第33話 ローウェンを探しに
エルフの里で一夜を明かした二人は、翌日の朝早くに里を出た。朝露に濡れた草の匂いを肌で感じながら二人で森の中を歩いていく。里から少し離れた辺りの場所まで来ると、グレイルが足を止めてこちらを向いた。
「レティ、ここまででいい。後は俺一人で行ってくる」
「うん。グレイル、気をつけてね。無茶したらダメよ」
レティリエが心配そうな顔をして黒狼姿のグレイルの首に抱きつく。グレイルもレティリエを安心させるかのように優しく鼻を擦り寄せた。
「ああ。例え彼らが見つからなかったとしても数日おきには必ず戻るから」
「本当に戻ってきてね。絶対よ」
「大丈夫だ。俺に任せろ。あいつの居場所くらいすぐに見つけてやるさ」
「ええ、それはわかっているんだけど……」
レティリエが少しだけ切ない瞳で見上げてくる。機動力が無く、一緒に行かれないことを残念に思っているのだろう。だが、その瞳にはもう負い目や自責の色は無かった。そこにあるのは純粋な寂しさや心配の気持ちだけ。名残惜しそうに黒い毛並みを撫でるレティリエに、グレイルが笑って彼女の唇をペロッと舐めた。
「きゃあ」
真っ赤になって両手で唇を押さえるレティリエを見てグレイルがいたずらっぽく目を光らせる。そのまま軽く微笑むと、黒狼はくるりと背を向けて木漏れ日が差す森の中へと消えていった。
グレイルは森の中を飛ぶように走った。ローウェンの居場所はわからない。だが、グレイルは彼の隠れ場所についてある程度の見当をつけていた。
太陽を見ながら方角を確認し、西を目指して森の中を走り抜ける。目指すはドワーフの集落だ。第二の故郷とも言える集落を真っ直ぐに目指しながら、グレイルは一度目の戦闘直後の話し合いのことを思い出していた。
───
「いいか。現時点で持っている情報で俺が推測していることを言う。よく聞いてくれ」
焚き火の前に座ったローウェンが神妙な顔で口を開く。グレイルとクルスも夜闇に明々と燃える焚き火を囲むようにして座っていた。セヴェリオ達を追い払い、テオから狼同士の戦いについて話を聞いた後に、グレイルとローウェンはクルスを交えて三人で話し合いをしていたのだ。
焚き火がパチッとはぜて、ローウェンの顔を赤く照らし出す。
「あいつらの狙いは、まず間違いなくこの土地だろう。縄張り争いの目的は、自分達の群れの食料確保や繁栄のための環境を整えることだ。通常であれば勝った群れがその地に残り、負けた群れは追い出される。勢力図が書きかわるんだ。だが、俺ならこう考える」
ローウェンがピンと人差し指を立てる。グレイルとクルスは黙って友の言葉を聞いていた。
「他の群れを襲うには、強い組織を築きあげなくてはならない。頻繁に他の群れを襲っているあいつらは多分、今後の戦力強化に備えて俺達の群れの選別を始めるだろう。先程レティからも話を聞いたが、それは赤茶色の狼が口にしていた『弱き者を徹底的に排除してきた』と言う言葉からも推測できる。そこでだ」
焚き火を見つめていたローウェンが顔をあげる。その瞳には、熱い炎のゆらめき。
「俺達の群れが分断された時のことを想定して、俺は追い出されたやつらを匿える場所を作る。長の名にかけて、誰一人として路頭に迷わせはしない。場合によっては、俺は一時的に身を隠す必要が出てくるかもしれないが、その場合はグレイルとクルス、お前らに
「俺達はどうすればいい」
ローウェンの言葉に、グレイルが答える。彼は
「仮に本当に選別があれば、お前らは確実に実力者として残されるはずだ。だから、二人には群れに残って相手の思惑を見極めてほしい。リーダーの思想、敵の要となる人物は誰か、何人いるのか。どんな性格のやつらか。その情報を俺に伝えてくれ」
ローウェンの言葉を思い出しながら思考を整理する。
本来であれば不測の事態に備えて色々と環境を整えておく筈だった。仲間が一時的に避難できる場所を用意し、再戦のチャンスをうかがいながら体勢を整えて一気に攻めこむ。だが思ったより再戦の機会が早く、ローウェンが隠れ場所を用意する前に再びセヴェリオに攻めこまれてしまったのは痛い。レティリエの機転とドワーフの協力により、先の戦いで負傷者が少ないまま終わったのは
敵はなかなかの策士だ──だが、自分達の
実は昨夜、レティリエと二人で話し合い、ローウェンを見つけるにあたっての道筋を描き出した。今はそれに賭けるしかない。
なおも森の中を走り続けていると、やがて見慣れた景色が見えてきた。見慣れた木々、見慣れた植物。森の中から天に向かって立ち上る幾筋もの煙が、そこが彼らの居場所であることを物語っていた。
少しずつ速度を落としていき、やがてグレイルは走るのをやめた。背の高い草で身を隠しながら小高い丘に向かい、そこから少しだけ顔を出して下を覗く。ゴツゴツした岩肌の斜面に何人ものドワーフがいて、各々つるはしで採掘したり、鉱石の振り分け作業を行っている姿が見えた。いつもレティと遊びに行く、第二の故郷。だが、いつもと違って集落の回りには見慣れぬ狼が
そっと顔をあげて辺りを窺うと、想定通り集落から少し離れた場所に、まるで監視するかのようにたたずむ狼を数匹確認した。グレイルは目を光らせながら一人一人の顔を注意深く観察していく。そこに探している人物がいないことを確認すると、集落から離れた一際高い場所へ登り、四肢を折り畳むようにして座る。彼はその場で座り込んだまま、何時間もじっと息を殺していた。
そのまま二日が過ぎた。もちろんただその場でじっとしているだけではなく、自分の食料確保の為に小さな獲物を狩ったり、ローウェンの手がかりを探すために辺りを歩き回ったりしてはいたが、基本的には他の狼の目を避けながらその場から動かなかった。
グレイルの狙いは、とある人物と接触することだった。レティリエの見立てであれば、ここには間違いなく彼が来るはずだ。数日間帰らない為に、レティリエに心配をかけていることは重々承知しているが、ここはお互いに踏ん張り所だ。
三日目の朝。グレイルはいつもの通り、集落の外で炭鉱作業に勤しむドワーフを眺めながら辺りを歩き回っていた。草むらに身を隠し、時折顔を出して敵の狼の様子を窺う。彼らも集落の様子を観察しているのか、時折他の狼と交代をしながら、大抵一、二匹程の狼が集落の周りにいるようだった。
ここ数日間、変わらない景色。だが、集落の様子を窺うグレイルの目が、突如として一匹の狼に吸い寄せられた。
見慣れた灰色の毛並み。それほど大きくはないが引き締まった無駄の無い体躯。彼こそまさしくグレイルが探していた狼だった。辺りに他の狼がいないことを確認すると、そのまま物音を立てないように慎重に近づいていく。目的の人物まであと数メートルという所で、灰色狼の鼻がヒクヒクと動き、彼はバッと勢いよく振り向いた。
「……グレイル?」
「久しぶりだな、クルス」
グレイルが声をかけると、クルスが金色の目を丸く見開きながら駆け寄ってきた。
「グレイル! 本当に君なんだね。無事で良かった。レティリエがいなくなった後捕まっていた君と……クロエ、だったか。あいつもいなくなって、すごく心配したんだからな。一体全体、今までどこにいたんだよ?」
「すまない。だがレティリエは無事だ。今は安全な場所に身を隠している」
「そっか……レティも逃げ切ったんだね。それを聞いて安心したよ」
グレイルの言葉にクルスがホッと安堵のため息をつく。だがすぐに真剣な顔つきになり、グレイルを真っ直ぐに見た。
「だけどグレイル、なんでここに僕がいるとわかったんだい? 手がかりも何も無かっただろうに」
「その話は後だ。急な話で悪いが、クルス、ローウェンの居場所はわかるか」
グレイルの言葉にクルスがハッと目を見開き、そのまま何かを合点したようにコクリと頷いた。
「なるほど。それで僕だったんだね。ローウェンの居場所だけど、もちろん僕は知っている。今から案内しようか」
「頼む」
グレイルの言葉にクルスも頷き、「こっちだ」と先導する。グレイルも灰色の尻尾を追いかけ、二人は森の奥へと消えていった。
※※※
二匹は飛ぶように森の中を進んだ。方角から察するに、クルスは狼の村からもドワーフの集落からも離れた場所へ向かっているようだ。グレイルとクルスは走りながらこれまでの情報を交換する。
「先程の答えだが」
黒い毛並みを風になびかせながらグレイルが口を開く。
「これに関してはレティの読みが当たったな。ローウェンの手がかりがないのであれば、彼の居場所がわかる者から情報を得る。クルスであれば、ローウェンよりは居場所が特定しやすいからな」
「確かに僕なら村の中か狩り場、後はグレイルが見つけてくれたようにドワーフの集落のどこかに行けば見つけられる可能性は高いもんね」
「ああ。その上でクルスがドワーフの見張り役に行かされるだろうということを推測したんだ。ドワーフについては
「なるほどね。僕らが関わりを持たなかったことが功を奏したわけか」
グレイルの言葉に、クルスが納得したように頷いた。実は村がセヴェリオ達によって奪われた後、グレイルとクルスはわざとお互いに接触を避けていた。二人が親密であることをセヴェリオ達に悟らせない為だ。レティリエがジルバの手下に命を狙われていた時も、本来であればグレイルの目が届かない場所をクルスに担ってもらうこともできたのだ。だが互いに徹底的に接触を避けていたことで、案の定敵の目は明らかに危険分子であるグレイルに向いていた。
実力者ではあるが驚異ではない。クルスは彼らにとってその程度の認識なのだろう。だが、かと言って彼がセヴェリオ達の信頼を勝ち得るには日が浅すぎる。ゆえにクルスの様な「元ローウェン側」の狼は、ドワーフ達の様子を見張るなどの当たり障りの無い役割を任されるだろうとレティリエは予想したのだ。
「お前の居場所の検討はレティがつけた。彼女に感謝しなければ」
「そうか。相変わらずだね、あの子」
「さて次は俺が聞く番だが……お前はどうやってローウェンを見つけたんだ?」
「レベッカが接触してきたんだ」
「レベッカが?」
思いがけない答えにグレイルが驚きの声をあげる。クルスはひとつ頷くと、なおも口を開いた。
「グレイルとクロエが村を逃亡してから数日経ったくらいかな。僕達がいつもの場所で狩りをしていたら、突然遠吠えが聞こえてきたんだ。どこか聞き覚えのある声だと思った。いや、聞いてすぐにレベッカの声に似ているなと思った。だから僕はすぐにその場を離れて声のする方に向かった」
グレイルに並走しながらクルスが答える。
「その後も何回か遠吠えが聞こえた。鋭くて、張りのある声。多分気づいたのは僕だけだったんじゃないかな。日頃から彼女と一緒にいるからこそわかったというか……。声のする方まで走って辺りを見回していると、木の影からレベッカが突然姿を現した」
「そうか。堂々と接触してくるところが彼女らしいな」
「僕も驚いたよ。だってレベッカは今子供がいるのに……。お腹もまた大きくなってた。でも、自分の代わりはいるけど、長の代わりはいないから自分に行かせてもらうようにローウェンを説得したんだって。バカだよ。だってローウェンからして見ればレベッカの代わりだっていないのに」
「そうだな……彼女もまた、強い狼だということなんだろう」
痛ましい顔をするクルスを視て、グレイルも自分が彼と同じ気持ちであることを知った。レベッカの度胸と精神の強さは健在だ。だが、同じ男としてグレイルはローウェンの気持ちを痛いくらいに感じていた。きっとレベッカの提案を彼は激しく止めただろうし、彼女を送り出す時は断腸の思いだったのだろう。もしかするとレベッカも、身重とは言え今回何もできない自分に引け目を感じていたのかもしれない。自分達と事情は違えど、彼らもまた厳しい戦いをしていたのだ。
走りながら頭上を見上げる。その金色の目に映るのは、朝ぼらけの空に同化するような白銀の月。今この瞬間にも同じ空の下のどこかで仲間たちは戦い続けているのだ。それぞれの大切なものを守るために。
グレイル自身も、月の色をした愛しい人の姿を脳裏に思い浮かべる。一瞬目を伏せ、その金色の目を力強く見開くと同時に、彼は一層速度をあげた。
ドワーフの集落から離れて数時間ほど走った辺りでクルスが歩みを止めた。そこは
「ローウェンを呼んできてくれる?」
クルスが誰に話しかけたのかはわからなかった。そのまま空白の時間が経過する。無言で待っていると、やがてザリザリと砂を踏むような音と共に中から茶色の耳がぴょんと飛び出し、一匹の雄狼が現れた。
「ローウェン!」
「お前……グレイルか?」
久方ぶりに会ったローウェンは、少しやつれているように見えた。彼と別れたのは最近のことなのに、もう随分と長いこと会っていなかったように思える。
二人は互いに人の姿に戻ると固く抱きあった。一見細身に見えるがしっかりと筋肉がついたその体は間違いなくローウェンだった。
「ローウェン、探したぞ」
「ああ……手間をとらせたな」
「全くだ。でも、会えて良かった。レベッカもこの中にいるのか?」
「グレイル、とりあえずその件は中に入ってからにしようぜ。あれからどうなったのか話すよ。俺もお前らの話を聞きたいしな」
そう言ってローウェンがうろの中に誘う。グレイルとクルスも頷いて彼の後を追った。
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