2022年の言い訳
カラスが一羽、軒先のゴミを狙って辺りをうかがっている。
こうして見上げた空を遮る電柱・電線の多さに今さらながら思う。
中学の公民の先生が「電柱なんて地中に埋めちゃえばいいのに」と言っていたのを思い出す。このヒステリーババアが大嫌いだったが、震災時の倒壊リスクを考えるとなるほど一理ある。
タコ足コンセントのように絡み合った黒いケーブルが、電柱から電柱へと波を打って渡っている。それらが変わらぬ毎日を支えているのだが、美観意識のビの字もない、いかにも技術者仕事と言わざるを得ない。地中に埋めるのが大掛かりならば、せめて薄いブルーのケーブルに交換するなどすこしは景観への配慮を検討してもらいたい。
年始につぶやいた動画配信も執筆活動もなせないままの年の瀬である。
とりあえず「忘れていたわけではない」と言い訳をしてみる。いきおい身勝手な弁解を付け足すなら、「とてもそれどころではなかった」というのが本音だ。多少の脱線を許しつつ、2022年を振り返ってみたい。
わたしという人間の欠点は、何でも生真面目に抱え込みすぎることだ。
症状が出たときには既に手遅れと言われている肝臓がんという病気を知った時、密かに<これはオレのことだ>と思ったものだ。「無言の臓器」といえば格好も付くかもしれないが、コミュニケーション下手とバッサリやられても仕方がない。
典型的な獅子座で、陽気で気前がよく、あちこちで責任を背負い込んでいるが、ひと一倍寂しがり屋で独善的なところがいけない。そういう性質上、「ひとに相談できない」という袋小路に自分を追いやってしまいがちだ。結果、己の消化のみを頼りに43年間生きてきた。
「信頼を切り刻まれた」というのはわたしの感想で、相手はこちらの痛みについて露も思うところはないらしい。詳細は避けるが、それはわたしを絶望へと突き落とし、「何のための人生か」という問いに向かわせた。
味方をしてくれる友人に聞いてもらったところで、SNSでの毒吐きと変わらない。恨めし気に相手を睨みつけ、ブツクサと独りをつぶやくことで紛らわせてきた。しかし5月も連休明けになると極度の不眠症とひどい頭痛に悩まされ、その後の心療内科で「適応障害」という診断を受け取ることになった――。
三鷹の太宰治の墓を訪ねた日、はじめて一人で居酒屋に入った。
注文した焼き豆腐や碗などが運ばれると、取り出したスマートフォンに「自殺␣方法」と打ち込んだ。刺しておくが太宰氏とはなんの関連もない。
いくつかページをめくるうちに、孤独死や自殺現場の清掃業を専らとされている方の対談にたどり着いた。
それによると、「家財道具やゴミひとつない部屋」に少なからず出会うという。冷蔵庫や衣類など生活一切がすでに故人によって処分されており、ハンギングした下に自ら敷いたであろうブルーシートのみ遺した逝った人の「責任感が強く、他人に迷惑をかけたくないという性格」に、未だにショックを受けるとあった。
いよいよ手順を探し始めていた自分に気付き、おもわず涙がこぼれた。
預金通帳や各契約類の処分についてノートにまとめたのは前月のことだった。怒りや絶望を絞った書きかけの原稿もあったが、あまりにも貧しく悲惨な結末にたどり着いたため、自ら封印を決めた。
奇術道具を後輩たちに譲ったのも、いままで一度も訪れたことがない祖父の足跡をたどってみたのも、いざ「判断したい」となったときになるべく短時間で決着をつけるためだった。
…来る日も来る日も冷たい川底の砂利をすくう。
そこに一握の砂金でもあれば救われるかもしれない。しかし人生とは、ただひたすら泥をさらう毎日だ。ある日後ろに積みあがった泥砂利の山を振り返り、「それでも頑張った」と微笑む人生に何の意味があるのか…。
人生は長すぎる。モーツァルトの『みじかくも美しく燃え』というピアノ協奏曲にきらめきを感じたのは若さゆえだったのか――。
ともあれ、とても続かないだろうと思っていた年の瀬に立っている。
2022年が気ぜわしく閉じようとしているが、多少でも救われたとは言い難い。しかしこの項を教訓的に締めくくるとすれば、「どうかルーチンワークを持ってほしい」と伝えたい。
わたしの場合、小説『ノンストップ・アクション』シリーズの推敲作業がそれだった。2日に一度のペースで改稿を済ませていかないと年内に走り切ることが出来ない分量である。そのリレースケジュールに追われる形で、全体で約2万5000字のスリム化に達成した。
週末はキッチンに立つ。1週間分の副材を作り、タッパーに詰めるというのが昔からのルーティンだった。それをSNSで上げるという変化を付けたところ、意外にも多くの方が微笑みを返してくれた。その快楽もあって、2023年の構想として「食」をテーマにした作品が胸中にある。またyoutubeチャンネルを立ち上げ、わたしなりのこだわりを並べることにも興味を持ち始めている。
顔を上げて空を見る。
さきほどのカラスはどこかへと渡り、その上には透明な空が広がっていた。
日々の景色も人生も、つまりは視線の問題なのかもしれない。家々をつなぐ見苦しい黒いケーブルも視線の向け方で消すことはできる。それは意識の問題というより、日々のルーティンという終わらないリズムが導いてくれる浄化なのかもしれない。
上を向いて歩こう。涙がこぼれないように――。
皆様にも素敵な新年が訪れますよう!
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