第35話 ローウェンの思惑

 白馬に乗ったフェルナンドが戻ってくると同時に、三人は里を出て真っ直ぐにドワーフの集落へ向かった。 日はだいぶ高くなり、そろそろ落ち始めようかという頃合いだ。狼は夜目が効くものの、エルフや白馬はそうもいかない。三人はスピードをあげ、無事に夜になる前に集落にたどり着くことができた。

 大木の中に入り、地面に伏せてある木の板をどかして穴の中に入る。フェルナンドの馬は大木の近くの木に繋いでおいた。洞窟のような道を進み、吹き抜けになっている空間までたどりつくと、三人は螺旋を描くように作られた壁沿いの道を伝って最深部まで降りていった。そろそろ夕食時だからか、地下集落の奥では大勢のドワーフ達があちらこちらでご飯の支度をしている。

 レティリエが忙しなく動き回るドワーフ達に見とれていると、たたっと誰かが走る音が微かに聞こえ、次の瞬間には黒髪の女の子がレティリエの胸に勢いよく飛び込んできた。


「レティ! レティなのね! 会いたかったわ!」

「ナタリア!」


 自分の腕に飛び込んできたナタリアを、レティリエはしっかりと抱き締めた。両手に抱えた体がふるふると震えている。ナタリアは泣いていた。突然村を追い出され、愛する人と引き離され、彼女も辛く苦しい時間を経験したに違いない。彼女の涙を見てレティリエもじわりと目頭が熱くなる。二人そろって固く抱き合っていると、ローウェンやレベッカなど顔馴染みの面々が次々に二人を出迎えた。


「レティ、グレイルから聞いたけど、大変だったみたいだな。よく頑張ってくれた」


 ローウェンが微笑みながらレティリエをねぎらう。ナタリアを抱き締める腕を緩めて彼を見上げると、隣にいたレベッカが夫の服の裾をツンツンと引っ張った。


「ほら。挨拶も良いけど……彼女に会いたがってる人がいるじゃない。そっちが先でしょ」

「ああ、そうだな。悪い」


 ローウェンがペロリと舌を出して頭をかく。誰のことかと首を傾げていると、レベッカが優しくレティリエの手を取った。彼女に手を引かれながら集落の奥へ進んでいくと、集落の奥の方にある部屋の一つまでいざなわれる。言われるがままに中を覗きこみ、レティリエは目を見開いた。


「レティリエ、元気だったかい?」

「マザー……?」


 部屋の中で椅子に座り、編み物を編んでいたのは同じく村を追い出されたはずのマザーだった。吸い寄せられるようにふらふらと部屋に入って彼女の前に立つと、マザーが立ち上がってぎゅっと抱き締めてくれた。


「レティ、グレイルから聞いたよ。辛かったね」


 自分より小柄だが、それでも自分を抱き締めてくれる腕は大きく温かい。彼女の温もりを感じた途端、レティリエの胸がじんと熱くなり、目から涙が溢れ落ちた。


「うん……うん。私、辛かった……」


 ポロポロと涙をこぼしながらマザーにしがみつく。マザーもレティリエを労るかのように、自分を抱く腕に力をこめた。


「私……狼になれなくて、皆の力になれなくて……グレイルにもいっぱい迷惑をかけてしまったの」

「そうかい。それは苦しかったね」

「うん。でもそれでもグレイルは私のことが好きだって言ってくれたわ。これからもずっと一緒にいてくれるって」

「そりゃあそうさ。あの子はそんなことで人を判断しないもの」


 ポンポンと優しく背中を叩いてくれるマザーをぎゅっと抱き締め返す。マザーはいつも、自分がいじめられているのを見るとすぐに飛んできて守ってくれていた。彼女が自分のことを実の娘のように大切に思っているのも知っている。だからこそ、これ以上迷惑をかけたくなくて、心配させたくなくて、弱い姿を見せられなかったけれど、もしかしたらもう少し早くこうしていれば良かったのかもしれない。


「マザーは私が狼になれなくても、私のこと好き?」

「もちろんさ。あんたは自慢の娘だよ」


 マザーがレティリエの涙を優しく拭ってくれる。彼女の指が頬をなぞるに連れて、また一つ、自分の心に温かい光が灯ったのを感じた。


※※※


 仲間達との再会に浸り、先程の場所に戻ると、フェルナンドとギークが話をしている姿が見えた。傍らにはグレイルとローウェンもいる。レティリエが彼らの側へ寄ると、ギークがこちらを振り向いた。


「よぉ。銀狼の姉ちゃんも久しぶりだな。今ここでこいつから色々と経緯を聞いていた所だが、お前らも散々な目に遭ったみたいだな」

「こいつ、だなんて心外だね。貴方達ドワーフは相変わらず言葉遣いが美しくない」


 ギークの言葉に、フェルナンドが口を挟む。「まったくエルフの連中は気取ってやがる」と返すギークを見て、その気安さにレティリエは首を傾げた。


「あの……お二人はもしかしてお知り合いなんですか? 随分と仲が良いみたいですけど……」

「ああ、そうだよ。僕たちはドワーフと交流を持っているからね。彼らは粗野だが、彼らの手から生み出される工芸品は本当に美しい。今日はこれらと引き換えに、石細工を譲ってもらおうと思ってね」


 フェルナンドがウインクをして手に持った薬の入った籠を掲げてみせる。


「君たちこそ、ドワーフと友達だったなんて知らなかったよ。狼は他種族と交流を持たないと思っていたんだけどな。そこの村長さんは、随分と頭が柔軟みたいだ」

「ここに関しては俺じゃなくてレティが作ってくれた縁ですね。こちらのドワーフの皆さんから譲って頂いたエルフの秘薬が、彼女の命を救ったこともあります」


 ローウェンがかしこまって言うと、フェルナンドが楽しそうに笑った。


「そうか。僕達は出会う前から繋がっていたんだね。運命という糸は、いつか手繰り寄せられるものなのか。ふむ……なんとも素敵な話だ」

「それは別に良いけどよ。村長さん、これから村の奪還に向けて動くんだろ? 何か案はあるのか?」


 フェルナンドがうっとりと語る言葉をギークが一蹴する。美しいエルフの柳眉がピクリと動くが、武骨なドワーフは意にも介さない。

 ギークの言葉に、ローウェンは真顔で頷いた。


「ああ。既に手は考えてある。だが、まぁ説明するよりかは見た方が早いだろうな。ちょっと場所を変えよう。ついてきてくれ」


 そう言ってローウェンがクルリと背を向け、地上へと繋がる螺旋状の道を上がっていく。 レティリエとグレイルは顔を見合わせながらも、彼の後を追った。


 地上に出ると空は血のように赤く、既に空は闇をまとい始めていた。二人はローウェンに連れられるがまま森の奥へと進んで行く。 

 森の中を歩きながら、ローウェンが口を開いた。


「ハッキリ言って、今の俺達の実力ではあいつらに勝てない。やつらの戦力は相当なものだ。セヴェリオ達の強さは、実際に戦ったお前らの方がよくわかっているだろう?」

「ああ。確かにセヴェリオとジルバ以外にも腕が立つやつらばかりだった。セヴェリオは弱いものを排除し、強いものを残すことで群れを強くしてきたみたいだな。現に俺達も、やつが躊躇ちゅうちょなく仲間を殺すところをこの目で見た」


 ローウェンの言葉にグレイルが険しい顔で返す。レティリエも目の前で殺されてしまった哀れな狼の姿を思い出し、胸がキリッと痛むのを感じた。先程まで生きていたのに、弱いからという理由であっけなく殺されてしまった儚い命。あの時の光景を思い出してうつ向くと、隣を歩いていたグレイルがそっと手を握ってくれた。

 ローウェンはひとつ頷いて同意すると、なおも続ける。


「あいつらの言うことを正当化したくはないが……確かにそれは理にかなっているんだ。一人一人の戦力を強くすることで群れ全体の戦力をあげる。闇雲に勝負をしかけても、俺達に勝ち目はない」

「だがそうも言っていられないだろう。どんなに実力に差があろうとも……戦わなければ村は取り戻せない」

「ああ。だから俺に考えがある。それを今から見せるよ」


 ふいに、森の奥から獣のうなり声が聞こえてきた。と同時に何かがぶつかり合う鈍い音も聞こえる。不思議に思っていると、前を歩いていたローウェンが立ち止まった。

 「見てくれ」と彼が指差す方に視線をやると、前方に開けた空間が見えた。近づいてみると、そこは木が切り倒されてできた広場だった。おそらく、ドワーフ達が外で作業をする時に使っている場所なのだろう。今、そこに仲間の狼達が争っていた。数は二十匹くらいだろうか。あちこちで狼達がうなり声をあげながら取っ組み合っている。仲間割れのような光景にレティリエが首を傾げていると、グレイルが合点したようにうなった。


「なるほど、戦いの訓練をさせているのか。確かに俺達は狩りのやり方はわかるが戦闘の経験は乏しい。訓練で戦闘の勘を鍛えるわけだな」

「そういうことだ。俺達もただ震えながら隠れていただけじゃないのさ。皆には毎日ここでこうやって戦闘の経験を積んでもらっている」

「だが、あまり積極的な戦い方じゃないな。これはローウェン、お前の指示か?」

「お、鋭いな」


 グレイルの言葉に、ローウェンがニヤリと口角をあげる。二人の言っている意味がわからず、レティリエは目の前の光景に視線を向けた。

 今、彼らの一番近くで三匹の狼が争っていた。黒と茶色と灰色の狼だ。黒い狼が茶色い狼に狙いを定め、後ろ足で地面を蹴って飛びかかる。反応がわずかに遅れた茶色い狼が逃げ切れずに迎撃の構えを取るが、黒い狼が攻撃を仕掛ける方が早い。だが、黒い狼の爪が茶色い狼に届く寸前、灰色の狼が横から体当たりをくらわせ、黒い体が吹っ飛ぶ。軌道がそれた黒い狼の爪は茶色い狼の毛を掠めただけだった。


「なるほど。攻撃を仕掛けるのではなく、攻撃を回避する方に注力したわけだな」

「そうだ。一対一ではどうしても実力的に差がある。だからこそ俺達は二対一で戦うことにした。相手と対峙する時は必ずコンビで戦わせる。狼の戦いは長同士の決着がつけば終わりだからな。相手の戦力を削ぐのではなく、戦力を削られないように戦う」

「持久戦にするわけか。そしてその間に決着をつけると。なるほど考えたな」


 二人の会話を聞き、レティリエもようやく理解した。一対一で戦えば、実力差の大きい自分達はあっという間に戦力を削られて終わりだ。だからこそ相手に攻撃をするのではなく、攻撃をされないようにしながら時間を稼ぐという作戦に出るようだ。

 目の前の光景を見ていたグレイルが、ふと首を傾げる。


「だが、訓練を初めて日が浅いにしては連携が取れているな。何か策を講じたのか」

「おっよくわかってるじゃねぇの。ほら、あれをよく見てくれ」


 そう言ってローウェンが先程の三匹を指差す。


「あの茶色いやつは顎の力が強くて一撃がかなり重いんだが、イマイチ素早さには欠ける。反対にあの灰色の狼は攻撃のセンスはあまりないが、足の速さは群を抜いているんだ。互いの長所と短所を補い合うように組み合わせて、うまく連携を取れるようにした。一人一人、それぞれの強みと弱味をきちんと分析した上で組み合わせているからな。そう簡単には崩せねぇぞ」

「よく考えられてる。さすがローウェンだな」


 グレイルが感嘆の声をあげると、ローウェンは真顔で頷き、二人の目の前でピンと人差し指を立てた。


「いいか? 俺達は個の力ではなく、組織の力で戦うんだ。あいつらは群れの統合を繰り返している。おそらく今までも個人の力に頼ってきたのだろう。俺達が勝機を見いだすとしたらそこしかない」

「すごいわ、ローウェン」


 周囲を見る力に長け、それでいて仲間を大事にするローウェンらしい戦い方だ。思わず声をあげたレティリエを見て、ローウェンが優しく微笑んだ。


「これに関してはレティ、お前のおかげでもある。今まで俺達は肉体的な強さだけで物事を図ってきたが、お前のおかげで強さは力だけじゃないとわかったんだ。知力や精神の強さは、時に肉体以上の実力を発揮する。レティがこの群れで認められたのは、お前のその部分が評価されたからだ」

「えっわ、私のおかげだなんて、そんな……」


 急に褒められ、レティリエの胸がカッと熱くなる。ローウェンが自分のことを評価してくれていたなんて思いもよらなかった。両手を胸の前で組んでモジモジしていると、グレイルが笑って優しく頭を撫でてくれた。


「セヴェリオ達がなんと言おうと、レティはこの群れにとって掛け替えのない俺達の仲間だよ。さ、具体的な作戦についてはレベッカ達も交えて話そう。戻るぞ」


 そう言って踵を返すローウェンの後ろ姿を、レティリエは晴れやかな気持ちで追いかけていった。

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