第9話 戦闘

「おおおおおおおおおおおおおおお!!!!」


 ドワーフ達の鬨の声が森に響き渡る。虚をつかれた敵の狼は包囲をといて蜘蛛の子を散らすように分散した。

 ドワーフ達がおのおのの武器を振り回し、風を切る音が響く。攻撃をすれすれで交わした狼が反撃を試みようと体勢を整えるが、暴れまわる刃物を警戒して近寄れない。一人のドワーフが力強く振るった斧が敵の狼を掠め、苅られた毛が冬空に舞った。

 本来、ドワーフ相手に狼が後れをとることはない。彼らドワーフは戦闘に特化していないのだ。だが、この木々に囲まれた狭い場所では狼は思うように近づけない。


 敵の狼達は、突然の襲来に、どう動いたら良いのか考えあぐねている様子だ。対して、ドワーフ達はその場で武器を振り回しているだけで良かった。彼らの目的は、狼を狩ることではないのだから──

 本来敵ではないはずのドワーフに翻弄されている状況に、敵陣の長が大きく舌打ちをした。どのような指示を出すべきか、意識が思考に傾いたその一瞬の隙を、「彼」は見逃さなかった。

 

 突如襲う全身の毛が逆立つ感覚。本能で感じる生命の危機に、赤茶の狼が反射で振り返る。射るような殺気。空気が切り裂かれる感覚、背後に迫る荒々しい息遣い。その金色の目が太陽を背にした黒狼の存在を捉えた瞬間には、既に勝負はついていた。レティリエの読みはあたっていた。狼になれない、か弱い雌狼の存在に彼は完全に油断していた。

 赤茶の狼が瞬時に防御に転じる。だが、それよりも先にグレイルの強靭な牙が雄狼の急所を正確に捉えていた。はずだった。


 その狼がいなければ──


 グレイルの牙が赤茶色の狼の喉元にかかる瞬間、横からの大きな衝撃と共に彼の体は勢いよく弾き飛ばされた。地面に叩きつけられる前に空中で体勢を整え、爪で地面をえぐりながら速度を殺して着地する。グレイルも、何が起きたのか瞬時には判別がつかなかった。だが、赤茶色の狼の隣に悠然と立つ灰褐色の狼の姿を見てすべてを理解し、悔しさに顔を歪ませた。


「ジルバ、助かった」


 赤茶色の狼がジルバと呼ばれた灰褐色の狼に声をかけると、灰褐色の狼がゆっくりと視線を向ける。


「セヴェリオ、こいつらが弱き者の集まりだとしても油断はするな。少なくとも、やつだけは戦えるようだ。私がいなければお前は死んでいた」

「はっ不意打ちとは卑怯な野郎だぜ」


 一歩間違えればその命はこの世から葬り去られていたにも関わらず、赤茶色の雄狼──セヴェリオは微塵も恐怖を感じさせない顔で悪態をついた。


「ジルバ、こいつが長か?」

「いや、先程門の後方で指揮をしていた茶色の狼がこの群れの長だろう。こいつはただの群れの一員にすぎない」

「はん、そうかよ。でもまぁ殺しておいても損はないな」


 セヴェリオが不遜な態度で顎をしゃくる。立ちはだかる目の前の二匹を睨み付けながら、グレイルは低く唸った。

 今までに経験したことのない、ビリビリと大気を震わせる程に放たれる本気の殺意。この群れは実力者揃いだと思っていたが、この二匹に関しては桁違いだ。二匹から放たれる圧力がピリッと空気を震わせ、グレイルは身震いする体をしっかりと諌める。

 あのジルバと呼ばれた灰褐色の狼が長を守る以上、彼の首をとるのは至難の技だ。それに加えて二対一という不利な状況下。下手を打てばこちらが殺される可能性もある。だが、自分は何としてでもその役目を全うしなければならない。村を、大切な人達を守るために。


 ジルバがセヴェリオを庇うように前に出でて、前身を低くする。グレイルも金色の目を獰猛に光らせながら一歩前に出た。

 双方の体から放たれる殺気が空気を張り詰めたものにしていく。もはや呼吸することもかなわない緊張感。レティリエの安否も気になるが、今は一瞬でも目をそらせばそれが命取りになる。賢い彼女は、きっとそのこともわかっていて、上手に逃げているだろう。自分はつくづく、良い女を伴侶にしたと思う。

 すべての神経を戦闘に集中させる。金色の瞳孔が開く。次に勝負をしかける時は、自分か相手が死ぬのだ。

 ジルバとセヴェリオが動く気配がし、ザリッと砂を踏む音が聞こえる。空気が動く。グレイルも全方位に神経を張り巡らせ身を屈める。最初に動いたのは敵の長だった。


 ジルバの後方にいたセヴェリオの姿が瞬時に消える。いや、視界の左端に一瞬赤茶色の影が見えた。残像を追うように瞬時に視線を左にやる。と同時にゾワリと肌を撫でる殺気に、野生の勘で身をよじると、首を捉え損なったジルバの白刃の牙が空を貫いた。

 そのまま体当たりを食らわせて灰褐色の巨体を投げ飛ばす。背後から迫ってくる気配がグレイルの本能に警報を鳴らし、彼を視界に捉える前に振り向き様後方に退くと、飛び掛かってきたセヴェリオが眼前に着地した。

 間髪いれずにグレイルも飛びかかると、セヴェリオが前足で真っ向から受け止める。互いが互いの首に牙を突き立てようと力で押し合うも、力が拮抗して動かない。

 継いで横から来る重々しい殺気。瞬時に手を離して距離をとろうとするが、その隙を見逃さずにセヴェリオの爪が襲い、チリッとグレイルの胸をかする。後方に跳躍して距離をとると、数秒の遅れの後ジルバの巨体が現れ、捉え損なった強靭な爪が地面を抉った。


 眼前に立つ二匹の狼を見て、グレイルは低く唸った。思うように攻撃を仕掛けられない現状に苛立ちを覚える。

 通常、長が前線にでることは少ない。長の敗けはすなわち群れの敗けを意味するからだ。だが、彼は自分の力に絶対的な自信を持っているのか、かなり好戦的な性格だ。ある意味で長を仕留めやすい状況ではあるのだが、先陣を切るセヴェリオに、ジルバがうまくサポートしている為に、一撃を食らわすまでに至らないのだ。血縁関係なのかはわからないが──それにしては毛の色が違うが──かなり息のあった連携を見せる彼らに、グレイルは思うように攻撃を仕掛けられない。額に冷や汗が流れ、背筋に冷たいものを感じた。だが、思うようにことが進まないのは彼らも同じようだった。

 グレイルを睨むセヴェリオの眼光に鋭さが増す。


「チッ意外とこいつ、やるな。瞬殺してやるつもりだったが、そううまくはいかねぇか」

「お前とあいつでは首の重さが違う。これ以上やりあうのは無駄かもしれん」


 ジルバの言葉に、セヴェリオが嫌悪の表情で悪態をつく。確かにこの黒狼を殺ったとしても群れは手に入らない。その上、深入りして自身が怪我でもすれば大損だ。黒狼の実力を見誤っていたことにセヴェリオは苛立ちと共に地面を掻いた。


 グレイル自身も、この不利な状況下での戦いに疲弊していた。自分が負ければ、群れの未来はないという緊張感プレッシャーがグレイルに負荷をかける。だが、この場から奴等を追い払わない限りこの地に安寧は来ない。

 体勢を整え、再度飛びかかろうと身を屈めた瞬間、狼の絶叫が聞こえた。ドワーフが振り回す鋼鉄の武器が彼らの仲間を排斥したのだ。眼前のセヴェリオが憎々しげに眉を潜め、背後に目をやる。


「ジルバ!! どうする!!」


 セヴェリオが吠えると、ジルバが灰褐色の毛並みに埋まる金色の視線をセヴェリオにやる。


「ここは一旦退くべきだ。我々は完全に油断をしていた。勝負を舐めていた私達の敗けだ」


 ジルバの言葉にセヴェリオは返事をせず、大きく舌を打った。そのまま天に向かって大きく三回遠吠えをすると、ドワーフと応戦していた敵の狼が一斉に背後に退く。地面には、斧の餌食となって足をやられ、血まみれで動けない狼が数匹転がっていた。

 セヴェリオとジルバがくるりと背を向け、森の奥へと走り去る。他の狼達も、倒れている仲間を担ぎ上げると、朝ぼらけの森のなかへ消えていった。


 最後の一匹が森と同化した瞬間に、空気が弛緩し、どっと汗が吹き出す。グレイルは人の姿に戻ると大きく息を吐いた。深い海に潜っていてやっと海面に顔を出したように、もうずっと呼吸を忘れていたような感覚だ。見渡した限りでは、ドワーフ達に怪我人や死人は出ていないようだった。その事実に安堵すると共に、無意識のうちに銀色の美しい毛並みを探す。レティリエは無事だろうか……そう思った瞬間、小さな体がグレイルの胸に飛び込んできた。

 間髪入れずにその体を抱き締める。腕に伝わる温もりと体に脈打つ確かな鼓動。言葉は交わさない。だが、二人の思いは同じだった。しっかりと彼女の体を抱き締めながら、そのままグレイルはレティリエの背中を優しく撫でた。


「レティリエ、よく頑張ってくれた。やつらの不意をつくことができたのはお前のおかげだ」

「ううん、追い払ったのはあなたの方よ。無事で良かったわ」


 涙ぐみながらグレイルの顔を見上げると、感極まったのか彼がレティリエの頬に手を添えて額にキスをした。その感触がくすぐったくて、レティリエも恥ずかしそうにグレイルを見上げる。金色の目が、自分の視線と交わった。


「お前は俺の最高のパートナーだよ」


 グレイルが言うと、レティリエがはにかむように微笑んだ。周りの目もあるのでそそくさと離れるが、レティリエの胸には仄かな嬉しさが宿っていた。

 敵を追い払った喜び、村を取り戻した喜び……そして、彼の隣で戦える喜び。

 勝利の余韻を胸に、レティリエはそっと目を伏せた。

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