Episode.5-4 思い出して
「……そうですか」
暗く薄汚れたこの場所は、櫻月陽の部屋の中。
ついに明かされた目の前の心の内。それを黙って聞いていた柊聖は、その言葉だけを口に出した。
「……わかってくれたなら、もう諦めて――」
「でも、それだけじゃ諦める理由にはできません」
遮られた言葉に、陽は目を丸くした。目線を上げれば、痛いほどにまっすぐ自分を見る柊聖の目が見える。
黄金色で、迷いのない真っ直ぐな目。瞳の色さえも痛く眩しく見えた。
「先輩は、楽しくなかったですか?SAison◇BrighTとして活動してるとき、ライブのセトリを練ってるとき。……それこそ、まだ活動してなかった、学生のとき」
「……それは」
「少なくとも俺には、楽しそうに見えてました。誰かのために何をしようか真剣に悩んで、全力で歌って踊る先輩は、心の底から楽しんで、笑ってるように見えました」
思い出たちを1人心の中でたどる。
入学して、皆と出会って、自分が特待生になってSAison◇BrighTに加入することになった日、初ライブをした日、シーフェスに出た日。
そんな数多のイベントに向けてミーティングをして、練習を重ねる毎日。
その中で笑っていた陽は、少なくとも誰かの面影を体現する偽物の仮面ではなかったはずだ。
「……どうだろうな」
伏目ぎみに陽は呟いた。柊聖はキュ、と唇を噛みしめる。
「……陽久さんがどうとか、俺はよく知りません。だけど、少なくとも俺が見てきた先輩は、櫻月陽さん本人だったと思ってます」
「……何を根拠に?」
「ありません、根拠なんて。……根拠なんてないけど、先輩の顔は俺が、俺達が誰よりも知ってます。先輩がどれだけアイドルが好きなのかも」
「嫌いだよ、アイドルなんて」
陽の否定は早かった。反射的なそれに近い速度の否定に、柊聖は顔を強張らせるが、それでも負けじと喰らい付く。
「それは嘘です」
「嘘じゃない。俺の感情は、俺がよくわかってる」
「嘘です!!」
柊聖は怒鳴り声を上げた。今まで一度も、幼馴染にすら怒鳴ったことがない温厚な男が、今、初めて。
「っ嘘、つかないでください。嫌いになろうとしないでください。嫌いだって、逃げないでください。……だって、アイドルが嫌いな人が、こんなにステージで輝けるわけがない」
柊聖は画面を見た。陽もつられてそこに目線を向ける。
垂れ流しにされたテレビに映し出されているSAison◇BrighTのライブ映像。そして、そこで笑みを浮かべて歌って踊る、櫻月陽の姿。
――アイドルなんて、嫌いだ。
モデルがそうであったように、これも父が目指した道で、父を追うために敷かれたレールの上。
俺は、どこへ行っても、所詮
陽の脳裏に、ステージのスポットライトを初めて浴びた春のデビューライブがフラッシュバックする。
客席のファンたちが自分たちのことを待っていて、出会えた歓喜で会場を震わせて、黄色がかった透明のペンライトを掲げていた。
隣を見れば、人一倍努力家な純がいて、天才肌でのほほんとした叶がいて、生真面目な柊聖がいて。
4人で声と音を合わせて、ステップを踏んで。たったそれだけなのに、それがすごく楽しくて。
その時だけは、父親の背を追うことなど忘れられた。自分は一人じゃない、仲間がいることを実感できた。
それだけで、ただそれだけのことが、
――幸せだった。
「おれ、は」
――アイドルが、SAison◇BrighTが、大好きなんだ。
「陽さん」
柊聖は陽に向けて手を伸ばす。目元を優しくなでれば、その指が濡れた。拭われたはずなのに、それは止まることを知らず、只々溢れ続ける。
「……ステージに立ってるときが、一番幸せだった」
塞ぎ続けて、殺そうとして、亡きものにしようとした心が、溢れだす。
溢れだした心を抑えることなど、できるわけがなかった。
「はい」
「みんなが隣りに居てくれてる時間が、何よりも大切だった」
「はい」
「……SAison◇BrighTが、大好きだ」
「……はい」
笑いながら涙を流し続ける陽に相槌を打ちながら、やっと聞けた彼の本心が嬉しくて、柊聖も涙を滲ませた。
「……俺は、本当に最低だな。こんなに大切なのに、大好きなのに、何も見えなくなって、嫌いだって、みんなを裏切って、傷つけて、悲しませて」
「……ほんとですよね」
「みんな、怒ってるだろうなぁ」
「そうですね、とっても怒ってます。なんで一人で勝手に決めて、勝手に行っちゃうんだ、って」
「なら、もう、戻れないよなぁ……」
「みんな待ってます。俺も、純先輩も、叶先輩も、プロデューサーも。銀や晴、今まで関わってきたアイドルの皆さん。……それに、ファンの皆も」
柊聖はスマホを出した。映し出されていたのは、純や叶、柊聖の元に寄せられていたSAison◇BrighTだけでなく、陽を心配する声。
そして「いつまでも待ってる」「早く帰ってきてほしい」というメッセージたち。
「みんな、陽さんを待ってるから、俺も毎日、貴方に会いに来てたんですよ」
「……まったく、君も大概だが、皆、馬鹿みたいにお人好しだなぁ」
陽は涙で滲む視界の中、メッセージたちを読む。困ったように眉を下げて、しかしその瞳は幸福の色を宿して微笑んだ。
「……帰っていいのかな」
「陽さんはどうしたいですか?」
柊聖は目を細めて笑う。答えはわかっているが、あえて言わせようとしているのだろう。
「分かってるくせに」
「俺は陽さんの口から聞きたいんです。思ったことは言わないとわからない、でしょう?」
柊聖はいたずらっぽく笑ってみせた。
――全く、後輩のくせに生意気になったもんだ。
自らの涙を拭って、屈託の無い笑みを浮かべた。
「――帰りたい。みんなに会いたい」
閉め切ったカーテンの隙間から差し込む僅かな光が、その意志を祝福するように、暗く汚れた部屋に舞うハウスダストを輝かせた。
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