第28話 彼女のもとへ

 太陽が顔を出すと同時に行動を開始する。まだ眠気まなこのマーシュを背負い、この先にある村へと急ぐ。昨夜戻って異変に気付いたセヴェリオ達は、必ず追っ手を出すに違いない。下手をすると追い付かれる可能性がある為に、三人は脇目もふらずに走った。

 以前にレティリエと別れた森に入り、全速力で走る。森を抜けた先にあったのは、小さな村だった。グレイル達が住んでいる村は、ぐるりと背の高い柵で囲まれているが、この村は等間隔に置かれた柵に紐を通すだけの簡単な作りだ。だが、そのおかげで柵の外からでも村人達の様子がよく見えた。

 グレイル達が暮らしている村と比べると、その規模は三分の一程度しかない。だが、村人達の顔は皆生き生きと輝いており、規模が小さいながらも平和に楽しく暮らしているのが伝わってくるようだった。

 人の姿に戻り、誰に話しかけようかと迷っていると、グレイルの背中で眠っていたマーシュがパチッと目を開ける。彼は眠たげに一二度あたりをキョロキョロと見回していたが、急にぱぁっと顔を輝かせた。


「あっ! ここ、ぼくがいたところだよ! ぼく、ここでずっと暮らしてたの!」


 マーシュの言葉に、グレイルとクロエは揃って驚きの顔を浮かべた。クロエがおそるおそるといった感じでマーシュの顔を覗きこむ。


「本当に? 本当にここがあなたがいた場所なの?」

「うん、そうだよ。ここにいる白い人に──あっ! いた!」


 マーシュが嬉々として指差す方には、白い毛並みをした女性がいた。女性はマーシュの姿を見ると、大慌てでこちらに駆け寄ってくる。


「マーシュ? マーシュなのね? 良かった……無事で本当に良かった」


 女性が涙ぐみながら顔をほころばせる。白く長い髪を腰のあたりでゆるくひとつに結わえた美しい人だった。ゆるやかに弧を描く眉と、垂れた目尻が可愛らしく、穏やかそうな印象を与える。女性はひとしきり再会を喜ぶと、不思議そうな顔でこちらを向いた。


「あの……あなたがたはどちら様ですか? マーシュとは何の関係が?」

「私はこの子の母親です」


 女性の問いに、クロエが緊張した声で答える。女性はクロエの言葉を聞くと、パッと破顔した。


「まあ! それじゃあ本当のお母さんに会えたのね。良かったわねマーシュ」

「うん! でもお姉さんもぼくのおせわをしてくれてありがとう!」


 笑顔で礼を言うマーシュを見て、やっと二人も合点する。彼が言っていた「しろくてきれいな人」は、囚われのマーシュの面倒を見てくれた目の前の女性なのだろう。女性は二人に向き直ると、ペコリと頭を下げた。


「はじめまして。私はリリーネと申します。あなた方はマーシュのお父さんとお母さんかしら」


 リリーネが屈託のない目を向けてくる。「あ、いや俺は……」と口ごもるグレイルをチラッと一瞥すると、クロエは前に進み出た。


「いえ、この人は伴侶ではないわ。訳あって一緒にいるだけなの。それより、あなたがマーシュの世話をしてくださっていたのね。ありがとう。本当に、なんとお礼を言っていいのやら……」


 クロエが涙ぐみながら頭を下げると、リリーネはふわりと優しく微笑んで彼女の手をとった。


「いいえ、私も子供は好きだもの。でも、どうしてこんなことになったのかしら? 急に小さな子供が一人で連れてこられたからビックリしたわ」


 リリーネの問いに、すべて伝えてもいいものかと二人は顔を見合わせる。だが、心をこめてマーシュの世話をしてくれた彼女に敬意を表し、二人はこれまでのことをかいつまんで話した。話し終わると、リリーネは悲しそうに眉根を寄せた。


「そうだったの……可哀想に。相当怖かったでしょうね」

「俺も質問していいか。貴女はどういう経緯でこの子を預かることになったんだ?」


 グレイルの問いに、リリーネがふるふると頭を振る。


「私も詳しいことはわからないの。ある日突然、ジルバ様がやってきて、この子の面倒を見るように言いつけられたから」

「ジルバ様だと? 彼を知っているんだな?」


 リリーネの言葉にグレイルが鋭く問うと、その気迫におののいたのかリリーネがビクリと体を震わせる。その金色の瞳が一瞬揺らいだように見えた。


「え、ええ。むしろあなた方は彼がこの子をここに連れてきたのを知らなかったの? 彼は昔ここの群れに少しだけいたことがあるのよ。すぐ出ていってしまったから、私も彼のことをそれほど知らないのだけど」

「なんだと? ここはやつにゆかりのある場所だったのか」


 グレイルが驚きの声をあげる。同時にクロエも畳み掛けるように口を開いた。


「セヴェリオっていう人のことは知らない? 赤茶色の狼で、ジルバとよく一緒にいるんだけど。私達、彼らの情報がほしいの」

「し……知らないわ。知らない。その人のことは、見たこともないわ」


 先程とはうってかわった二人の緊迫した態度に、リリーネはすっかり怯えてしまったようだ。両手を胸の前でぎゅっと握りしめて縮こまるリリーネを見て、二人ともハッとする。


「いや……すまない。俺達も取り乱した。貴女には関係のないことだったな。忘れてくれ」

「いえ……何かご事情があるようで」


 頭を下げる二人に、リリーネは静かにかぶりをふる。グレイルはそのままクロエに向き直った。


「ジルバがここを認知しているのであれば、お前達をここに置いておくのは危険だ。……別の群れを探すしかないな」

「ええ……仕方ないわね」

「ええーーー! やだよ!!」


 二人の言葉にマーシュが大声をあげた。せっかく再会できた優しい第二の母から離れたくないらしく、駄々をこねている。


「マーシュ、今は大変な時なの。見つかったらお母さんもあなたも殺されてしまうかもしれないのよ。我慢なさい」


 クロエが厳しく注意をするが、やっと安心できると思っていたマーシュは言うことを聞かない。二人の様子をじっと見ていたリリーネが逡巡した後、ゆっくりと口を開いた。


「あの……もし良ければうちにいてください。彼は元々ここにいたとはいえ、もう今は別の群れの狼よ。招かれない限りはここに入ってこれないし、もし仮にジルバ様が来てあなた達のことを聞いたとしても、私が突っぱねてあげるわ」

「だけど、それだと貴女に迷惑がかかるわ」

「良いんです。私もマーシュは可愛いので……それに、子供をこんなことに利用するなんて許せないわ。彼が問い詰めてきたとしても、私が追い返してあげる」


 先程の穏やかそうな雰囲気とはうってかわって、リリーネが凛々しい顔で頷く。見た目は優しそうな女性だが、もしかすると案外実力のある狼なのかもしれない。だが、それでもグレイルの心配はつきない。早くレティリエを探しに行きたい気持ちはあるものの、この二人を放っておくこともできなかった。


「だが……もし強硬策にでてきたらどうする? あいつは抜け目がない。おそらく、必ずここに来てお前達のことを聞くだろう。やはりここは別の群れに……んむっ」


 突如、グレイルの言葉はクロエの指で塞がれる。驚きに目を見張ると、クロエがいたずらっぽく笑った。


「大丈夫よ。私のことを見くびらないで。私だって腐っても元村長の妻だもの。もしかれらがここにやってきたとしても、自分達の身くらい自分で守れるわ」

「そうは言っても……」

「あの子のことが心配なんでしょう? もうここまで十分やってもらったわ……だから、早く行きなさい」


 クロエが微笑みながらグレイルの体をとんと押す。彼女も不安でいっぱいなのだろうが、グレイルの気持ちを慮って背中を押してくれているのだ。彼女の気遣いを感じ、グレイルもふっと微笑む。


「ああ……ありがとう」


 クロエも強い女だ。彼女と握手をしてしっかり別れを告げると、グレイルはそのまま村を後にした。



※※※


 村を出て、また森に入る。一刻も早くレティリエを見つけたい所だが、彼女の行き先はわからない。少しでも彼女がいた痕跡を得ようと、グレイルは森の中を走り回った。

 時折足を止め、鼻をひくつかせてレティリエの匂いを探したり、木の麓などに焚き火の後がないか辺りをくまなく探す。だが、彼女の手がかりは一向に見つからない。

 一日中探し回ったが、レティリエの痕跡は何一つとして見つからなかった。気がつくと太陽は西に傾き始め、空が闇を纏い始めていた。暗くなってからでは、一層手がかりを見つけにくくなるだろう。グレイルは大きくため息をつきながら、近くの切り株に腰をおろした。

 少しずつ、少しずつ、辺りが暗くなっていく。それはまるで自分の心の内を表しているようだった。早く彼女に会いたいという焦りばかりが膨れ上がるが、手がかりが何もない以上八方塞がりだ。


(レティリエ……お前は今、どこにいるんだ)


 心の中で彼女に語りかける。会いたくて会いたくてたまらない。だが、迫り来る闇は自分の心を弱くしていく。このまま彼女に会うその日が一生来ないのではと不安に襲われたその時だった。


 遠くで微かに水が跳ねる音がして、グレイルはピクリと耳を動かした。魚だろうか。森の中に水源があるのは珍しくない。そういえば自分は朝からろくに食べていないことを思いだし、グレイルはまるで誘われるように水音の方を目指して歩き始めた。

 背の高い草を掻き分けていくうちに、遠目にキラキラと何か光るものが見え始める。と同時に、鈴を転がしたように澄んだ歌声も聞こえてきた。

 不思議に思いながらも歩を進めていくと、やがて美しい水辺にたどり着いた。黄昏の空を背景に佇むその水辺は、顔を出し始めた月光を受けてほんのりと淡く光っている。その不思議な光に誘われるようにグレイルが水際にしゃがんだ時だった。

 パシャンと水が跳ねる音がして、グレイルは顔をあげる。水面から突き出た岩の上に乗り、豊かな髪をなびかせながら女が優雅に微笑んでいた。だが、その下半身は足ではなく、魚のように尾ひれがついている。


「人……魚……?」


 グレイルが呆然としながら呟く。噂には聞いたことがあるが、実際に見たのは初めてだ。人魚はひとつ微笑むと、水の中に入り、優雅に泳ぎながらグレイルのもとまでやってくる。グレイルの目と鼻の先まで近づくと、人魚はまた水面から顔を出した。


「ごきげんよう」


 澄んだ空気に溶け込むような、涼やかな響きだった。グレイルも地に片膝をつきながら屈み、彼女と視線を合わせる。人魚の輝くような波打つ薄青の銀髪は、愛しい人を連想させた。


「教えてくれ」


 グレイルが囁くように言葉を紡ぐ。


「このあたりで、狼の女の子を見なかったか。綺麗な銀髪で、小柄な子だ。俺と同じように金色の目をしている。なんでもいい、手がかりがほしいんだ」


 返事はない。人魚は微笑みながら黙って聞いている。それもそうだ。水辺に生きる人魚が、たかが一人の狼の行き先を知っているはずがない。だが、その美しい銀髪を見ているうちに、塞き止められた思いがあとからあとから口をついててでた。


「俺の、大事な人なんだ。誰よりも強くて、逞しくて、同時にとてもか弱い子だ。守ってやれなかった。俺が……俺自身が彼女を追い詰めてしまった」


 拳を握りしめて項垂れる。自分でも何を言っているかわからない。人魚相手に胸の内を吐露しても仕方がないのに。だが、一度口をついて出た後悔はとどまることを知らずにあふれでる。愛しい彼女を想って目頭に熱を感じた時だった。

 人魚が水面からそっと手を出し、グレイルの胸に触れる。そのまま指を動かして、首から下げている青い石をちょんとつつくと、ふふっと微かに笑った。


「そう。あの子は見つけたのね。自分の大切な人を」


 人魚が優しく微笑む。その言葉の意味がわからず、グレイルが困惑していると、人魚は人差し指を口にあてていたずらっぽく笑った。


「西の方に行ったわ」


 フイに人魚が口を開く。


「エルフの男の人と一緒にいた。彼らの里に行くと話していたわ。ここからずっとずっと西の方にある場所よ」

「そこに彼女がいるのか?」


 グレイルが慌てて問うと、人魚はクスクスと笑いながら彼の胸板をとんと突く。


「行きなさい。きっと待っているはずよ」


 そう言うと、人魚は見事な銀髪を輝かせながら水面に飛び込んだ。鮮やかな青の尾ひれが宙を舞い、キラキラと光る水しぶきと共に辺りはまた静寂に包まれた。

 グレイルは一連の光景を呆然と眺めていた。今の不思議な出来事に、頭の理解が追い付いていない。だが、レティリエがエルフの里にいるという言葉だけは耳に残っていた。

 グレイルはぐっと拳を握り、立ち上がる。居場所がわかったのであれば、後は一刻も早く彼女を迎えに行くだけだ。

 彼は黒狼の姿になると、自分と同じ色を纏う夜の森の中へ跳躍し、やがて静寂と共に闇に同化した。













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