第41話 開戦
翌日の日暮れに、レティリエとグレイルを筆頭にして、仲間の狼は村へと帰還した。村の北門から少し離れた場所に身を潜め、木々の間からそっと周辺の様子を確かめる。
北門は村の中でも一番大きな門だ。大柄なグレイルでさえも見上げるように高く、左右の門扉も巨大な一枚板のよう。東と西の門は精々二、三人程度が通れるほどの幅しかないことに比べて、北門はその倍はある。狩った獲物の数が多かったり、ドワーフから大量に金物や大工道具などを譲ってもらうときはこの北門を使うのだ。攻めこまれにくくする為に、門は内側から外側へ開く構造になっており、今は門番の狼が左右に立っている。狩りで出入りが激しくなる時間帯だからか、門扉は左右に大きく開け放たれていた。
グレイルは慎重に辺りを見回して、他に敵側の狼がいないことを確認すると、最後に隣にいるレティリエを視界に入れた。
「レティ、行くぞ」
彼の言葉に、レティリエも無言で頷く。その一言を皮切りに、戦いの火蓋は切って落とされた。
地面を蹴ってグレイルが前方へと駆け出す。仲間の狼達もそれに続き、大勢で北門を取り囲むように並んだ。
「な、お前らはなんだ!?」
突如として森から現れた複数の狼に二人の門番が怯む。慌てて門を閉めようとする彼らの前に、レティリエは仲間の狼達を掻き分けるようにしてゆっくりと姿を現した。
「お前は…!!」
レティリエの姿を見て、門を閉めようと扉を押していた門番の手が止まる。長が欲しがっていたドワーフの指揮権を持つ女。自分達の長を出し抜いて群れの誇りを傷つけた女。彼女は今、長い髪を狼の尻尾のようにひとつに結わえていた。風にふわりと揺れる銀髪を見て、門番達の目が怪しく光る。
「おい! 銀色の女がいるぞ! 早く増援を呼べ!」
一人の門番が吠え、 もう一人が高らかに遠吠えをあげる。と同時に、それに答えるがのように村の奥からこちら側へ向かってくる複数の足音が聞こえ始めた。
「俺達も行くぞ!」
グレイルが吠え、仲間の狼達も一斉に門へ突撃した。多勢に無勢で門を通り抜けようとするも、門番二人もかなりの実力者だ。いの一番に門を潜り抜けようとしたグレイルに怯むことなく飛びかかり、首を狙おうと鋭い牙を光らせる。グレイルも迎撃の構えをとり、激しくもつれ合いながら組み合った。
もう片方の門番も、力付くで門を潜り抜けようとする狼に容赦なく噛みつき、その鋭利な爪で肌を切り裂く。そうこうしているうちに村の奥からやってきた増援も加わり、北門の前で激しい戦闘が始まった。
レティリエは目の前で繰り広げられる争いの様子を、少し離れた場所で冷静に見ていた。敵の狼の一人がレティリエに気付き、目を光らせながらこちらへ駆けてきた。だが、左右から灰色と赤い色の狼が彼を迎え撃ち、三匹で交戦する。ローウェンの指示通り、敵の狼が一匹に狙いを定める度に、コンビの片割れであるもう一匹が敵の邪魔をし、なかなかその首をとらせない。
森に響き渡る怒声。唸り声。血の匂い。濛々と吹き荒れる砂煙が戦闘の激しさを物語っている。時間が経つにつれて敵側の増援も少しずつ増えているようだ。グレイルも交戦しながら冷静に状況を分析する。今、また北門を通って敵側の狼が戦闘に加わるのを見て、グレイルは空に向かって高らかに三回吠えた。
───
「グレイルの声が聞こえたな。俺達も行くぞ」
同じく村の周りの森で身を潜めたローウェンが口を開く。その傍らにいる狼姿のテオが、悲しそうにため息をついた。
「ひでえ…今からこれをめちゃくちゃにするのか」
「ちょうどいい。この柵は敵が来ることをあまり想定されていなかったからな。これを機会にもっと堅牢なものをこしらえよう」
「それを作るのは俺らだろ? はぁ……村長さんは人使いが荒いぜ」
「そうも言ってられるかよ。行くぞ」
ローウェンの声を皮切りに、背後に控えていたドワーフ達が一斉に動き出した。
「うおおおおおおおおお!!!」
「南側は村長の家があるから門が設けられてないんだろ? こんなに柵を壊すくらいなら最初から門を作っておいてくれよぉ……」
「俺達狼は武器を持つ相手と戦うことがないからこれが一番都合が良いんだ。テオ、もう諦めろ」
手塩にかけた柵が無惨にも破壊されていく様子を泣きべそをかきながら見ているテオに、ローウェンが叱咤する。
狼達は武器を持たない。生身の体で戦う狼にとって多大なる防御力を発揮する柵は、鋼鉄の武器を持つドワーフの前ではただの木の杭に等しかった。
あっという間に柵は壊され、そこから狼達が次々に村の中へと雪崩れ込む。目指すは村の南側に位置する村長の家、もといセヴェリオ達が居を構えている集会所だ。仲間からの遠吠えで、集会所に人影があることも事前に確認している。ローウェンを筆頭にして狼達はあっという間に集会所を取り囲んだ。敵側の狼は周囲にいない。彼らは今北側のいざこざを対処するのに精一杯だ。北門でグレイル達が騒動を起こして人を集め、手薄になった所で南を攻める、というのがローウェンが描き出した道筋だった。
異変に気づいた敵側の狼が慌てて集会所を目指して走ってくる姿が見えたが、構わずに集会所へ攻めこむよう指示を出す。ローウェンの指示で、彼の傍らにいた数匹の狼が瞬時に中へ入っていく。と同時に建物の中から激しく争う音が聞こえてきた。家具が壊れる音、威嚇する声、耳をつんざくような悲鳴。ローウェンは集会所の外で静かにその様子を見守っていた。
やがてドタドタと建物の中で誰かが走る音が聞こえ、三階の吐き出し口の窓が開いて中から仲間の一人が顔を出した。
「長! やりました! 赤茶色の狼を捕らえました!」
「よし、でかした」
仲間の報告に、ローウェンが労いの声をかける。だが、同時に彼の研ぎ澄まされた獣の本能が脳の片隅で警鐘を鳴らしていた。
どう見てもアッサリしすぎている。これだけ自分達を苦しめたセヴェリオ達がこんなに呆気なく退場するわけがない。ローウェンは集会所の下から、上に向かって声をかけた。
「念のため、そいつの顔を見せてくれ」
三階の掃き出し窓から顔を出していた仲間が奥へ引き込み、数人がかりで暴れまわる赤茶色の狼を外へ引きずり出す。その顔を見たとたん、ローウェンの傍らにいるクルスがハッと息を飲み、ローウェンは自分の勘が悪い方に当たったことを悟った。
同種の人狼とは言え、狼の姿になってしまえば人の姿よりは個の判別がつきにくい。彼の姿をよく知らない仲間達は、おそらく毛並みの色で集会所の中にいた人物をセヴェリオだと判断したのだろうが、その狼はどう見ても敵の長ではなかった。
「違う! そいつはセヴェリオじゃない! 別のやつを捕まえろ!」
「その必要はない」
突然、背後から低い声が聞こえた。慌てて振り向くと、そこには沢山の狼を引き連れた灰褐色の狼──ジルバがいた。
「お前……!」
「残念ながら、セヴェリオはここにはいない。数日前からな」
ジルバが不敵に笑う。見ると、集会所を取り囲んでいたと思っていたローウェン側の狼達は、逆にジルバ側の狼に完全に囲まれていた。
逃げ場のない、八方塞がりの状態。
「読まれていたのか……」
集会所の中に囮を仕込んでおいたのも、時間稼ぎをしているうちに包囲する為だったのだろう。ローウェンが悔しそうに唇を噛むと、ジルバが金色の双眼を残忍に光らせた。
「村長であるお前は行方不明。この群れの要でありそうな黒狼と銀狼も村を出た。おまけに最近、クルスとかいう男の妻と名乗る女が群れに戻ってきたとあれば、何かしらの警戒をしておくに越したことはないだろう?」
「くそっ……ナタリアのことも気づいていたのか……」
「確証は持てなかったがな。だが、お前らがここに戻ってくるのであれば、今度こそ私達の脅威である黒狼と銀狼を始末できると思ったのだ。我々はもう貴様らの力をこちらに取り込むのをやめた。その代わり、全力で潰す。私達の平和を脅かす存在が外にいるとあっては放っておくわけにはいかないからな」
言いながらジルバが一歩前に進み出る。同時にローウェン達を囲んでいる狼も前へと進み、ローウェン達は後退した。じりじりと詰められ、追いやられていく仲間達を見て、ローウェンの背中に冷たいものが流れる。
絶体絶命の危機。
このままではろくな抵抗もできないまま、自分の首をとられて終わりだ。
だが、ローウェンはこの状況下にも関わらずニッと口角を持ち上げた。
「お前、なかなかやるな。俺のライバルと認めてやろう」
「囲まれた状態で何を言う。お前は私が首をとって
「それはどうかな? 俺だって色々と考えてるんだぜ?」
そう言うと、ローウェンは空へ向かって鋭く吠えた。日は落ち始め、血の色に染まった空にローウェンの声が高らかに響き渡る。
一瞬の沈黙。そして次の瞬間には、大地を揺るがすような騒音が周囲に響き渡った。と同時に、大勢の狼達がこちら側に向かって一目散に走ってくるのが見えた。
「貴様…何をした!」
「お前は一筋縄じゃいかないそうだからな。俺も色々と手を考えていたのさ」
「くっ……早くあいつの首をとれ!」
ジルバが咆哮する。何匹かの狼達がローウェンの首を狙おうと飛びかかってくるが、ローウェンの両脇からクルスとナタリアが飛び出てそれを迎え撃つ。
「皆! ローウェンを守るんだ! 行け!」
クルスが叫ぶ。彼の
そうこうしているうちに、門から走ってきた仲間がジルバの布陣に突撃し、ローウェンを囲っていた陣が崩れた。そしてその場で激しい戦いが始まった。
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