第32話 【閑話】恋(後編)

 料理を全て皿に盛り付け、テーブルに並べていると、バタバタと音がして玄関扉が開く音が聞こえた。皿を並べていたイリスが顔をあげて玄関の方を見やる。


「帰ってきたな」


 イリスの声に連られてレティリエも顔をあげると、フェルナンドとグレイルが部屋に入ってくるのが見えた。


「お帰りフェル。今日は随分と遅かったな」

「つい力が入ってしまってね」


 イリスの言葉に、フェルナンドがグレイルに向かってウインクをしながら返事をする。グレイルはというとそんな飄々とした彼に苦笑いを返していた。行きよりは彼らの距離が縮まった気がするが、なんとなくグレイルからソワソワと落ち着かない気配を感じる。


「二人とも何かあったのかしら」


 レティリエが首を傾げていると、イリスが近づいてきてそっと耳打ちをする。


「大方、君を娶るだなんだと言ってフェルがちょっかいをかけてからかってるんだろう。あいつの悪い癖だな」

「そうなんですか?」

「ああ。フェルなりにあの黒狼を気に入ったということだ。ちゃんと君を守ってやれと発破をかけているんだよ。フェルは言葉が足りないから、あとで私が補足しておこう」


 そう言っていたずらっぽく笑うと、イリスは鍋を手に取り、皿にスープを注ぎ始めた。レティリエも水差しを持ってそれぞれのグラスに注ぎながらチラリとグレイルを視界に入れる。いつも冷静な彼が自分のことで少しだけムキになっているのだと思うと、レティリエは胸がくすぐったくなるのを感じた。



 朝食が終わると、レティリエはイリスと共に里を出た。森で薬草を取るのを手伝ってほしいとのことだった。イリスに言われたとおりに植物を摘み、ある程度摘み終えた所で木の下に腰をおろす。

 天から注ぐ雨のような木漏れ日の下で、二人は並んで摘み取った薬草を仕分け始めた。


「これはトリカブトだ。毒性が強いが鎮痛薬にもなる。こちらのツユクサは発熱がある時に煎じて飲むとよく効くよ」


 イリスが薬草を籠に仕分けながらひとつひとつ丁寧に教えてくれる。ドワーフの集落でもエルフの薬を重用していた通り、彼らは高い技術と高度な医療の知識を持っているのだ。狼の村では怪我や病気をしても精々体に良い植物を煎じて飲んだり、止血や患部を包帯で覆うくらいの知識しかない。人の入れ換えが多い狼の村では、技術の定着が難しいのだ。イリスに教えてもらう新しい知識を、レティリエは目を丸くしながら聞いていた。


「こういうことに詳しくなれば、 私ももっと皆の力になれるかしら」

「そうだな。狼の医学がどれほどまでかわならないが、持っていて損はない知識だ。これからもこの里においで。少しずつ教えてあげよう」


 そう言ってイリスがにこりと微笑む。大切な人を、仲間を守る知識であるならば習得のしがいがあるだろう。イリスのありがたい申し出に、レティリエも顔を綻ばせながらコクリと頷いた。 

 その時、里の方から女性のエルフが一人こちらへ向かってくるのが見えた。彼女はイリスの姿を見つけると、パタパタと足音を立てながら駆け寄ってきた。


「イリス、薬の調合がうまくいかないの。ちょっと見てもらえるかしら」

「あぁわかった。今行く。レティ、すまないがこの薬草の仕分けをお願いできるか」

「ええ、わかりました」

「助かるわぁ。薬の調合はイリスが一番上手なんだもの」


 エルフの女性がフフッと微笑む。後から聞いた話だが、イリスの家は代々医学を得意としているらしく、彼女も自分の両親や祖父母から医術を叩き込まれたのだそうだ。医術に長けているエルフ達の中でも、彼女の知識と技術は特に頼りにされているらしい。

 イリスがその場を去った後、レティリエは一人でもくもくと作業を続けていた。まだ知識が浅い為、わかりにくいものは後回しにして葉の形や色合いで見分けていく。

 仕分けていくうちに、少しだけ葉の色が違う二つの薬草が目に入った。これが同じものであるのか、別の種類であるのかの判別がつかず、イリスに教えられたことを思い出していると、微かに花のような甘い香りがふわりと漂う。匂いにつられるようにして顔をあげると、金色の髪を陽の光に煌めかせながら、フェルナンドがにこやかに立っていた。


「僕も手伝おうか」


 言いながら、返事を待たずしてフェルナンドがレティリエの隣に座る。まるで肩を寄せ合うようにぴったりとくっついてくるフェルナンドに、レティリエは困惑した顔で彼を見上げた。


「あの、私……」

「ふふ。君は本当に可愛いね。とても見事な銀髪だよ。ああ、目も大きくて愛らしいね。いつまでも眺めていたくなる」


 フェルナンドが眩しい程の笑顔を向けてくる。だが、確かにイリスの言う通り、その眼差しに熱や色は無いようだった。おそらく恋をしているというよりかは、赤子や動物を愛でるような感覚に近いのだろう。彼らは本当に、美しいものを眺めるのが好きなのだ。それでもかつて人間に囚われて女主人のもとで愛玩動物扱いをされた時と違い、純粋ににありのままのレティリエを気に入ってくれている気持ちは素直に嬉しかった。


「あの……そんなに近づかれると恥ずかしいです」

「おっと、これは失礼」


 フェルナンドがおどけた仕草でパッとレティリエから離れる。そのキザったらしい仕草が面白くて、レティリエはクスクスと笑った。


「ああ、これは別の薬草だね。他の薬に使えるから取り分けておこう」


 時折レティリエの手を取りながらも、フェルナンドが確かな知識で教えてくれる。レティリエも美しいエルフに師事をしながら薬草の仕分けを進めていった。



※※※


 イリスに頼まれて、倉庫まで薬の運搬をしていたグレイルは最後の箱を運び終えるとコキリと肩を鳴らした。

 イリスの様に医術を得意とするエルフは多い。彼女の自宅で作った薬を里の共同倉庫まで運んでいると、倉庫で作業をしていた別のエルフが自分達の薬も運んでほしいと申し出てきたのだ。エルフも弓矢を使うためか、それなりに皆引き締まった体をしているのだが、やはり肉体労働においては狼である自分の方ががあるらしい。快く引き受けたグレイルはあちこちで声をかけられ、やっと今最後の薬を運び終えたのだった。

 倉庫を出て里の外へ向かう。確かイリスは、レティリエと薬草を摘みに行くと言っていた。里の外の森に足を踏み入れると、慣れ親しんだ緑の香りがグレイルを包み込む。静謐な空気を肌で感じなから森を歩いていると、一際明るい場所に出た。開けた場所に出てしまえばレティリエを探すのは簡単だった。日の当たる場所で、見事な銀髪をこちら側に向けてぺたんと座っているのは間違いなく彼女だろう。日の光をうけて輝く銀色の巻き毛がゆるゆると背中を波打ち、地面にまでふんわりと広がっていた。

 愛しい人の姿を見て少しだけ心が弾む。レティリエは可愛い。キスをするときの嬉しそうにはにかんだ表情、恥ずかしそうに、それでも熱っぽくみあげてくる目、そして何かを決めたときに見せる凛とした気高く美しい顔。どれも自分の胸を震わせる。多分、自分は思っている以上に彼女を恋しく、愛しく思っているのだろう。

 だが、側に寄ろうとそちらへ足を向けた時、視界の端に金色の光が映った。思わず視線を向けると、フェルナンドがレティリエの側に近づき、隣に座るのが見えた。彼が腰をおろした瞬間、ふわりと金色の髪が宙を舞い、彼女の銀髪と重なる。まるで絹織物のように混ざりあう金糸と銀糸の髪。グレイルはその光景に暫し見とれていた自分に気がついてハッとした。確かにフェルナンドの言う通り──認めるのは本意ではないが──レティリエの隣にいるのが相応しいと言うのも頷けるほどに絵になる組み合わせだった。そう思った瞬間、自分の心に少しだけさざ波が立つのを感じてグレイルはきゅっと拳を握った。

 だが、フェルナンドがレティリエの肩を抱いて引き寄せ、その銀色の髪を一房すくって口付けた瞬間、グレイルの体は動いていた。


「お取り込み中の所悪いんだが、その作業は俺が代わろう」


 寄り添いあう二人に声をかける。このタイミングで割り込むのは、まるで嫉妬していますと素直に告げているようで情けない。彼が本気で口説いているわけではなく、自分をからかうためだと理解はしているものの、やはりこのまま見過ごすわけにもいかなかった。


「グレイル! 薬を運ぶのは終わったの?」


 レティリエが自分を見て嬉しそうな顔をする。その愛らしい笑顔に少しだけ心が弾むのを感じた。チラリとフェルナンドに視線を投げると、彼はニヤニヤと笑いながらその視線を受け止める。


「おっと、僕はお邪魔虫みたいだね。ふふ。君と僕との時間はまた別の時に設けることにしよう。それじゃあ、わからないことがあったらいつでも聞きに来て」


 そう言って立ち上がると、美しいエルフの青年は優雅に立ち去っていった。悔しいが彼の立ち居振舞いは、あまり美に頓着しない自分でも洗練されていると思うくらいに眼を引く。レティリエもきっと彼の美しさには何かしら思う所はあるだろう。

 そのまま無言でレティリエの隣に座る。だが、なんとなく気恥ずかしくてうまく言葉が紡げない。片膝をつきながら黙って彼女を見つめていると、レティリエがキョトンとした顔でこちらを向いた。


「どうしたの? 具合でも悪いの?」

「いや、なんでもない。で、これはどうすればいいんだ?」

「あのね、こっちの葉っぱと同じものをこの籠にいれるの」


 レティリエが教えてくれる通りに薬草を仕分けていく。薬草はどれも同じような色や形をしており、明るいところで作業をしていても違いがわからないのだが、レティリエは飲み込みが早いのかてきぱきと二つの籠に薬草を分けていく。その楽しそうな、うきうきとした表情にグレイルも自然と顔が綻ぶのを感じた。


「あのね、これはこっちよ。見て。ここがちょっとギザギザしてるでしょ」


 レティリエがこちらに寄ってきて自分の手の中にある薬草の葉先を見やすいように広げてくれる。彼女がこちらに近づいた時にふわふわの髪の毛が手に触れ、グレイルはドキリとした。毎日見ている……いや、毎日触れているものなのに、今日はいつもより柔らかく、軽く感じたのはなぜだろうか。自分でも知らず知らずのうちに彼女の銀髪を一房掬いとり、絹のような髪をじっと眺める。


「グレイル……?」


 レティリエが不思議そうにグレイルを見る。彼女の問いに返事をせず、銀の髪を手の中で転がしてみると、手のひらにのるふわふわとした髪が日の光に反射してキラキラと輝いた。フェルナンドは当たり前のようにこの髪にキスをしていたが……あんなキザったらしい振る舞いは気恥ずかしすぎて自分には到底できそうもない。レティリエはしばらく首をかしげていたが、やがて何かを察したようにハッとして、そっと目線を上にあげた。


「……もしかしてさっき、ヤキモチを妬いてくれてたの?」


 図星だった。彼女がフェルナンドのことをどう思っているかだとか、自分は彼女の隣に相応しいのだろうかとか、様々な感情が胸の内をぐるぐるとまわるが、情けなくて言葉にすることはできない。チラリと横目でレティリエを見ると、彼女は少し驚いた顔を見せた後、みるみるうちに顔を綻ばせ、次の瞬間には自分の胸の中に飛び込んできた。思わず両手で抱き止めると、レティリエが甘えるように頬をすり寄せてくる。


「ふふ、嬉しい」


 ぎゅっと抱きついてくるふわふわの小さな生き物を、グレイルはためらいがちにそっと抱きしめ返した。その体の小ささや柔らかさに改めて驚いていると、自分の腕の間から顔を覗かせたレティリエが嬉しそうに顔を綻ばせる。レティリエが両手を伸ばして、自分の頬を挟み、ゆっくりと身を起こす。次の瞬間には唇に柔らかいものが触れて、胸が一気に熱くなるのを感じた。


「世界で一番、誰よりもあなたが好きよ、グレイル」


 ゆっくりと唇を離したレティリエが微笑む。目を丸くして驚いているグレイルの顔を見て、レティリエはクスクスと笑った。ちょっぴり照れも入っているであろうそのいたずらっぽい笑顔は──長年一緒にいる自分も初めて見る顔だった。

 

「じゃあ、私はもう少し採ってくるね。ちゃんと仕分けておいて」


 そう言うとレティリエは嬉しそうに立ち上がり、銀に輝く髪を煌めかせながら森の中へと消えていった。

 暫く呆然と立ち尽くしている自分に気づき、グレイルはハッとした。思わず右手で自分の唇に触れる。柔らかくて、甘い感触がまだ残っている気がして、グレイルの心臓が急に早鐘を打ち始めた。キスなんていつもしているのに、いやそれ以上のことだってしているのに、今日はどうしてこんなにも落ち着かない気持ちになるのだろうか。


 あの日を境にして、レティリエは変わった。生まれてから自分の思いを口にすることがなく、控えめに生きてきた彼女は、今まで抱えてきたものを吐き出してから少し明るくなったように思う。彼女はいつもキスをする後に、少しだけ泣きそうな顔で笑うのだ。その切ない顔に、彼女のこれまでの苦難を感じ取り、自分もその度に彼女を守ってやりたいという気持ちになるのだが──

 いつも儚げに微笑む彼女の、太陽のように明るく華やかな笑顔を思いだし、グレイルはようやく合点した。


 ──ああそうか。あの瞬間、自分はもう一度恋に落ちたのだ。


 レティリエが消えていった辺りに目をやりながら思いを馳せる。きっとこれからも彼女の新しい顔を知る度に、自分はまた彼女に恋をするのだろう。



 何度も。──何度も。


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