第17話 クロエの正体

 最近レティリエの様子が変わった。

 ぱっちりとした大きな金色の目は絶えず地面を向き、かと思えばどこか物憂げに虚空を見つめている時もある。グレイルも何かとレティリエに声をかけるが、ぼんやりとした返事しか返ってこない為にすぐに途切れてしまい、会話が続かない。

 あの日、ヤマモモの木の下でキスを断られてから、二人はなんとなくぎくしゃくしていた。

 原因は間違いなくクロエだろう。レティリエはよそ者の狼が何か言ったところで簡単にへこたれるタマではない。恐らく、クロエの存在自体が彼女の劣等感を刺激するのだろう。レティリエの心中についてある程度の予想はつけているが、自分はあまり細やかな気遣いができるタイプではないから、彼女の本心はわからない。

 レティリエは昔からあまり自分のことを語りたがらない。弱味を人に見せないのだ。グレイルが何かを言っても、「大丈夫よ」の一点張りで話が先に進まない為に、彼女の気持ちを汲んで、グレイルもレティリエが何か言うまで静観していることにしている。だが、本心ではもっと自分に甘えて欲しいのにと一抹の寂しさも覚えていた。

 だが、それはきっと自分が至らないせいだからなのだ。レティリエの力になってやれない自分自身に、グレイルは歯がゆさと情けなさを感じていた。


 そんなことをぼんやりと考えながら先程狩った野ウサギの血抜きをする。集団での狩りの前に準備運動として早朝に一、二匹程小型の獲物を狩る習慣は未だに継続していた。

 手際よく後処理をしていると、クロエが背中に飛び付いてきた。


「ふふっ。何を考えていたの? あの子のこと?」

「何をしに来た。あっちへ行け」


 存外に言い放ち、クロエの腕を振り払う。最近では朝の個人的な狩りに、「私も準備運動をしたいわ」と言ってクロエもついてくるようになった。このことがレティリエを刺激しているのも間違いない。ことが片付くまで朝の狩りは中止しようかとも思ったが、子供達が朝ご飯のお肉を楽しみにしてるからとレティリエにやんわり断られた。

 彼女が無理をしているのは間違いない。帰りに何かと用事を作ってクロエと一緒に帰宅しないように気は使っているものの、やはり良い気持ちにはならないだろう。


 ──俺が心変わりをすることなんてないのに。


 眉間にシワを寄せながらクロエを睨み付ける。だが、彼女はめげることなくもう一度背中に覆い被さると、グレイルの体を無遠慮に触った。


「なんて逞しい体。うふふ、狩りをする姿も雄々しくて素敵だけど、夜の方も力強いのかしら。気になっちゃうわ」


 これまでの発言とは違う、明らかに男女を連想させる核心めいた発言に、グレイルの耳がピクリと動く。クロエが目障りであることには変わりないが、自分の回りをチョロチョロしているだけなら静観しているつもりだった。だが、本格的に夫婦の間に割り込んでくるのであれば、自分とて黙っている気はない。


「ねぇ、あなた達は愛し合っている夫婦なんでしょう? 子供は作らないの?」

「お前には関係ない」

「あら、関係なくはないわ。だってあなたみたいな強い雄の子供はこの群れにとっても必要だもの。あなたには優秀な子供を儲ける使命があるのよ?」


 クロエが流し目でグレイルを見つめる。その妖艶な瞳が、グレイルにはいよいよ不快に映った。


「悪いがお前の考えていることにはならない。俺の妻はレティリエだけだ」

「あらあら、随分惚れ込んでいるのね。でも、あなた達は子供を作らないんじゃなく、んでしょう? それが本当に正しい選択なのか今一度考えてみなさいな」

「なんだと?」


 クロエの言葉に、グレイルの額に青筋が走る。以前にも増して無遠慮さに拍車がかかっているクロエの発言に、グレイルの神経が逆撫でされる。だが、彼女も先程までの張り付けたような笑顔をひっこめ、真顔でグレイルを見ていた。


「もしも生まれた子供が狼になれなかったらどうするの? きっとあなたも子供も苦労する。悪いことは言わないわ。あの子とは別れなさい。あなたの才能を埋もれさせるのは間違っている」


 もはや嘘の笑顔をかなぐりすてて、彼女は本心から言っていた。そのことがグレイルの胸に荒波を立てる。


「あなただって子供は欲しいのでしょう? あの子の問題を、あなたが一緒に背負ってあげる必要なんてないわ。私達は群れの為に生きる種族よ。たかだか一個人の為に、あなたがそこまでしてあげる義理はない。それに何より……」


 そこでクロエが言葉を切る。


「あなたが可哀想だわ」

 

 クロエの言葉と共に、グレイルの瞳孔が開いた。


 ──可哀想?

 ──可哀想だと? 俺が?


「黙れ」


 言葉を発したと同時に体が動いていた。クロエの細い首を鷲掴みにし、そのまま近くの幹に勢いよく押し付ける。叩きつけられるように幹に縫い止められたクロエがヒュッと息を飲んだ。


「お前に何がわかる! よそものが俺たちの問題に土足で踏みいるな!」


 怒りと共に吠えると、クロエは咳き込みながらもグレイルをきっと睨み付けた。


「いいえ、私は間違ってなどないわ。あなたはあの子といるべきじゃない。私と一緒になった方が幸せになれる!」

「口を閉じろ。次に同じことを言ったら殺すぞ」


 大声で威嚇するが、クロエも負けていなかった。


「私ならあなたと一緒に戦える! 子供のことも悩む必要なんてない! あの子はあなたにとってお荷物になる存在なのよ!」

「いい加減にしろ!!」

 

 グレイルが咆哮した。クロエの首に手をかけたまま、牙をむき出しにして激しい剣幕で詰め寄る。クロエも女性としては背が高い方だが、大柄なグレイルと比べると体格差は明らかだ。グレイルの気迫にクロエがおののき、身を震わせる。


「お前の目的は何だ。何がしたい。言え。さもなくばお前を殺す」


 無論、本気で殺すつもりなどない。だが、グレイルのことをよく知らないクロエからしたら、大の男に詰め寄られるのは恐怖でしかないだろう。至近距離で眼光鋭く睨み付けると、クロエの目に怯えの色が見てとれた。


「セヴェリオの差し金か?」

「違う! 何も目的なんてないわ! 私は本当にあなたの妻になる為に来たの!」


 だが彼女もやはり誇り高き狼だ。なかなか口を割らないクロエに苛立ち、グレイルがさらに詰め寄った時だった。

 ふっと鼻先を掠める匂いにグレイルの嗅覚が反応する。違和感を覚え、クロエの首もとに鼻先を近づけると、思った通りセヴェリオの匂いがクロエの体から感じられた。だが、それとは別に微かに違う匂いも感じる。

 どこか慣れ親しんだ乳臭い匂い。だが知らない匂い。


「……子供か?」


 グレイルの声に、クロエがびくりと体を震わせる。


「お前、子供がいるんだな」


 今度こそクロエは完全に色を失った。顔面が蒼白になり、唇がわなわなと震え、恐ろしいものを見るような目つきでグレイルを見る。


「……子供は関係ないでしょ」

「いや。お前がこれ以上俺達に近づくのであれば、お前じゃなく子供を殺す。いいな?」

「やめて!! あの子に手を出さないで!!」


 先程とはうってかわって必死の形相をしたクロエが叫ぶ。彼女の金色の目から大粒の涙がポロポロと溢れ落ちた。

 虚をつかれたグレイルが右手を離すと、クロエは地面に崩れ落ち、顔を覆いながらさめざめと泣いた。


「マーシュ……マーシュ……お母さんを許して……」

「……子供を人質にとられているのか」


 グレイルの言葉にクロエがこくりと頷く。子を想って泣く姿は、セヴェリオの手先ではなく、純粋な一人の母親だった。グレイルはため息をつくと、地面に座り込んですすりなくクロエに右手を差しのべる。


「お前の立場はなんとなくわかった。全部話してくれないか。場合によっては俺達が協力する」

「ダメよ……そんなことをしたら、あの子はきっと殺されてしまうわ……」


 クロエが怯えながら首を振る。よほどセヴェリオが怖いのだろう。だが、グレイルはクロエの肩を掴むと、そのままグイと上に持ち上げた。


「だがこのままでは何も変わらないだろう。お前も狼なら立ち上がるんだ。戦わなければ、愛する者は守れない」


 グレイルの言葉に、クロエの瞳が揺れた。

 彼女が何を思ったのかはわからない。だが、クロエは一瞬目をつむると、自分の肩を引っ張るグレイルの右手を掴んだ。


「わかったわ……あなたに従いましょう」


 そう言うとクロエはぐっと手に力を入れ、両の足で立ち上がった。

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