第40話 戦いの前
ドワーフの集落に戻った三人は、リリーネから聞いた話をローウェンに告げた。以前五人でローウェンの話を聞いたときの部屋を使わせてもらい、皆で小さな机を囲む。クロエの紹介を行いがてら、彼女とセヴェリオの婚姻関係を聞き、ローウェンはふぅむと頷いた。
「実際の実力を見ていないが、今の話だとあのセヴェリオが認めた女性ということか。なるほど、これはあなたにも戦いに参加してもらった方が良さそうだ」
「ええ、もちろんよ。だって私にはもう、彼らに従わなければいけない理由は無いんだもの」
そう言ってクロエが集落の一角に視線を向ける。彼女の目の先には、ドワーフの子供達と転げ回って遊ぶマーシュがいた。
「情報は揃った。さて、そろそろ本格的に作戦を練るぞ。まずはクルス、村の状況はどうだ?」
「うん。僕が見た限りではセヴェリオとジルバは、今別の群れに襲撃をかけようと画策しているみたいだ。場所はここより東側にある別の村だよ。偵察を送り込んで様子見をしているのをよく見かける。僕達の村を拠点にして、より強い戦力にする為に、また群れの入れ換えを考えてるみたいだね」
「群れの入れ換えか……まずいな」
クルスの話を聞いてローウェンが唸る。
「となると、また俺達の仲間が何人か村から追い出されるかもしれないな。追い出された仲間を探してまた新たに編成を組むようじゃ、振り出しに戻ったも同然だ。やつらが他へ襲撃に行く前に、俺達も攻めこむぞ」
「わかった。村の皆にも伝えておくよ」
「ナタリアからも何か聞いているか?」
「うん。彼女からは村の者達が彼ら二人についてどう思っているかの情報を集めてもらったよ。女の子は噂話が得意だからね」
そう言ってクルスがいたずらっぽく笑う。
「セヴェリオとジルバは基本的にお互いしか信用していないみたいだから、どうしても暴力的な支配になってしまう。僕らの仲間は彼らに不信感を抱いている者ばかりだけど、セヴェリオ側の狼達も、彼らに忠誠心を誓っている者は少ない。まぁ群れの入れ換えを繰り返してるから仕方がないことなのかもしれないけどね」
「そうか。なら長を仕留めるなら、やはりジルバをどうにかしないといけないな……いや、逆にジルバだけに焦点を絞れるならまだそこに付け入る隙があるかもしれん。俺が組んだ編成はまだ皆には伝えていないか?」
「うん。そうだね。ローウェンの指示が出てからにしようと思ってる」
「助かるよ。情報が漏れる可能性があるからな、皆に伝えるにはギリギリまで待ってくれ」
ローウェンが顎に手を当てながらあれこれと策略を巡らせる。他の仲間達は皆外で訓練に励んでいる為か、周りにはグレイルとレティリエをはじめとして、レベッカとクルスしかいない。
「次に村へ攻めこむ為の方法を考えたい。クルス、今村の守りはどうなってる?」
「僕達がいた頃は、門は常に開きっぱなしだったけど、セヴェリオ達が来てからは常に閉まってる。門が開くのは狩りに行く時くらいかな。ちょっと森へ出たい時も門を開けてもらうから、人の出入りは常に把握されている感じだ」
「ジルバの思惑だろうな。隙がない」
クルスの言葉を受けてグレイルも呻くように言葉を返す。だが、ローウェンはぶるりと身震いした後、ニヤリと口角をあげた。
「ハッ! 面白ぇ。まさか頭でやりあえる日が来るとはな。ちょっと興奮してきたぜ……」
ローウェンが楽しそうに呟き、指でトントンと机を叩く。
「村の構造を整理するぞ。村の北と東西に出入りの為の門があり、村長の家がある南側に門はない。中に攻めこむとしたら、狩りへ行く時に門が開くタイミングだろうな」
「だが、あの門は狭いだろう? 通れるとしても精々二人が限界だ。村の中にいる狼と鉢合わせになってそこで戦力を大幅に削られる可能性が高いぞ」
「そうなんだよな……ドワーフのやつらに斧でも投げ込んでもらって、怯んだ隙に一息に攻めこむしかないか」
「だが、飛び道具を使うにしても、小柄なドワーフでは門にかなり接近しないと当たらないぞ。その前に狼に噛みつかれれば終わりだ。彼らをあまり危険に晒したくない」
「わかってる。今他の方法を考えてるから待ってくれ」
グレイルが鋭く指摘すると、ローウェンはううむと唸りながら考え込んだ。
「門が開いた瞬間に……敵の狼を門から引き離す方法が……何かきっとあるはずだ」
「飛び道具が必要なのかい?」
凛とした声が響いた。と同時に花のような香りがふわりと鼻をくすぐる。顔をあげると、部屋の出入り口の壁にもたれ掛かるようにしてフェルナンドがこちらを向いていた。彼はあれ以来、狼達の様子を見にちょくちょく集落へ遊びに来ているのだ。
「ふふ。飛び道具が必要なら、ここは僕達エルフの出番かな。特定の場所に矢を打ち込むなんて、僕には朝飯前だよ」
「弓矢……なるほど。その手があったか」
フェルナンドの言葉にグレイルが合点する。弓矢を見たことがないローウェンにグレイルが簡単に説明をすると、ローウェンの顔が輝いた。
「なるほど。かなり遠距離から攻撃できる武器なんだな。これは使えるぞ」
「おや、僕も狼くん達の役に立てそうかい? ふふ、嬉しいな」
「おいおい、水クセェじゃねぇの。俺らにもその話を聞かせてくれないか?」
フェルナンドがクスクスと笑うと、足元から声が聞こえた。見ると、狼の会合に混ざるエルフを不思議に思ったのか、ギークが出入り口からひょこりと顔を出していた。
「エルフの野郎は参加できるのに、俺達は参加させてもらえないんだって? そんな悲しい話があるかよ」
「いえ……あなた方には沢山お世話になりましたので。これ以上ご迷惑はかけられません」
「何言ってんだ。俺達、一度戦った仲だろう? この群れの武器は他種族の協力も得られるところだ。活用しないでどうする」
恐縮するローウェンの肩をギークがバンバンと叩く。小柄なわりに力の強いドワーフの激励に、ローウェンは一瞬痛そうな顔をしたが、やがて深々と頭を下げた。
「実はあなた方の協力を得られれば、と思っていました。改めてこちらからもお願いできますか?」
「もちろんいいぜ。マルタも了承済みだ」
「ありがとうございます。感謝します」
そこからもローウェン達は長い間話し合っていた。外から中に攻めこむ時はドワーフやエルフの協力を借りるが、一度中に入ってしまえばそこからは狼だけの戦いだ。
次にローウェン達は、村の中での戦い方について話し合いを始めた。
「村の中に入れば、後は長を狙うだけだ。他の皆にはこの前伝えた通り、二人一組で敵と戦ってもらう。怪我をしないこと、こちらの戦力を削られないようにすることが第一優先だ。わかったな」
「もちろんだ」
ローウェンの言葉にグレイルをはじめとして皆が頷く。
「あとは、どうにかしてジルバとセヴェリオを引き離せばこちらのものだ。グレイル、お前に任せたい」
「わかった」
「グレイルのサポートは……クロエ、だったか。彼女に任せよう」
「そのことなんだが」
ローウェンの話をグレイルが遮った。
「俺はレティリエと戦いたい」
「レティと……? だが、彼女は狼になれないじゃないか」
「問題ない。レティは戦える。俺達とやり方が違うだけだ」
「確かにレティは頭も良いし、機転も効く。だが、今から俺達がやるのは肉体同士での戦いだ。レティは狼の爪も牙も持たない。そんな危険な場所に彼女を行かせる気なのか?」
グレイルから一連の話を聞き、彼らが辛い想いをしていたことも知っているものの、長としてローウェンはそれを了承することはできなかった。だが、グレイルも引き下がらない。
「大丈夫だ。ローウェン……俺は間違いなく自分の役目を全うする。絶対にお前の足を引っ張らない。だから、俺達を信じて任せてくれないか?」
グレイルが真剣な瞳でローウェンを見つめる。その金色の目は本気だ。ピリッとした空気と共に、ローウェンが口を開いた。
「お前は狩りの時もきちんと群れ全体を見ることができるやつだ。そんなお前の言うことだからこそ信用したいが、今回ばかりは命を賭けた真剣勝負だぞ? 失敗は許されない。それに……俺はまだレティリエの気持ちを聞いていない」
ローウェンの言葉に、レティリエの耳がピクリと震える。レティリエ自身は、ローウェンの言うことが正しいと思う。だが、自分の本心は、もちろん彼の隣で戦うことだ。どちらの答えを出すべきか逡巡していると、突如グレイルがレティリエの手をぎゅっと掴んだ。驚いて顔をあげると、グレイルが真剣な目で自分を見つめていた。
「レティ。俺はお前に隣で戦ってほしい。頼めるか?」
「でも……本当に私にできるかな」
レティリエの瞳が戸惑いで揺れる。うつむいてきゅっと唇を噛むが、グレイルはその不安を押し退けるかのように、レティリエを握る手にゆっくりと力をこめた。
「大丈夫だ。自信を持て。俺のことは、お前が一番よく知っているだろう?」
その言葉を聞いて、レティリエは理解した。彼の意図を。彼がなぜ自分を選んでくれたのかを。
──ああ。彼は本当に心から私を選んでくれたんだわ。
体が熱くなり、胸が歓喜で震える。レティリエはきゅっと拳を握ると、しっかりとローウェンを見据えた。
「ローウェン。私はやるわ。彼と組ませてほしい」
その金色の目に宿るのは強い意思と闘志。ローウェンは暫く固い表情でレティリエを見つめていたが、やがてふっと口許を緩めた。
「わかった、レティ。グレイルの隣で戦うのは──お前だ」
ローウェンの言葉に、レティリエはしかと気を引き締める。グレイルに握られている手をきゅっと握ると、彼も優しく握り返してくれた。その光景を見て、ふっと微笑むと、ローウェンは再度皆の前に向き直る。
「作戦決行は次の満月の時だ。皆しっかり気を引き締めろよ」
ローウェンの言葉に、全員が頷く。闘志にみなぎる仲間の顔を見て、ローウェンは口角をあげた。
「──さぁ、開戦だ」
※※※
闇を纏う森の中で、レティリエとグレイルは揃って丘に登り、夜空に浮かぶ白銀の月を眺めていた。夜の空を薄く照らすその姿は真円。今夜は満月だ。
「いよいよね」
空を見上げながらポツリと呟くと、隣に座っているグレイルが腰に腕を回してそっと引き寄せてくれた。彼の胸にもたれかかると、その下で力強く鼓動する心臓の音が聞こえる。少しだけ尖った男らしい匂いは大好きな彼の匂いだ。もっと全身で温もりを感じたくて、体の向きを変えて彼の体に抱きつくと、グレイルもゆっくりと抱き締め返してくれた。自分を抱擁する腕がいつもより少しだけきつい。体を起こしてそっと視線を上にやると、グレイルの金色の目が視界に映った。その瞳は潤んでいるように揺れている。
「グレイル……?」
小声で問いかけると、突如グイと体を引っ張られ、きつく抱き締められた。名前を呼ぼうと開いた口は彼の唇で塞がれる。思わずこぼれた甘い吐息は空気に溶けて消えた。そのまま彼の唇が首筋から胸元へ滑り降りていき、まるで貪るかのように肌をついばんでいく。
「グレイル、どうしたの? こんな所でやめて」
甘美な快感に震えながらも両手で彼の体を引き離すと、グレイルが今にも泣きそうな顔でこちらを見つめた。
「レティ、俺は……怖いんだ」
胸のうちから絞り出すような声がする。
「俺は、お前と離れるのが怖い。もしかすると明日にはもうこの体を抱き締めることができないかもしれない。お前が笑う顔も、俺の名前を呼ぶ声も、小さな手でくれる温もりも、どちらかに……何かあれば、もう二度と感じることができないんだ」
グレイルの言葉にハッとする。今彼が何を思っているのかを知って、レティリエの胸もツンと痛んだ。
彼は覚悟を決めたのだ。明日の戦いでどちらかが命を落としたとしても、それを受け入れる覚悟を。今無情にも過ぎていく一瞬一瞬が互いに触れ合える最後の時だと自覚して、悔いのないように一つ一つの感触を記憶に刻みこもうとしているのだ。
(そんなの……私も怖いわ)
両手でグレイルの体にしがみつく。広い背中と指先に伝わる固い筋肉の感触。耳朶を震わせる低い声。時には優しく、時には乱暴に肌を這う唇の感触も、今が最後とばかりにしかと記憶に刻み付ける。
お互いの名前を呼び合いながら触れ合う時間は、例え永遠でも一瞬に感じられるくらいに刹那的だった。
グレイルが微かに身を震わせてレティリエを抱き締める。レティリエも倒れこむように自分の体に顔を埋める彼の背中に手を回してぎゅっと抱き締めた。
「あのね、グレイル」
耳元に口を寄せて囁く。
「私ね、別の群れに隠れて待っててって言われた時が一番苦しかったの。だってそれってもしあなたに何かあった時に、あなたと最期まで一緒にいるのがクロエさんだったってことでしょう? あなたが最期に言う言葉も、あなたが最期に見る人も、全部クロエさんになるの。でもそんなの私は嫌」
声が震える。頬に伝う熱は涙だろうか。
「例え私が命を落とすことになっても、逆にそれがあなただったとしても、私は最期の一瞬まであなたと一緒にいたい。だって好きなんだもの。だから今回、私を選んでくれてとても嬉しかった。ありがとう……私を選んでくれてありがとう」
最後は言葉にならなかった。ハラハラとこぼれ落ちる涙をぬぐいもせずにグレイルに抱きつくと、彼もきつく抱き締め返してくれた。
二人で過ごす、最後になるかもしれない夜は、夜空に溶ける白銀の光と共に静かに過ぎていった。
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