第15話 クロエ

 昨夜の襲撃から一夜にして豹変した村にも日常はやってくる。朝食の片付けを終えると、レティリエは朝の狩りに出向くグレイルを見送る為に玄関扉まで足を運んだ。


「じゃあ行ってくる。子供達を頼んだぞ」

「うん、気をつけていってらっしゃい」


 レティリエが微笑みながら手を振ると、グレイルがいつも通り額にキスをしてくれる。背の高いグレイルが少し身を屈めると、首から下げた彼の首飾りがレティリエの首飾りにあたってチンと小気味良い音が響いた。

 いつものおまじない。いつもの光景。

 だが、その日はいつもと違った。


「あら、私も行かなくちゃ」


 少しハスキーな声が響き、部屋の奥からクロエが顔を出す。そのまま駆け足で玄関扉まで赴くと、クロエはするりとグレイルの横に立った。当たり前の様に彼の腕を取る彼女の姿に、レティリエの胸がチクリと痛む。


「離れろ」


 グレイルがぶっきらぼうに言い放ち、クロエの腕を振り払う。しかし、彼女は気にする様子もなく、グレイルの背中に手を置いた。


「つれないわね。まぁ良いわ、早く行きましょ。遅刻しちゃうわよ」


 クロエがグイグイと彼の背中を押し、グレイルが不愉快そうに眉根を寄せる。 だが、諦めたのか無視することに決めたのか、彼はそのまま黙ってくるりと背を向けた。

 揃って玄関扉をくぐり、クロエとグレイルは狩りへと出向いて行く。レティリエは、二人が朝の光に包まれて見えなくなるまでずっとその場に立ち尽くしていた。

 黒い尻尾を揺らしながら同時に消えていく二人。

 それは、レティリエがずっと憧れていた夫婦の姿だった。



 いつもの集合場所についたグレイルは辺りをぐるりと見渡した。当たり前の事実だが、随分と編成が変わっている。やりにくいな、とグレイルは内心で歯噛みした。

 村に残されたということは、皆それなりの実力者であることは間違いないのだろうが、人はそれぞれ癖や得意不得意がある。狩りは連携が大事である為、各個人の特徴を加味した上で指揮をとるのが基本だが、知らないやつらばかりで編成されている以上、いつもよりやりにくいことは間違いない。

 グレイルが苛立ちながらも頭の中で戦略を練っていると、クロエが唐突に腕に絡み付いてきた。


「ねぇ、さっき皆にあなたが私の新しい夫だと紹介してきちゃったわ」


 ベタベタと絡み付きながら、無遠慮に腕の筋肉を触るクロエに、グレイルが眼光鋭く睨み付ける。


「俺はそれについて了承していない。勝手なことをするな」

「あら、婚姻は長の許可が必要だわ。さっきも言ったけど、正式な夫婦は私とあなたなの。わかる?」

「ふざけるな。長が婚姻相手を決めるなんて聞いたことがない。お前の行動はいちいち不愉快だ」

「別に良いじゃない。元からここにいた人は信じてくれなかったわけなんだし」


 あっけらかんと言うクロエに、グレイルが不快そうに眉根を寄せる。


「何度も言うが、俺の妻はレティリエだけだ。いい加減にそのうるさい口を閉じろ。それとも、今この場で喋られないようにしてやろうか?」

「あら、意外と獰猛なのね。あの子を守っていた時は紳士だと思っていたのに」


 クスクスと笑いながら、クロエが切れ長の金色の目でグレイルの顔を下から覗きこむ。


「ねぇ、あの子って狼になれないんでしょ? どうしてあなたは彼女を好きになったの? 普通だったら、考えもしない相手よね? 私とあの子、どこがどう違うのかしら?」

「お前に話すことじゃない」


 グレイルがぶっきらぼうに返事をすると、クロエが妖艶に微笑んだ。


「そう。でも、私の姿を見ても同じことが言えるかしら? 私、結構狩りは得意なのよ。セヴェリオがどうして私をあなたにあてがったか、じきにわかるでしょう」


 自信たっぷりに笑うクロエに、今度こそグレイルは返事をしなかった。


 だが皮肉なことに、彼女の狩りのセンスは抜きん出ていた。


 目の前の鹿を目掛けて猛進する。孤児院の子供達を元気付ける為にも、目の前を走る肥えた鹿はなんとしてでも狩りたい所だ。走りながら視線を右に向けると、並走する何匹かの仲間の姿が視界に映る。あの中に瞬発力がある者がいるのだろうか。知った顔がいないのでわからない。苛立ちながらも、グレイルは追い込みをかけるために速度をあげた。

 目の前の獲物との距離がグングン近づいていく。グレイルがななめ左の方角から旋回して追い込みをかけると、鹿は右側へ舵を切った。右側で並走していた仲間の狼達が途端に速度をあげ、我先に仕留めようとこぞって鹿に突進する。だが、皆が一様に突撃をする為、互いが互いを邪魔し、うまく鹿に飛びかかることができない。

 思った以上に連携のとれない群れの在り方に、グレイルは内心で舌打ちをする。あのままでは逃げられてしまう。そう思った瞬間、突如グレイルの目の前を黒いものが横切り、鹿の真正面から飛び込む。と同時に強靭な牙に捕らえられた哀れな獣は地面にどうと倒れこんだ。のたうちまわる獲物に他の狼も次々に飛びかかると、地面で暴れまわる鹿はやがて力を失い、ピクリとも動かなくなった。

 鹿に群がる狼の集団の中からすくっと立ち上がる一匹の黒狼。

 

 クロエが誇らしさに顔を輝かせながらこちらを見ていた。

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