第2話 ドワーフ達

「お~お前ら、よく来てくれたな」


 扉を開けて出迎えてくれたローウェンは、二人を見るとにっこりと笑った。背中まである長い茶色の髪が風に揺られてたなびく。


「ローウェンも、その後調子はどうだ?」

「まぁ村長になって日も浅いから、レベッカに助けてもらってばかりだよ。今はあんまり負担かけたくない時なんだがなぁ」


 グレイルが問うと、ローウェンが自身の至らなさにポリポリと頬をかく。それでも、彼の目は幸せに輝いていた。その理由を知っているレティリエはふっと優しく微笑んだ。「まぁとりあえず入ってくれよ」というローウェンの言葉に促されて家の中に入ると、温かく優しい空間が出迎えてくれた。

 窓枠にかかるレースのカーテンがふわりと風に揺られ、木製の家具の落ち着いた深みのある色合いが居間を彩る。所々に花が飾ってあり、若い夫婦にぴったりの明るい部屋だった。

 前村長が体力の限界によりローウェンに村長の座を譲り、その際に家の内装も変えたのだ。以前の村長の家──レティリエが人間に売られた場所──の面影は全くなく、レティリエも晴れやかな気持ちで奥へと進む。

 居間に通されると、座り心地の良い革のソファの上に、膝掛けをかけたレベッカが座っていた。


「おはよう、レベッカ。体調はどうかしら?」


 彼女のもとに歩み寄りながら声をかけると、レベッカの目が嬉しそうに弧を描く。


「まぁまぁよ。最近、少し動くのを感じるようになってきたわ」


 そう言って自身のお腹を優しく撫でる。ぽっこりと膨らんだお腹は、そこに新しい命が宿っていることを教えてくれていた。


「撫でてもいい?」


 そう聞くと、レベッカが頷く。ソファへ近づき、身を屈めてレベッカのお腹を優しく撫でると、手の下で微かなうねりを感じた。


「あっ今動いたわ」

「そうなのよ。最近よく動くようになって」


 目には見えないが、それでも確かに存在する我が子をいとおしむようにレベッカもお腹に手を置く。その姿はもうすっかり母の顔だった。


「お前も父親になるのか。感慨深いな」

「ははっ。俺も信じられないさ」


 グレイルの言葉に、ローウェンが頬をかきながら答える。村長になったばかりで、色々と不馴れなことだらけで大変なはずなのだが、それでもその疲れが見えないのは、彼が今幸せの絶頂にいるからなのだろう。彼の笑顔を見て、レティリエも自然と顔を綻ばせる。


「そうだわ。これ、忘れないうちに。キイチゴのジャムよ」


 レティリエが思い出したように手を叩き、籠の中のビンをレベッカに渡す。レベッカはビンを受けとると、嬉しそうに微笑んだ。


「ありがたく頂くわ。最近ローウェンがうるさくて、外に出るのも一苦労なのよ。俺がいる時にしろって。キイチゴを採りに行くくらいなんともないのに大袈裟で」

「だって何かあったら大変だろ。お前一人の体じゃないんだし」

「はぁ……あんたはもっと堂々としていなさいよ。もうちょっとどっしり構えてほしいものだわ」


 そう言いながらも、夫を見るレベッカの顔はとても嬉しそうだった。睦まじい夫婦のやり取りに、レティリエの胸をもふわりと温かくなる。願わくば、こんな幸せな光景がずっと続いてほしいとレティリエは心から思った。

 本当はもう少しここで時間を過ごしたいところだが、そろそろドワーフの集落へ向かった方が良いだろう。レティリエはもう一度レベッカのお腹を撫でてお腹の赤ん坊に挨拶をすると、おもむろに立ち上がった。


「それじゃあ、私達はもう行くわ。今日はこの後ドワーフの皆の所に行くのよ。また遊びに来るわね」

「ああ、わかった。彼らによろしく伝えておいてくれ」

「ええ、もちろんよ」


 最後にもう一度ローウェンとレベッカに挨拶すると、二人は彼らの家を後にした。




 東の門から村の外に出ると、グレイルが即座に狼の姿になる。レティリエがその背に乗ったのを確認すると同時に勢いよく地面を蹴った。

 ドワーフの集落は、狼の村の東に位置する。村からは狼の姿で走って数時間の距離だ。本来は村から離れた場所に位置する、二人の家から行く方が早いのだが、今日はどうしてもレベッカにジャムを渡したかったが為に無理を言ってしまったのだ。


 秋の終わりを告げる冷たい風が吹き付けるが、ふさふさした狼の背中に乗っているので寒さは感じない。レティリエは銀色の髪を風になびかせながら、彼の漆黒の毛を優しく撫でた。


「グレイル、いつもごめんね」


 身を屈めてグレイルの耳元で囁くと、ふっと微かに笑う声が聞こえた。


「今更だな。お前一人の重さくらい何ともないさ」

「でも、私がきちんと狼になれたらもっと速く走れるのに……」

「なんだそんなことか。よし、見てろよ」

「え? きゃあ!!」


 グレイルが加速し、レティリエは慌てて身を低くする。息ができなくなるくらい殴り付ける風。立っていられなくなり、両腕をグレイルの首にまわしてがっしりとしがみつく。


「グレイル! 私……! 振り落とされそうだわ!」


 彼が跳躍したと同時に体がはねあがり、首に回した両腕に力がこもる。もはや抱きついているも同然だ。顔を寄せて必死に叫ぶと、グレイルがチラリと横目でレティリエを見てニヤリと笑った。


「そうか、俺は役得だけどな」

「もう、バカ!」


 軽口を叩きながらなおも走り続けていると、開けた場所に出る。グレイルが飛ぶように走った為か、あっという間にドワーフの集落へたどり着いていた。

 

 ごつごつとした岩肌にぐるっと囲まれた広い敷地。そこに、今日も大勢のドワーフ達が炭鉱作業に勤しんでいた。

 グレイルから降りて数人のドワーフに挨拶をする。すると、集落の奥から中年の女のドワーフがこちらに駆けてくるのが見えた。


「マルタさん!」


 レティリエが嬉しそうに言うと、マルタがやってきて笑顔でレティリエを抱き締めた。


「いらっしゃい、よく来たね」

「ええ、マルタさんもお元気そうで」


 ドワーフの者達には、かつて人間に拐われて売られそうになり、危機一髪で逃げ出した時に匿ってもらったことがある。おおらかな気質と陽気な性格のドワーフはいつでも二人をあたたかく迎えてくれた。二人にとってここは第二の故郷でもあるのだ。秋は豊寿の祭りに備えて狩りの回数が増える為になかなか集落へ足を運ぶことができず、ここに来たのは夏以来だ。

 マルタが人懐こい笑みを浮かべながら二人の肩をバンバンと叩く。


「さ、久しぶりに来たんだから中に入りなよ」


 マルタの言葉に、二人は頷いて地下集落へと足を向けた。



※※※



「……では、鉄の調理器具と石の大工道具をお願いしてもいいですか? 先日も送っていただいたので……えーと、二十ずつくらいあれば足りると思うわ」

「あいわかった。用意しておくよ」

「こちらからは毛皮の防寒着ですね。ウサギと狐あたりが良いかしら」

「そうさね、なるべく多くお願いしたいね」


 レティリエとマルタで交渉する。ドワーフとの交渉ごとについては、村長であるローウェンからすべて裁量権を任されているのだ。  

 次の物々交換の品目や量を話終えると、レティリエはぺこりと頭を下げた。今回の交渉はこれで終わりの合図だ。マルタも側にいる夫のギークに今の話を伝えると、レティリエの方に向き直った。


「そういや、この前は沢山の食糧を送ってくれてありがとうねぇ。正直、最近獣の数が少なくなっていて、このままだとあたしらは飢え死にする寸前だったんだ。おかげで助かったよ」

「そうですか、それなら良かったです」

「私達はありがたいけど……あんた達は大丈夫なのかい? 狼だって、冬の備えは必要なんだろう?」

「はい、なんとかやっていけそうです」


 前年の冬は寒さが厳しく、あまり植物が育たなかったのもあり、野生の獣の数が減っているのだ。食糧調達に困難なのは狼もドワーフも同じだ。だが、ドワーフ達が冬仕度に困窮していることを知り、レティリエは思いきってドワーフ達に大きく食糧の支援をすることを決めたのだった。

 ドワーフ達は心から感謝しているらしく、マルタは何度もお礼を言ってレティリエの手をぎゅっと握った。


「折角来たんだからゆっくりしていきなよ。今、準備をするからここでちょっと待ってておくれ」


 そう言ってマルタが部屋から出ていく。二人きりになると、後ろに控えていたグレイルがそっと近寄ってきた。


「レティリエ、さっきはああ言ったが、本当に大丈夫なのか? あれほど食糧を分けて、俺達狼に行き渡らないなんてことになったら、責任をとるのはローウェンだぞ」

「交渉する前に細かく計算したわ。今年はギリギリ大丈夫だと思うの。私達は自分達で育てている穀物や、森でとれる果実も食べるけど、ドワーフ達は基本的に獣肉だけだもの。食糧の問題は彼らの方が深刻だわ」

「そうか、お前がそういうなら大丈夫だな」

「ええ。それにね、困ったときはお互い様だと思うの。今は彼らの方が問題の深刻さが大きいわ。本当に信頼関係を築くなら、こちらが少しくらい損をしてもいいと思うのよ。でも、きっとそうやって築いた信頼関係なら、きっと私達が困っている時に彼らも助けてくれると私は思うの」


 そう言ってグレイルの目を見上げる。必死で考えて出した結論だ。それでも完全に自信があるわけではない。レティリエの瞳に不安の色を感じたのか、グレイルが笑いながら肩を叩いた。


「大丈夫だ。お前は昔から洞察力があるからな。それに、万が一食糧が足りなくなったら、不足分は俺が獲ってきてやるさ」


 幼馴染みの頼もしい言葉にレティリエは微笑んだ。いくら彼が狩りの能力に優れているとはいえ、何十といる狼達の不足分の食糧を彼一人で賄うのは無理な話だ。それでも、そう言って自分を元気づけてくれる彼の存在が心強い。


「ありがとう、グレイル」


 心からそう言って、彼の手を両手できゅっと握る。彼の体温と共に勇気が流れ込んでくるようだった。

 

 そうこうしているうちに準備が整ったらしく、マルタが部屋に入ってきた。

 彼女に連れられて部屋を出て地下集落へと出る。大きな製鉄の炉、でんとそびえ立つ石細工の工房、ここはかつてグレイルが人間によって傷を負わされた時に安らぎの一時を過ごした場所だ。

 懐かしい光景に目を奪われていると、「レティリエさん」と自分を呼ぶ声が聞こえた。

 驚いて振り向くと、そこには十歳くらいの女の子が立っていた。どことなく懐かしい顔の少女だ。首を傾げていると、髪の毛を束ねている白い布地に、見覚えのあるチューリップの刺繍が入っているのがわかった。その瞬間に忘れていた記憶とひもずく。


「えーと、リリーちゃん…?」

「うん、お姉ちゃん久しぶりだね」


 リリーは、かつて二人がドワーフの集落で療養していた時に出会った女の子だった。洋服の裾が破けてしまった為、縫いあとを隠すようにチューリップの刺繍をいれてやったのをよく覚えている。


「まぁ! 大きくなったわね」


 初めて会った時はまだ年端もいかないような子供だったはずだ。驚くと同時に、彼らドワーフが自分達よりも寿命が短いことを思い出す。少し会わないうちにもうすっかりと可愛らしい少女になっていた。


「子供達は……あっという間に大きくなるんですね」


 数名の子供達がグレイルを取り囲み、彼がその頭をワシワシと撫でているのを見ながらポツンと呟くと、マルタが優しい目で子供達を見つめた。


「あたしも最近年を感じるよ。でもこうやって次の世代が育ってるのを見ると、老いていく意味があるってものさ」

「ええ、そうですね」


 少しだけ逞しくなった子供達を見て、レティリエも微笑みながらそれに答えた。

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