第38話 狼の村

 一方、レティリエとグレイルは、ドワーフの集落を離れて、かつてレティリエが捕まった場所──同時に、クロエの息子であるマーシュが隠されていた場所へと向かっていた。

 グレイルの背に乗りながら、お互いの持つ情報を交換する。彼の話を聞いて、レティリエはほう、とため息をついた。


「何かわかったのか?」

「いいえ、何も。でも、少なくとも、リリーネという女性はジルバのことを知っているようね」

「ああ。だが、彼女が俺達の味方になるかはまだわからない。やつの古い知り合いであれば、むしろ敵に回ると思った方がいいな」

「ええ。私達も警戒はしないといけないわね」


 そのようなことを話しながら、因縁の場所へ向かう。ドワーフの集落を出てから数時間程走り続けていると、やがて既視感のある光景が見えてきた。グレイルと別れ、泣きながら走り抜けた森。この先に、例の狼の村があるのだ。森の奥へと進んでいき、視界の先に開けた場所が見えてきた所でグレイルは足を止めた。


「レティがこの村に逃げ込もうとした時に、セヴェリオとジルバが偶然いたということは、やつらは日常的にこの地に立ち寄っていると思った方がいい。用心するぞ」


 グレイルの言葉に、レティリエは頷いて彼の背から降りる。そのまま二人はゆっくりと村へ近づいて行った。

 村は、以前グレイルが立ち寄った時と全く変わっていなかった。自分達の故郷よりも遥かに小さな村。等間隔に置かれた杭に紐を通すだけの簡単な柵。だが、だからこそ敵に狙われにくいのか、村人達は平和に暮らしているようだった。

 中の様子が丸見えの村の様子を柵の外側からうかがう。暫く立ち尽くしていると、二人の存在に気づいたのか、一人の男がこちらへ近付いてきた。


「やぁ、君達はよその群れから追い出されてきたのかい? この村に入りたいということかな?」


 男がにこやかに話しかけてくる。第一声でよその群れから追い出されてきたのか? と聞く所からも、この村は群れから追い出された狼達が寄り集まってできた群れなのだろう。セヴェリオの言葉を借りると「弱者」の集まりなのだろうが、村人達の明るい顔を見るに、競争社会から抜け出したことで晴れ晴れとした気持で生活を送っている狼が多いようだった。グレイルが一歩前に進み出て男に向き合う。


「いや、俺達はリリーネという女性に会いに来た。彼女は今いるだろうか」

「ああ。リリーネの知り合いだね? わかつた。ちょっと待ってて」


 何の疑いもなく男が村の奥へと戻っていく。暫くすると、男が真っ白な髪をした女性を連れてきた。


「あなたは……グレイルさん?」


 グレイルの顔を一目見たリリーネが驚きの声をあげる。自分のことを覚えていてくれたことに安堵しながらグレイルは頷いた。


「ああ。少し貴女に聞きたいことがある。中に入らせてもらえるだろうか」

「ええ……それは構わないけど……そちらの方は?」

「レティリエ、と申します。彼の妻です」

「まぁ。あなたが。そう……」


 レティリエを見ていたリリーネがチラリとグレイルに視線を寄越す。何やら複雑な事情を感じたのか、それ以上追及することなくリリーネは頷いた。


「わかったわ。入ってちょうだい」


 彼女に言われるがままに村へ入り、そのまま彼女の家に案内される。

 そこは思っていたより大きな家だった。家の裏側からは子供達の甲高い声が聞こえる。リリーネは家の中には入らず、庭を通って建物の裏側へと案内してくれた。

 そこは大きな庭だった。広い敷地内に子供用の遊具が置いてあり、沢山の子狼が駆け回っている。


「あ! グレイルだ!」


 二人がその光景に目を奪われていると、小さな黒狼がグレイルの腕に飛び込んできた。真ん丸な金色の目で見上げながら尻尾をぶんぶんと振る子狼を見て、グレイルもその存在を思い出す。


「お前……マーシュか」

「えへへ。そうだよ。元気にしてた?」

「ああ。ということはクロエもいるんだな」


 グレイルの問いに答えるより先に、ふわりと覚えのある匂いが漂う。振り向くと、クロエがリリーネの隣に立ちながらにこやかにこちらを見ていた。


「お帰り。無事で何よりだわ」 

「お前も……何事もなくて良かった」

「あなたも逃げ切れたのね、レティ」

「はい。お陰様で」


 レティリエがセヴェリオの元から逃げられたのはクロエの機転のお陰だ。改めて深々と頭を下げるレティリエを見て、クロエはヒラヒラと手を振った。


「お互い様よ。私も、あなた達に助けられたしね」


 そう言ってクロエは右手を差し出す。彼女の意図に気付いてレティリエも右手を差し出すと、二人は固く握手をした。


「お前こそ、よくジルバに見つからなかったな。こんなに堂々と暮らしていたのか」

「この村は群れを追われた狼達がよく駆け込みにくる場所みたいだから、人が増えるのは日常茶飯事なの。それに、ここは親を失った子供達を預かっている場所だから、一人二人増えても誰も気が付かないわ。一応、リリーネさんの提案で、外に出るときは狼の姿になっていたけど」


 庭で駆け回る子供達を見ながらグレイルが感嘆すると、クロエが笑いながらそれに答えた。もしジルバがこの村に来る気配があれば逃げ出す準備は整えていたらしいが、そのような事態にならなかったことにグレイルは安堵する。

 そうこうしている間に、来客の準備を整えたリリーネが庭へ顔を出した。


「あの……私に聞きたいことがあるということですよね。お茶を淹れますのでこちらへどうぞ」


 リリーネの言葉にありがたく家の中へ入る。中は綺麗に整頓された、清潔な部屋だった。

 部屋の中央にあるローテーブルを囲うように置かれたソファに座ると、リリーネがお茶を出してくれた。


「早速で申し訳ないが、リリーネ。貴女はジルバのことを知っているな? 貴女が知っている彼の情報を教えてほしい」

「わ……私は……確かに彼のことは知っているけれど、そんなにお話できることはないと思うわ」


 ピリッと張りつめる緊張感にあてられたのか、リリーネの声色が固くなる。


「彼は確かにここにいて、少しの間一緒の群れにいたけれど、私もあまり彼と関わる機会がなくて……クロエさんからあなた達のことは聞いているわ。あまり力になれなくて残念だけど」

「そうか……まぁ、そうだろうな。そんなに都合良くやつのことを知っている人物に接触できるはずもないか」

「そうね……また最初から探さないといけないのかしら」


 リリーネの言葉を受けてグレイルが唸る。クロエも険しい顔で頷いていた。だが、レティリエの目はある一点に吸い寄せられていた。リリーネの首もとに光る黒い石。ペンダントの鉱石にレティリエは見覚えがあった。どこで見たか思い出せず、記憶の糸を手繰り寄せる。ペンダント。黒い石。無機質な部屋──その光景を思いだし、レティリエはハッとした。


「リリーネさん、貴女はジルバと関係が深い人ね」


 レティリエの言葉に、リリーネがわかりやすくビクリと体を震わせる。


「ど、どうして……」

「あなたの胸元についているそのペンダントを、私は彼らの部屋で見たわ」


 レティリエがリリーネの胸元を真っ直ぐに指差す。レティリエが彼らの情報を取ろうとしてジルバに殺されかけた集会所。何もない無機質な部屋にポツリと置かれていた黒い石のペンダントは、間違いなく今リリーネが身につけているものと同じだった。

 マーシュの手がかりも彼らの情報も得られなかったと思っていたが、あの決死の潜入は無駄ではなかったようだ。


「あれはセヴェリオのものだと思っていたのだけど、ジルバのものだったのね。あなたとお揃いで持っているもの。もしかして、あなた達は特別な関係にあるんじゃないかしら。例えば……夫婦、とか」

「そ……んなことない……わ……私、私……」


 リリーネが怯えた目でレティリエを見上げる。だが、彼女のあからさまな動揺がそれが事実であることを物語っていた。警戒心を露にする彼女をなだめるかのようにレティリエは軽く微笑んだ。


「あなた達がどうして離れて暮らしているかはわからないけれど、あなたはまだ彼を愛しているのね。そのペンダントを大切そうに身につけているのがその証拠だわ」


 レティリエが優しく声をかけると、リリーネは寂しそうな顔をして俯いた。瞳は今にも泣きそうで、唇がふるふると揺れている。


「良かったら、話してもらえないかしら。私達聞きたいの。ジルバのことを」

「嫌……嫌よ! だってあなた達は彼を殺すつもりなんでしょう!?」


 リリーネが震えながらもキッと鋭い目で睨み付ける。見た目は穏やかそうな女性だが、その胸には一本通った芯があるようだ。


「確かに私達は彼から見たら敵側の人間だわ。でも私ね、少なくともジルバという人はそれほど非情になりきれない人だと思うわ」

「どうして?」


 クロエが訝しげに口を挟む。レティリエはリリーネの金色の目をしっかりと見つめながら口を開いた。


「子供達を全員無傷で残したからよ。 もちろん、彼らが私達にしたのは酷いことだわ。ドワーフの指揮権が欲しいからと、クロエの子供を人質にとって私とグレイルの仲を裂こうとしたことも許せない。でも、彼らが子供達に危害を加えなかったことは少しだけ不思議に思っていたの」

「確かにそうよね。私はてっきり子供は将来性があるからだと思っていたけど、それでも全員残しておくのは確かにちょっと非合理的よね」

「ええ。彼らは強者は他の群れから引き抜けば良いと言う考え方だわ。彼が婚姻していないことからも、強い群れを存続させることより、現時点で自分が強大な力を持つことの方が大事だと思っているはずよ。だから、子供を残したのはジルバの意思だと思ったの。彼は子供に対しては非情になりきれない……もしかして、あなたと彼の間に子供がいたりするんじゃないかしら」


 レティリエの言葉に、リリーネはゆっくりと頷いた。庭の方を向き、マーシュと遊んでいる灰色の毛並みの子狼を指差す。


「あの子が私と彼の息子よ。でも、あの子は父親のことを知らないわ。息子が生まれたのは、彼がここを出ていってからだもの」

「そうなの……それは、一人でよく頑張っていたのね」


 レティリエが優しく声をかけると、とうとうリリーネの目から涙がこぼれ落ちた。レティリエはリリーネの側に寄ると優しく背中をさすった。


「もしかしたらジルバはあなたの話なら聞いてくれるかもしれない。私達も争い事は嫌だもの。狼同士の戦いであれば、長同士の決着がつけばそこで終わりだわ。あなたがジルバを説得してくれれば、少なくとも彼が傷つくことはない」

「無理よ……私じゃ絶対に無理……」


 リリーネが両手で顔を覆うようにしてテーブルに泣き崩れる。


「どうして……?」

「だって、彼にとって一番大切なのはセヴェリオだもの。私が説得したって絶対に聞いてくれないわ。彼は絶対にセヴェリオを見殺しにしたりしない。最後まであなた達と戦うつもりよ」

「貴女はセヴェリオのことも知っているんだな」


 リリーネの口からもう一人の名前が出たところでグレイルが口を挟む。以前に彼女はセヴェリオのことを知らないと言っていたが、あれはジルバに不利な情緒を隠すための嘘だったのだろう。グレイルの語気に鋭さが増すが、レティリエが彼の服の裾をつまんでそれを諌めた。


「今一度質問するわね。彼らの関係は何か、知っていることがあったら教えてちょうだい」


 レティリエの言葉に、とうとう観念したのかリリーネは「私も彼から聞いた話だけれど」と前置きした上でポツポツと語り始めた。

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