2024の終わりに
「――2024年も色々あったと思います。でもここにいる一人ひとりが来年はWINNERです!」
みなさまの健康とご活躍を祈ってと締めくくると、深々とお辞儀をしてステージを降りた。ロックバンドとロックバンドの間に挟まれた15分間だったが、会場に沸き起こった拍手を見渡して2024年を終えることが出来た。
おかげさまでこの12月だけでも8本の営業をいただいた。ハロウィンあたりから徐々に表舞台に戻り、先は5月の連休までスケジュールが入っている。
今年最後のステージとなったのは、千駄木のBAR「壱八」の年末ライブである。誘ってくれたのは、今宵も刺激的ななサウンドで沸かせた「ゲーマデリック」のドラマーN'GJA氏である。
4月、我々にとって第二会議室になりつつある駒込の鳥貴族で乾杯した。
私の右腕には大げさな包帯が巻かれており、その2週間ほど前の朝、練炭を抱えて浴室で倒れていたところを発見された。
どうにか桜が咲いているうちに帰宅することはできたが、右手の小指と薬指につながった神経に力が戻らず、はからずも生き残ってしまった無様を詫びて回る気力もしばらくは起きなかった。
退院した日に戻ってきたスマホには、N'GJA氏からの着信が何件も入っていた。ようやくご心配をおかけしたお詫びをお伝えできたのは桜も散った後だったが、「本当に無事で良かったよ」と受話器の向こうで声をつまらせてくれたのは彼だけだった。
この店の「山芋の鉄板焼」を紹介してくれたのもN'GJA氏であった。それぞれ一皿ずつ注文していたが、締めに重ねて同じものを一皿ずつお願いした。
「――実はドラムの生徒で千駄木でBARをされている方がいて、その人の年末ライブにゲーマデリックも出ることになったのですが一緒にいかがですか?」
右手の指先のことを忘れて「是非」などと答えてしまったのは、それがN'GJA氏からの励ましだと気付いたからだ。
振り返ってみれば、本当の地獄はむしろ退院してからだった。
2月に大病を患い、なめくじほども前進できない私を置いて子どもたちと出かける妻を恨んだりもした。しかしそれはむしろ生き続ける理由がないことへの確認となり、それ以上に今さら憎しみも後悔も湧いてこなかった。
問題は自殺未遂を起こすまで煮詰まってしまった夫婦の今後だった。マジックも小説もどうでもよくなっていた私が唯一こだわったのは幼い二人の娘たちのことで、それでもどうしても離婚を推し進めたい妻との間ですり減り、退院から数カ月かけて最終的に我々は別居を選択した。
娘たちはここから新幹線で1時間半ほどの場所で妻と暮らしている。形的な区切りはついたが、その後も仕事から疲れて帰ってきても真っ暗な家に慣れるまで大きな痛みが伴った。
今年はよく泣いた。おそらく一生分泣いた。
近所を自転車で走っていても、ふいに無邪気な娘たちのことを思い出して嗚咽が止まらなくなった。仕事中にもふいに我が身の不幸を思い、すべてを投げ出してしまいたい気分に襲われた。
しかしひとしきり泣くことでスッキリすることも学んだ。
モヤがあるときは理性に任せず、遊園地ではしゃぐ娘たちの動画をわざわざ再生し、こめかみが痛くなるまで泣くことにした。泣ききってしまえば、ふたたび足元を見つめて今日を過ごそうという気になれる。そうして痛みを新たな痛みで消す一年を過ごしてきた。
今年最後の舞台を拍手で飾り、シルクハットを乗せたテーブルを楽屋通路に運んでいる時、ふと鼻の奥が熱くなり、吹き抜けた風に涙がちぎれた。
誰もいなくなったテーブルに投げ出したコンビニ弁当のビニールの音や、スマホ越しに「パパ泣かないで」と涙を浮かべる娘たちのやさしい声。そして8ヶ月も先の年末ライブの話を与えてくれたN'GJA氏の友情に、いよいよ私は壁にもたれたまま顔を覆って嗚咽した。
言うことを利かなくなった指先を理由に何度か断ろうと思った。しかし毎日2時間トランプやシルクをさばくうちに、ようやくかつての狂気を指先が取り戻し始めた。そうした労苦が走馬灯のように頭の中を駆け巡り、名前のつけようのない感情が私を激しく乱した。
気の済むまで泣き、冷たい廊下で涙を拭った。
このまま楽屋に戻れば、N'GJA氏の顔を見た途端にまただらしないことになる。火照った顔を冷たい壁に当て、ようやく気持ちの凪がおさまった頃、私は何喰わぬ顔をして楽屋に戻った。
幸いなことに、N'GJA氏は他の共演者とゴキブリの話で白熱していた。
「――僕も以前道でバッタリ出くわして。あ、ゴキブリだと思ってみていたら向こうもこっちと目が合って、」
どうしてそんな話になったのかは知らない。ただ他の共演者も「わたしも名古屋駅で見かけて」と被せるように声を上げ、いかに彼らが不潔で不意を狙う生き物かということで楽しそうに賑わっていた。
とてもではないが、今しがたの楽屋通路での涙話を語り出す雰囲気ではない。私は「ちょっと前をスミマセン」と手刀を切るとそのまま楽屋スペースを通り過ぎた。
そのまま高田馬場を小滝橋方面にゲラゲラ嗤いながら歩いて戻ってきた時には、すでにライブは終了しており、出演者たちはアンプの洪水を外して回っていたり、椅子を積み上げたりし始めていた。でもこれでよかったのだ。
人生は楽天的を好む。やはりオチは笑いが一番いい。
来年はそんな一年にしてみたいものだ。
春光乍泄(雑記コラム) マジシャン・アスカジョー @tsubaki555
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