ラスト・ステージ

 いよいよ明後日はという段階で「15分ほど語っていた頂きたい」という電話には狼狽した。

 卒業アルバムの類は捨ててしまう主義なので今回書き出して分かったが、私は平成4年に小学校を卒業したらしい。その母校からマジックショーの依頼がきた。卒業前の全校生徒を集めた記念イベントだという。小学3年生の時、後の最初の師匠であるステージをここで見た原体験が今の私を構成しており、その同じ体育館の舞台に立つことは、テレビ出演など霞んでしまうほどの栄誉である。

 ただし20分以内でという条件以外演目はご自由にとのことだった。ギャラはない。1月に入り会社に有給申請を行い、17年前のコンベンションでグランプリを取った時のVHSテープを起こし、数週間かけて内容を磨いた。ところがあと数日という段階で「そういえばショーのあとのスピーチをお願いするのを忘れてました」という連絡には困惑した。



 1月の冷たい体育館の床に座らされた小学生たちを前に何を語るべきか。「わかりました」と景気よく返してしまった以上責任は逃れられない。浮足立った挙句、私はExcelに「自分年表」を打ち始めた。

 あまりにも暗い。1歳半から重度の小児喘息を背負い、それを精神力で打ち勝たせようとした両親の方針で子供の頃から忙しかった。水泳、合気道、テニスに体操クラブも無慈悲な修行でしかなかく、結局続かなかった。

 その後「体力面で奉公できないのならせめて知的であれ」に変わり、小学1年生の3学期から塾通いが始まった。そういう心労のためか、しばし病院の天井を眺めて過ごした期間を挟んでいる。


 ところがどういうわけか、その「いたいけなさ」が母性をくすぐるのか、ひどくモテた。中学の卒業式にはワイシャツのボタンまで一つずつちぎって渡さなければならないほどの騒ぎだった。しかしクラスメートとの初キスよりも、塾をさぼって夜の公園のベンチで練習したマジックのほうにときめきを覚えた。

 喘息など揮発させるぐらいの日本男児を望んだ両親は、この頃にはとうとう魔の領域に入った。わざわざ私が出かける時を狙ってマジック道具を取り上げ、こっそり水・土の燃えるゴミに混ぜるという手段に出始めたのである。そういう犯罪から身を守るために、私はウソをつき偽装することを覚えた。

 その意味で言えば、私のイリュージョンショーの最初の客は、今年70代になった父と母と言ってもいい。「塾に行く」とカバンを持って出掛けては、夜の公園でユズリハの枯葉を集め、トランプの代わりに消したり出したりする練習をトイレの鏡の前で続けた。通信簿はよく研いだ彫刻刀で表層部のみ切り剥し、名工さながらの作品に仕上げた。その高度な加工技術は今でも道具を仕込む際に活かされている。

 捨てられては代用を自作し、分解しては親に見つからないように分散管理し、組み立て直すを繰り返した結果、高校時代には全国大会でトロフィーを持ち帰るようになった。プロデビューは19歳の夏で、初めての海外コンテストで入賞した。


 これが私の履歴である。出来上がった年表を見て、よく耐えたものだと微笑んでいたが、さて、ぎっしり居並んだ小学生たちを前にマイクを持たなければならないことを思い出した時、まるでドブネズミのような少年時代に深く傷ついた。

 これまで国内外含め幾多のステージに立ってきたが、結局は30分のショー以上に子供たちと共有できるものなど何もなかったことに気付かされた。冷え冷えとした気持ちに打ちひしがれ、果たして持たされたマイクの重さに耐えられるかどうか不安になった。



 2時間ほど昼寝をしたあと、ステキなお姉さん・お兄さんになってくださいと締めくくるのは別の人に譲ろうと腹を決めた。<何でもいいからドンはまりしてやり続けようよ>。そう伝えるほうがよほど俺らしいと至った。


 何事もそうだが、実はマニアックまで潜った方が案外分かり合えるものだ。

 マジックとは観客の興味と理解のバランスが重要である。スマホの時間が削られると考える観客にとっては、まるで無価値な自慢話にしか映らない。しかし、「マジックを演じるとは」という質問に変えた瞬間、そこに深さが生じ、価値のある闇になる。「プレゼンテーションとは」、「説明するとは」、「さりげなさとは」という他の分野に応用できる原理原則が見えてくる。

 すべてにおいて表層的にしか触ってこなかった人は、これを理解し発見することができない。ドンハマりし、「狂」の一字のみでしがみついてきた経験のある人だけが、物事を透き通った目で見ることができる。

 令和4年において、残念ながらそこへ至らせない罠が多すぎる。まずスマホがいけない。youtubeによる疑似体験や10分コンテンツ、そして浅い解説ページにあふれている。付き合い方の問題ではあるが、そこで得た知識が面になることはまずない。

 原理原則とは、分野ごとに存在するものではなく、いくつもの共通項を持ち合わせている。一つを極めそこから別を理解することで、人生はずっと加速するはずだ。



 言い終えた時、先生の拍手にやや遅れて生徒たちの拍手が起こった。首を傾げている子もいれば、「やっと終わったよ」という声も聞こえた。全体を見渡して微笑むと袖に下がった。

 これでいい。これだけいれば一人ぐらいは何か思ってくれるはずだ。その子が次に繋いでくれればいい――。


 私は宣言通り、舞台から去ることにした。

 テレビにも出たし、豪華客船でのショーも成功させた。海外で賞をいただいたこともあるし、会いたかった先輩マジシャンとはだいたい共演できた。

 辞め時を探っていたわけではないが、なんとなく「もういいかな」という気持ちになれた。頼まれれば応えるだろうが、もう十分役割は果たしたはずだ。

 最後の舞台が、「マジシャンになりたい!」と思わせてくれた母校だったことを幸せに思う。これまで応援ありがとうございました!


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