場のピザを食べました。それは 6月20日 のことでした>
アメリカのスターマジシャンデビッド・カッパーフィールドは、舞台上にあったレンガの壁をハンマーで打ち破り、壁に刻まれた予言が出現させた。
見た中で一番ひどかったのは、2011年に名古屋で行われたコンテストで、「ラスベガスで」、「ヘリコプターツアーに乗った後」、「でっかいTボーンステーキを食べ」と続いていたが、最後の最後で致命的なミスが発生した。
「――では最後にそちらのお父さん(80代と思われるご老人)。あなたにとってとても印象深い日付をひとつおっしゃってください」
そのマジシャンは微笑みながらご老人にマイクを向けた。しばらく考え込んだご老人は、やがて向けられたマイクに声を絞った。
「…やはり3月11日ですなぁ。あの日を境に日本は変わってしまった」
慌てたマジシャンは「他に思い出深い日はありませんか?」と多少上ずった声で促したがご老人は頑なだった。
結果、日本が未曽有の震災に襲われたあの日、ベガスででっかいTボーンステーキを喰ってましたという”ひっぱたきたくなるような予言”が完成してしまった。
ご老人は悪くない。マジシャン側の説明とオーディエンス・コントロールの問題である。ちなみにそのマジシャンは海外のテレビ番組にも出演歴のあるベテランだったが、あれはマジック史に記録すべき下品なショーとなった。
巷ではいまだに海外旅行などもってのほかという空気だが、それでもオリンピックは断行するらしい。ともかくもそうした禁欲もあってか、近頃よくこのコンファビュレーション・トリックを演じさせていただいている。
旅といえば、私にはもう一つ売りがある。『ノンストップ・アクション』シリーズである。知らない方のために説明させていただくと、これは私が大学生だった当時の一人旅をまとめた私小説である。おととし秋から昨年末まで約1年半連載を続けた長編小説である。
旅行記といえば、沢木耕太郎の『深夜特急』という金字塔を超える作品は現れていない。他の旅行記も一通り押さえたが、『ノンストップ・アクション』シリーズはいずれにも負けない凄みを持たせることができたと自負している。しばらくは改稿を繰り返しながら、”端くれながら物書き”という構えでいようと思う。
改めて「旅で何を見ようとしてきたのか」という本質的な部分を思う。興味ないものには徹底的に背を向けてきた旅の記録をもとに、この10万字を超える長編小説の主人公に何を背負わせてきたのか。
少なくとも、コンファビュレーション・トリックの予言のような「パリのエッフェル塔」や「ラスベガスのカジノ」といったハイライトではない。この小説を書く上で改めてかざして見たものは、ベッドに寝ころんだ時に見た天井のシミだったり、カフェでコーヒーをすすりながら見た往来の人々の脳内写真である。
旅は一人に限る。その感覚はこれからも変わらないだろう。誰かと旅に出たときの「合理的でならなければ」という強迫観念に追われるのがイヤなのである。盛大に道に迷い、無駄足を楽しみたい。旅に限らずだが、そうした物事の中心から外れたところにこそ、本当に面白いものは存在する。
オリンピック様も控えており、来月からは飲食店も蔓延防止策から解放されるらしい。そこからは自己責任だが、そろそろ自分だけがアクセスできる旅を再開しようではないか。何も遠出だけが旅ではない。歩きなれた近所だとしても、日中と空気の澄んだ早朝では景色も違うものだ。
さて、すがすがしい土曜日。少しでかけるとしよう――。
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