第4話 襲撃


 厄災が飛び込んできたのは、銀色の月が薄桃色の空に溶けかかっている明け方だった。


 異変に気がついたのはグレイルだ。狼の遠吠えと共に何かが急いでこちらに向かってくる気配を感じとり、彼は寝台から飛び起きた。早急に身支度を整え、周囲の物音をひとつ残らず拾おうとピンと耳をそばだてる。


「何かが来る……!」


 ただならないグレイルの様子に、レティリエも急いで衣服を身に付ける。震える自身の心を落ち着けようと、庇うように自分の前に立つグレイルの腕にそっとしがみついた。

 ガサガサ、パキパキと木や草を踏み鳴らす音がレティリエにも聞こえ始めた。音は猛スピードでこちらに近づいており、すぐ側で聞こえたと思った瞬間、ドンッと家を揺り動かすような重たい衝撃音と共に扉が大きく震えた。

 間髪入れずにグレイルが外に出る。血のように赤い朝ぼらけの空の下に倒れていたのは、ボロボロになった一匹の狼だった。息は荒く、全身傷だらけで所々が酷く出血している。


「どうした?! 一体何があった?」

「グレイル……!! べ、別の群れが襲ってきたんだ……! 今村は包囲されてる……!」


 ゼイゼイと荒い息を吐きながら仲間が絞り出すように声を出す。見ると、体の傷は全部噛み痕だ。グレイルの顔が瞬時に険しいものになる。


「レティ、すぐ村に戻るぞ」


 倒れている仲間を担ぎ上げ、寝台に横たえながらグレイルが低い声で言う。今、村は敵によって危機に瀕している。狼になれず、戦うことのできないレティリエは足手まといも同然だ。

 それでも彼は、ここで待っていろと言わなかった。レティリエの力が必要だと思ってくれているのだ。


「わかったわ」


 レティリエは瞳に決意の光を灯しながら力強く頷いた。



 レティリエは狼姿のグレイルの背に乗り、まだ薄暗い森の中へ飛び出していった。

 仲間の狼から聞いた話によるとこうだ。明け方、突如現れた他の群れの狼達に北の門が襲われ、門番が負傷したらしい。騒ぎを聞き付けた村の仲間達が北門に集まり、敵を追い払おうとするも、一歩も退く気配が無いと言うことだ。数は少ないが、恐ろしい程強く、現在も交戦中でにらみ合いが続いているとのことだった。


「とうとう、この日が来てしまったのね」


 疾風のごとく走るグレイルの毛並みにしがみつきながら、レティリエが呟く。

 狼同士の縄張り争いはよくあることだ。勝った者は生き、負ける者は死ぬ、自然界の残酷なまでにシンプルなルールだ。幸か不幸か、レティリエ達は、今までに経験したことがなかったのだが。


「ああ。お前も、覚悟を決めてくれ」


 グレイルが固い声色でそれに答える。今から始まるのは命の奪い合いだ。お互い、何があってもそれを受け入れなければならない。     

 レティリエは目を詰むって仲間達の無事を祈った。



 飛ぶように村まで戻り、村から少し離れた小高い丘の上から様子を伺う。

 狼の村には北と東西に出入りする為の門があり、村全体は背の高い木の柵で囲われている。南に門が無いのは、リーダーである村長の家が村の南側に位置するからだ。

 狼同士の戦いの場合、長が逃げる、または殺された時点でその群れは襲撃者のものとなる。今一番守るべきは、村長であるローウェンだ。


「グレイル、状況はわかる?」

「ああ、確かに囲まれているな」


 レティリエが小声で聞くと、丘の上から注意深く様子を観察していた狼姿のグレイルが答える。

 レティリエも身を隠しながらそっと覗きこむと、見慣れた北の門に何匹かの狼達が睨み合っている姿が見えた。


 門を境にして、内側に数十匹の仲間の狼が、外側に敵の狼が十匹対峙している。数の方では仲間達の方が有利に思えるが、彼らは睨み合ったまま動こうとしない。


「どうして皆動かないのかしら」


 レティリエが不思議そうに言うと、グレイルが険しい顔をしながら、くいと鼻先で前方を指した。


「あれは動かないんじゃなくて動けないんだ。門の幅は狭い。一度に襲いかかろうと思っても、精々二匹程しか通れない。やつらは、村の者が門を出た瞬間に確実に仕留めるつもりだ。それにおそらく……敵側の狼と俺達とでは戦力に圧倒的な差がある」

「そんな……!」


 レティリエが小さな悲鳴をあげる。と同時に、仲間の狼達に動きがあった。


 仲間の一人が遠吠えをあげ、一斉に門の外へ向かって走り始める。広い森へ場所を移して戦闘に持ち込むつもりなのだ。多勢に無勢で門を通り抜けようとするが、仲間の一人が村を出た瞬間、静観していた敵の狼が次々に躍りかかった。

 仲間の体に食い込む鋭い牙と強靭な爪。一噛みされた狼は悲鳴をあげながら地面に倒れこんで動かない。脊髄を損傷したのだ。敵側の狼のたった一撃が、彼から戦闘力を奪い取った。

 門を通り抜ける仲間達も、次々と敵の狼によって沈められていく。立ち上がる砂塵、怒声の様な悲鳴と雄叫び。ほとばしる鮮血が雨の様に地面を濡らし、辺り一面に濃い血の匂いが漂う。

 仲間の一人が吠え、村の者達は一斉に動きをとめる。そのまま門を通り抜ける者は誰もいなくなった。




 レティリエは一連の戦闘を青ざめた顔で見ていた。何度も悲鳴をあげそうになった所を、両手で口をおさえて必死で圧し殺す。傷ついた仲間のことを思うと胸が刺されたように傷んだ。


「まずいな」


 グレイルが前方を鋭く睨みながら低く唸る。冷静に戦況を見つめている彼も、怒りで全身が総毛立っていた。


「あれは村に入ろうとしているわけじゃない。やつらは村から俺達を出さないようにしている。おそらく……兵糧攻めにする気だな」


 その言葉でやっとレティリエにも合点がいった。

 狩りに行かれなければ、いずれ村の食糧は尽きてしまう。敵の狙いはそこだ。相手もこちらの戦力がわからない以上、闇雲に攻めるつもりはないらしい。その代わり、じわじわと弱らせるつもりなのだ。敵からしてみれば、寝床さえ確保してしまえば獲物に困ることはないのだから。


「そんな、ひどいわ」


 レティリエが震えながら絞り出すように呟く。

 レティリエにとっても群れ同士の戦闘は初めてだ。実際の縄張り争いは経験したことがなかったが、以前別の群れからやってきた狼から聞いた話では、もっとシンプルな総力戦だったと聞いている。このような戦闘はレティリエも聞いたことがない。


「ああ。向こう側に頭のキレるやつがいるな」


 グレイルが戦況を見つめながら言葉を紡ぐ。彼もどう動けばいいのか考えあぐねている様子だ。


「一先ず、全体の様子を見てくる。レティはここで待っていてくれ」


 そう言うと、グレイルは狼の姿のまま森の奥へと走っていった。

 残されたレティリエも、自分なりに状況を整理する。狼になれない自分は、戦力にならない。だが、自分にもできることは必ずあるはずだ。レティリエも必死に頭を働かせながら打破する道を考える。

 そうこうしているうちに、偵察を終えたグレイルが戻ってきた。


「村全体をぐるっと見てきた。東と西の門も同じような状況だな。内側からの突破は無理だ。そうなると外側から攻めるしかないが……」


 グレイルが瞳を地面におとしたままじっと考え込む。グレイルが戦況を整理してくれたおかげで、レティリエの頭にひとつの案が浮かんだ。


「グレイル、私に考えがあるの。ちょっといいかしら?」


 グレイルの耳元に口を寄せて何事かをささやくと、グレイルが驚愕の表情を浮かべた。


「レティリエ、それは……いや、やってみる価値はあるかもしれん」

「ええ、もうこれしか方法は無いと思うの」


 レティリエの言葉に、グレイルは逡巡しながらも頷く。グレイルはレティリエを背に乗せると、森の奥へと姿を消した。

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