第39話 リリーネの話

「セヴェリオとジルバは、ここよりずっとずっと北の方の群れで生まれたらしいわ。そこは枯れ果てた大地で食料もなく、狼達は仲間同士で争っていた。私達狼は仲間を傷つけることは絶対にしないけれど、彼らがいた所は弱者は生きられない世界だった。例え夫婦であっても、親子であっても、役に立たない狼は皆殺されていたそうよ」

「仲間同士での殺し合い? それは……なんとも血生臭い話だな」

「ええ。普通であれば弱い狼はその群れを出て他の群れへ行くことになるのだけれど、どこの群れも受け入れる力がなかったみたいね。だから殺すしかなかった」

「なるほど……彼らが仲間を殺すことに抵抗がないのはそう言うことか」


 グレイルが低く唸る。彼らがああもアッサリと仲間を殺したのにはこのような経緯があったのだ。強者は生き、弱者は死ぬ世界。仲間同士で助け合うのではなく、仲間内で奪い合う関係。彼ら二人はそういう過酷な世界で生きてきたのだ。

 リリーネはひとつ頷くとなおも口を開いた。


「ええ。彼らは強さを求めて村を飛び出したと言っていたわ。そこから二人で色んな群れを転々としてきたみたいね。彼らがここの村に来たのは、ちょうど彼らが成人する時だったわ。セヴェリオはジルバより一年遅れて成人を迎えたから、その年の豊寿の祭りで私とジルバ様は夫婦になったの」


 そう言うと、リリーネは俯いて少しだけ頬を赤らめた。


「初めて彼を見たとき、とっても素敵だと思ったわ。思っていた通り、狩りの腕前も良くて、セヴェリオと共にあっという間に村の頂点に立ったの。だから私も彼と夫婦になりたくて、一生懸命狩りで戦績を出したわ。晴れて夫婦になれた時は、本当に嬉しかった……」


 リリーネがそっと目を伏せる。かつての光景を思い出しているのだろう。彼女のはにかんだ横顔を、レティリエは自分自身と重ねて見ていた。

 恋い焦がれた人と一緒になれた時の胸の震えは、きっと生涯忘れることは無いだろう。だが、共に生活している自分達とは違い、彼らは離ればなれに暮らしている。彼女の心中を思うと、レティリエは胸が詰まる思いだった。

 リリーネはしばらく無言で揺れるお茶の水面を見つめていたが、やがてそっと口を開いた。


「でもね、ある時セヴェリオが村を出ると決めたの。もっと強くて大きな群れを従えたくなったのね。それを受けてジルバ様もこの村を出ることを決めた」

「あなたはそれを許したのか?」

「もちろん反対したわ。行かないでって。私も連れていって、置いていかないでって。でも、彼の答えは私みたいな弱い狼は連れていけないとうことだったわ」


 そこでリリーネの声が詰まる。


「セヴェリオは全てを支配したいと思っているわ。土地も、群れも、全部。力を持てば、それが叶うと思っている。彼は……ジルバ様は、そんなセヴェリオの姿に憧れを抱いていると言っていたわ。セヴェリオは、自分を高みに導いてくれる存在だと……。きっと、私のような弱い伴侶は邪魔になったのね。結婚してから一年後に、彼はセヴェリオと共に村を出ていった。あの人の子供がお腹の中にいるとわかったのは、その後だったわ」


 リリーネがほう、と息を吐いてお茶に口をつけた。彼女の話は終わりのようだ。今の話をレティリエは頭の中で整理する。


「つまり、セヴェリオの目的は巨大な力を手にして全てを支配すること。ジルバの目的はセヴェリオをその頂点に据えあげることね」

「ええそうよ。ジルバ様の目的は、あくまでセヴェリオの野望を叶えること。彼は強い群れを率いることに興味はないの。ジルバ様の目的は、セヴェリオを長の座にとどめておくことよ。だからこそ、セヴェリオが危機に陥るようなことは、彼は絶対に了承しない。だから……私ではお役にたてないの。ごめんなさい」


 リリーネが悔しそうに唇を噛み、両の拳を握る。彼女の話を聞きながら、レティリエはかつてジルバと対峙した時のことを思い出していた。二人の目的が違うことを読み誤ったせいで危うく殺されかけたことは記憶に新しい。


「私だって……本当は彼の役に立ちたかった。彼の目的がセヴェリオに力を持たせることならば、私はそんなジルバ様の側で彼を支えてあげたかった。でも、私じゃダメだったの。弱い私じゃ、彼と一緒にいることは許されなかったわ」


 リリーネの言葉に、レティリエは胸が詰まるのを感じた。それはかつて自分がグレイルに抱いていた気持ちそのものだった。一緒にいたくても、側にいられない。許されないと思ってしまう。レティリエもずっと同じ気持ちだった。結婚する前も、した後も。

 昔の自分であれば、彼女に何も声をかけてあげることはできなかっただろう。だが、レティリエはリリーネの側に寄ると、ゆっくりと背中をさすってあげた。

 

「そのペンダントは、彼からの贈り物?」

「ええ、そうよ。ジルバ様がくれたの。別れ際に、これを自分だと思えって……」

「そう。でもね、やっぱり私は、ジルバはまだあなたのことを愛していると思うわ。だって彼もそのペンダントを大切にしているもの。捨てようと思ったらいつだってできたはずなのに」


 レティリエの声に、リリーネの耳がピクリと動く。


「もしかしたら……彼はあなたを危険に晒したくなかったのかもしれない。守りたかったから、自分と離したの。もしかするとマーシュをここに連れてきたのは、もちろんクロエさんを従わせる為もあったと思うけど、もしかしたら貴女に会いたい意味合いもあったかもしれないわね。あなたはきっと彼の邪魔になりたくないから身をひいたのだと思うけど……お互いに側にいたいと思うのであれば、私は一緒にいるべきだと思うわ」


 そう言って隣のグレイルをチラリと仰ぎ見る。レティリエの視線を受けて彼が優しく微笑み返してくれる。


「例え愛する人が目の前で死ぬことになろうとも……その覚悟を持って、最期の一瞬まで一緒にいたいと思ったからこそ、夫婦になったんじゃないかしら。あなたがまだ彼を愛していると言うなら、正直な気持ちを伝えてみてもいいと思うわ」

「私……私……」


 リリーネがふるふると震える。


「でも、私、自信が無いわ。一緒にいることで彼の足を引っ張って、嫌われてしまうのが怖いの。きっと彼には、私よりもっと強い女性が相応しいわ。いえ、彼にはセヴェリオがいれば良いんですもの。そもそもあの人には結婚なんて必要なかったはずよ」

「リリーネさん」


 リリーネの言葉を、レティリエが優しく遮る。


「私もかつては同じ気持ちだったわ。グレイルの側にいられない自分がたまらなく嫌だった。でも、私達は一緒にいることを選んだの。だから私は、あなたにも勇気を出してほしい」


 レティリエの言葉に、リリーネは無言で俯いた。一緒にいたいけれど、迷惑にはなりたくない。彼女の胸中は複雑だろう。おそらく、今ここで決断するのは難しいだろうと判断したレティリエはゆっくりとソファから立ち上がった。


「もし……あなたが彼ともう一度一緒にいたいと思うなら、私達の村に来てほしいの。会って彼を説得してほしい。私達、待ってるから」


 そう言って、リリーネに丁重にお礼を述べ、レティリエはこの家を去ることにした。

 最後にマーシュとも一言二言会話をし、三人の姿を見送った後、リリーネは崩れるようにソファに座った。


 数年ぶりに再会した夫のことを思い出す。結婚したばかりの頃は若々しい青年だったが、久しぶりに会った彼はすっかり大人の男になっていた。彼が連れてきた男の子を見た時は、他所で再婚をしたのかと思ったが、どうやら違うと言うことがわかって安堵したのを覚えている。

 彼らが何をしているのかはわからなかった。知らされていなかったから。でも、マーシュの実母だというクロエとグレイルがやってきて、やっとジルバとセヴェリオが何かを企んでいることに気付いた。

 村を襲い、子供を人質にして他人を支配する。彼らが悪なのか正義なのか、リリーネにはわからない。レティリエ達に協力をするべきなのか、ジルバの味方につくべきなのかすらもわからない。

 リリーネは無言で首に手をやりペンダントを外すと、そっとその石を摘まんだ。日の光を受けて煌めく、漆黒の石。


「ジルバ様。私はどうしたらいいの?」


 問いかけるも誰も答える者はなく。その答えは己自身が見つけなければならないのだ。

 リリーネは両手でギュッとペンダントを握りしめると、長いことそこに座っていた。

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