第20話 敗北

 次の日の朝、レティリエは自らを偵察として送り込むことをグレイルに提案した。

 クロエから話を聞いたことで、二人の関係性や人となりをおぼろげに理解できたのは大きい。奇襲をしかけるのであれば、情報は多い方が良いとレティリエは思ったのだった。


「本当に大丈夫か。無茶はするなよ」


 グレイルが心配そうな顔で見つめてくる。レティリエはふるふると首を振ると、彼を安心させるように微笑んだ。


「彼らは私がドワーフの大軍を指揮できると思っているわ。私がその要である以上、殺されることはないはずよ。もしその気なら、以前の戦闘時にアッサリ殺されているはずだもの」

「そうか……何かあればすぐに俺を呼べよ」


 レティリエの言葉に、グレイルは眉を潜めながらも頷いてくれた。


 孤児院を出て、その足で村長の家に向かう。見慣れたローウェンの家の扉が、まるで自分を拒絶しているかのように重たく見えた。

 レティリエは大きく深呼吸をするとコンコンと扉を叩いた。返答はない。不在であるならば、何かしらの手がかりを見つける為になんとか中に入ることはできないかと扉の前で考えを貼り巡らしていると、ふっと背後に誰かの気配を感じた。

 慌てて振り返ると、一人の男が訝しげな顔でこちらを見ていた。知った顔で無いところを見るに、セヴェリオ陣営の狼だろう。


「お前は……例のでき損ないか。なぜここにいる」


 ぶっきらぼうに言う彼に、レティリエはぐっと拳を握ると、つんと顎をそびやかした。


「あら、むしろ呼ばれたのは私の方よ。話があるから家に来るようにセヴェリオ様に言われたの。多分ドワーフの話だわ」

「そんな話、俺は聞いていないぞ」

「あら、じゃあ入れ違いになってしまったのかも。私もさっき聞いた話だから。中で待っているように言われたわ」


 疑わしげな視線を向けてくる狼なぞ気にせずシレッと嘘をつく。彼は暫くうさんくさそうにレティリエを見ていたが、やがてふん、と鼻を鳴らした。


「まあいい。どのみちお前は狼になれないから滅多なことはできんだろう。来い」


 レティリエのことを侮っているらしいその狼はアッサリと中に入れることを了承してくれた。狼になれない、見るからにか弱い女がまさか偵察に来ているとは思いもよらないのだろう。彼らセヴェリオ陣営は自分のことをよく知らない。レティリエはそこをつくつもりだった。

 ローウェンの家ではなく、村長の家から少し離れた場所に建っている村の集会所へと案内される。どうやらセヴェリオとジルバは元村長の家ではなく、集会所を居住地としているらしかった。

 レティリエが不思議そうな顔をしていると、その狼が扉の鍵を開けながら口を開く。


「あの家は窓が少ないから敵襲が来たときに逃げにくい構造らしいぞ。本当にお前らは温いというか、かなり危機意識に欠けてるんだな」


 なるほど。レティリエは頭の中で彼らの思考を読む。確かに集会所の鍵は村長が管理をしている為、あそこに居住するのに不都合は無い。簡易ながら生活に必要な設備も整っている。 

 男が鍵を開けるのを待ちながら、レティリエは改めて集会所の周囲を観察した。村で一番大きなこの建物は三階建てで、村のやや南よりに位置している。ちょうど村長の家と孤児院の中間に当たる場所だ。建物をぐるっと囲むように新しく低木が植えられているのも、攻めこまれにくくする為の工夫なのだろう。これもジルバの思い付きなのだろうか……改めて手強い相手に、レティリエは内心で気を引き締める。


 集会所に入り、そのまま最上階へ通される。部屋の中は簡素で、小さな物机と2台の寝台しか置かれていない。

 レティリエは案内の狼がいなくなるのを見届けると、そっと中を見渡した。ここにくるまでもいくつかの部屋の前を通ったが、クロエの子供がいる気配がない。クロエ曰く、彼はセヴェリオの家にいるということだったのだが。

 何か手がかりとなる痕跡や、彼らの人となりがわかるものを見つけられないかとレティリエは部屋の中を探し始めた。

 物机に目をやるが、目ぼしいものは置いていない。解体に使うであろうナイフのスペアや、お酒の瓶、あとはセヴェリオの物と思われる金色の耳飾りや黒い石がはまった首飾りが置いてあるくらいだ。レティリエは焦燥感に駆られながらあちこちひっくり返すが、他に私物らしいものは出てこなかった。群れの統合を繰り返し、移住をする生活である為に彼らはあまり物は持たない主義なのかもしれない。


 その時、ふわりと風がレティリエの髪を撫でた。振り返ると、天井から床まである吐き出し窓が微かに開いており、カーテンが風を受けてたなびいていた。窓を閉めようと近づき、外を見る。小さく点々と立ち並ぶ家々と、煙突からでる灰色の細い煙。村を縦横に走る小川は陽の光を受けてキラキラと輝いていた。

 集会所から外を覗いたことはなかったが、なるほど、ここからなら村のかなり遠くまで見渡すことができるのだ。見晴らしの良さも、彼らがここを居住地に選んだ理由のひとつなのだろう。ジルバの差し金なのだろうが、なかなか隙のない相手だ。


 他の部屋も覗きながら階下に降りていく。だが、目立ったものは置いておらず、子供の手がかりもない。一番下までおり、玄関に近い最後の部屋を覗く。だがここも空っぽで、家具すら置いていなかった。無謀な行動だったかとレティリエが建物を出ようと考えた時だった。 


「ここで何をしている」


 鋭い声が背後からかけられ、レティリエは慌てて振り向く。引き締まった大柄な体に灰褐色の髪を後ろに撫で付けた男が立っていた。太い眉に鋭い金色の目。人の姿で見るのは初めてだが、彼はおそらくジルバだろう。戻ってきたのがセヴェリオではなく、扱いにくそうなジルバであることにレティリエは内心で歯噛みする。彼は鋭い目でレティリエを睨み付けながら口を開いた。


「誰に許可されてここに来た」

「私はあなた方に話があってきたのです」


 心を落ち着かせながらレティリエが口を開く。


「ジルバ様、私はセヴェリオ様の傘下に入るためにやってきました。クロエさんがグレイルと仲良くなってしまって私はもう居場所がないのです。なので、私をあなた方の配下にいれてくださいませ」


 見るからに弱い狼に見えるように悲壮な顔を張り付ける。ジルバの疑わしげな視線がレティリエを刺してくるが、怯えを悟られないようにきゅっと拳を握る。


「お前が私達の傘下に入ったとどうやって証明する」


 ジルバが鋭く言う。やはり彼は抜け目がない。だが、それはレティリエにも想定内の言葉だ。


「はい。もし私に温情をかけてくださるのであれば、あなた方がお望みの通り、ドワーフの力を使うことを約束しましょう」

 

 レティリエの言葉にジルバの耳がピクリと動いた。


「確かにやつらの力を行使できるのはお前だけらしいな。先日ドワーフの所へ使者を派遣したが追い返された」


 さすがはジルバだ。しっかり裏をとることを忘れていないところに彼の抜け目のなさを感じる。 だからこそ、彼らの情報がどうしても必要だった。思考の癖、生い立ち、特に弱味は誰しもが持っているはずだ。情報は大きなアドバンテージになる。ここでなんとしてでも、彼らの懐に入らねばならない。


「ドワーフの力を使うと言うのは本当か」

「ええ、望みとあればいくらでも」


 念をおすジルバに、レティリエが力強く頷く。彼らを信頼させるにはある程度のハッタリは必要だ。無論、本当にドワーフ達を巻き込む気などない。今回の一番の目的はクロエの子供の居場所と、セヴェリオ達の弱点を得ること。それさえできれば、ドワーフの力を行使させられる前に逃げてしまえば良い。ここでなんとしてでも信頼を勝ち取らなければ……冷や汗をかきながらジルバを見ると、ジルバは無言でレティリエを見つめていた。


「ふむ、そうか……わかった」


 顎に手を当てて何事か考えていたジルバがレティリエに近づき、ゆっくりと手を伸ばす。握手を求められたのかとその手を握り返そうとしたその時だった。

 背筋を走る悪寒に、レティリエは思わず背後へ退く。だが、退くと同時に腕に焼き付くような痛みが走り、レティリエは顔をしかめた。慌てて腕に目をやると、何かに刺されたような鋭い傷が腕の端から端までのびており、そこから筋のように鮮血が流れ落ちた。

 目の前のジルバを見ると、今しがた伸ばされた彼の手には大型の獣の牙が握られていた。


「ふん、気がついたか。苦しまないように一思いに殺してやるつもりだったのだが」

「ど、どうして……私はあなた達の味方なのに……」


 よもや演技がばれていたのかと背筋が凍りつく。だが、彼の言葉はレティリエも想定していない言葉だった。


「セヴェリオはお前の持つ力を使いたいようだが私は違う。そもそも、私はドワーフの力とやらに懐疑的なのだ。お前がその力を私達に向けないと言い切れるか? 信頼のおけぬ戦力は持つべきではない。だから、お前には今ここで死んでもらう」


 ジルバが手に持つものを煌めかせる。狼の姿で噛み殺すのではなく、大型の獣──イノシシか何かだろう──の牙で刺殺しようとしたことからも、獣に追突されて死んだと見せかけるつもりなのだろう。

 恐怖に足がすくみながらも、レティリエは必死に頭を動かして策略を練る。


「でも私を殺せばグレイルが黙っていないわ。セヴェリオは彼も支配下に置きたいのでしょう? あなた方にとって私を殺すことは損失にしかならないわ」

「ほう。そこに気づくとは。お前は存外頭がよく回るようだな」


 ジルバが口の端を持ち上げて不敵に笑う。


「セヴェリオがお前を生かしたことで自分は守られていると思ったな? だが、私とやつは目的が違う。セヴェリオはすべてを支配したいと思っているが、私はやつ以外が率いる群れを統率する気はない。やつの邪魔になるものはどんなに小さなことでも徹底的に排除する」


 ジルバの言葉を聞き、レティリエは息を飲んだ。

 自分は完全に読み誤ったのだ。彼らの思考を。目的を。

 彼らが同じ方向を向いているであろうと、何の根拠もなく盲信してしまったのだ。


 自分の敗けを悟ったレティリエは、逃げる方向へと思考を素早く切り替える。だが、それより先にジルバが襲いかかってくる方が早かった。

 彼の手に持つ牙が鈍く光りながらレティリエ目掛けて振り下ろされる。痛みを覚悟して目をつむったその時だった。開け放たれた窓から何か黒いものが部屋に飛び込み、ジルバに突進するのが見えた。ジルバの巨体が後方に飛ぶ。


「グレイル!」


 狼姿のグレイルが唸りながらジルバを睨み付ける。彼は金色の目を鋭く光らせながら、牙を剥き出しにして臨戦態勢をとった。

 レティリエを庇うように立つ黒狼を見て、床から身を起こしながらジルバは薄く笑った。


「なるほど、これはお前の作戦だったか。女、お前はなかなか頭がキレるようだな」


 ジルバの言葉にレティリエがピクリと震える。自分達の手の内をさらしてしまっただけではなく、レティリエが策を練っていることもバレてしまったのだ。震えながらジルバを見ると、彼は眼光鋭く二人をねめつけた。


「セヴェリオはお前達を生かしたがっているが私は違う。私達の邪魔をするのであれば、今度こそ容赦はしない。今後その女が余計なことをするのであれば、私は間違いなくこの女を殺す。セヴェリオの目が届かない所なぞたくさんあるからな」

「黙れ! 彼女に手を出すことは許さん!」


 ジルバの言葉にグレイルが吠える。戦う意思を見せるようにグレイルが毛を逆立てるが、ジルバはうるさそうに手を振った。


「ここで戦うのは私も本意ではない。お前相手では、痛み分けで済むと言うわけにはいかなそうだからな。だが、私が本気を出せばその女の命は容易く葬れると言うことだけは肝に命じておけ」


 グレイルがぎりりと歯を食い縛る。だが、彼は無言でレティリエを背に乗せると、窓から勢いよく外へ飛び出した。



※※※


 孤児院に戻ると、グレイルが怪我の手当てをしてくれた。幸い、すぐに避けた為かあまり深い傷にはならなかった。グレイルが痛ましい顔でレティリエの腕に巻かれた包帯を撫でる。


「お前の血の匂いがしたから行ってみれば……間に合って良かった」

「グレイル……ごめんなさい。完全に私の失敗だわ」

「いや。お前が無事だったことが何よりだよ」


 うつむきながらぎゅっと両手を握るレティリエに、グレイルが優しく背中を撫でてくれる。

 だが、二人にはわかっていた。この一件がレティリエ達の敗北で終わったことを。彼らを知る手がかりも、クロエの子供の居場所もわからないだけではなく、レティリエの振る舞いも、策略も、全て敵にバレてしまったのだ。

 

 レティリエは情けなさに唇を噛んで項垂れる。

 涙がポロリと一滴、頬を伝った。

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