Episode.3-5 色が見えた世界

「……五日、経ちましたね」


 橙柊聖とうのき しゅうせいは、スマホの画面を見ながら、少し不安げにつぶやいた。

 行方不明になっていたメンバー、紅咲叶べにさき かなたを探し求め、小さな旅をしてから早くも五日が過ぎていた。

 あれから三人は各々の仕事、学業をこなしつつ、自分たちのやることをし続けた。彼が帰ってきてくれることを切に願いながら。

 やはり連絡もなく、帰ってくるような兆しもない。なんとなく不安に襲われながら、それでもきっと帰ってきてくれると信じて待ち続けた。


「信じて待つしかないさ。あいつのことはあいつにしか決められないからな。君も柔軟始めておけ」


 このSAison◇BrighTセゾンブライトリーダーである陽はストレッチを始めながら、レッスンの準備を進めていた。「はい」とスマホを閉じてカバンに入れれば、軽く体をひねってほぐす。その表情は不安に曇っていた。

 今日は陽と柊聖が先に練習を始めて、別件に行っている葵海坂純あおみさか まことが遅れて合流する。しばらく続いた誰かと二人の時間や、一人きりの時間。嫌なわけではないが、やはり叶がいないという現実を突きつけられている気がして、落ち着かないし、不安になる。


「……そんな顔するな柊聖。不安なのもわかるが、あいつが選んだ道を尊重するのもまた仲間だ」

「……そう、ですよね。……陽先輩は、どうなんですか?」

「まぁ、帰ってきてほしいのが実際のところだけどな。でも強制はしない。できないし、するものでもない」


 そういうと陽は目を伏せて笑う。柊聖は腑に落ちないと言いたげに眉を少し潜める。


「……純先輩もですけど、先輩方、割とドライですよね」

「はは、そうかもな。割とみんな個人の歴のほうが長い。全員で寄ってたかってひっぱったってストレスになるだけだ。こういうときは一人にしておくのがいいんだ。特に叶みたいなやつはな」


 柊聖の言うことも最もだ、と困ったように笑えば、べた、と前屈をする。陽はモデルなこともあって体が柔らかかった。

 そんな陽を見ながら柊聖は疑問に思った


「……先輩は?」


 陽がもし壁に当たったときに、自分ににできることあるのだろうか。

 自分は純や二人が助けてくれた。しかし、自分は純にも叶にも何もできなかった。皆に寄り添っていたのはいつも陽だった。周りに気を使えるリーダーの貫禄が伺える。


「俺?俺はそうだな……」


 答えようとしたときに、レッスン室の扉が開いた。

 開いた扉の先には誰もいない。ひとりでに戸が開いたように見えた。その扉に二人は首を傾げる。しかし、その謎はすぐに解けた。レッスン室の鏡に、廊下に立っている怪奇現象の主犯が僅かに映りこんでいる。

 高身長で、オレンジの髪を軽く結った男。


「……叶先輩!!」


 柊聖はずっと待っていたその人の名を呼んだ。

 えっ、と声が漏らした叶はそっと部屋の中を覗き込む。


「……なんでわかったのー……」

「詰が甘いな叶。鏡に写ってる」

「……あ、ほんとだ」


 鏡の中の自分と目を合わせると観念したように笑えば、レッスン室に入った。


「……えーっと、この度は大変、ご迷惑とご心配を」

「違います」

「えっ」


 少し言いづらそうに身動ぎ、謝罪を述べようとした叶の言葉を遮る柊聖。遮られた叶も、その謝罪の言葉を聞こうとしていたようも素っ頓狂に声を上げる。


「帰ってきたら一番に言うこと、ありますよね?」


 怒っているのかと思いきや、柊聖は柔らかく微笑んでいた。それを聞いて陽も納得したようにゆるく笑みを溢せば、「そうだな」と同調する。


「謝罪の言葉より先にそっちが聞きたいな」

「……もう、二人は俺の母親だったのかな?」

「ふふ、どうでしょう?」

「産んだ覚えはないな」


 冗談らしく笑う柊聖と陽に、叶は困ったようにため息をつく。しかしそこに負の感情は一切なく、むしろ安心しているような表情だった。

 ――いつも通りの場所だ。ちゃんと俺を待っていてくれたんだ。

 うん、と頷けば、いつも通りへにゃりと笑った。


「ただいま、陽ちゃん、柊ちゃん」

「おかえりなさい、叶先輩」

「あぁ。おかえり、叶」


 その言葉さえかわしあえば、もう謝罪の言葉はいらない。帰ってきてくれたことが、彼の答えなのだから。


「……マコちゃん、怒ってるかなー」

「だいぶキレてたぞ。あとトレーナー達も心配していた。ついでに今日はダンスだが、覚悟の上で来たよな?」


 意地悪に笑う陽に、叶は硬直した。冷や汗が伝う。

 SAison◇BrighTのダンス講師は、キレると相当怖い、ということに(主にSAison◇BrighTの4人から)定評があった。ちなみに夏にレッスンをすっぽ抜かしたときも、どういうわけかダンスレッスンの日だった気がする。


「え、そんなに怒ってるの? あの人」

「それはもうカンカンに。今日一日は説教を覚悟しないとな」

「……俺帰ろうかなー」

「だめです。一緒に怒られてあげるので、きちんとお叱りうけてください」

「うー、柊ちゃんの鬼ー」


 運命とは残酷だ、来て早々に災難が待っているとは。天才が思っているほど、現実は甘くないようだ。大きなため息をついた。


「ハロフェスに向けてしっかりしごかれようじゃないか。叶も、俺達も」

「ですね、本番までもうすぐ一ヶ月切っちゃいますから、みっちりがんばりましょう!」

「はぁーい」


 気合を入れる陽と柊聖とは対象的に、肩を落として憂鬱げに返事をする。このあとの説教、おそらくダンス講師のが終われば、次は遅れて来る純だ。

 しかし、叱ってくれると言うのは、それはそれで幸せなことなのかもしれない。叶はふと、過去のクラシックを辞めたときのことを思い出す。


 「あいつは逃げた」と後ろ指を指され、父からは軽蔑された日々。高専に入ってから一度も実家には連絡を取っていない。

 沢山のものを捨てた。栄光も、関係も、居場所までも。でも、何も感じなかった。そしておそらく、もう一度手を伸ばして取り戻したとしても、もう元の形には戻れない。自分の席はどこにもない。

 実のところ、アイドルという席も手放そうとしたときも、何も感じなかった。

 だが、周りは違った。一度手放しかけたこの居場所は、ずっと自分の帰ってくる場所を残してくれた。いつでも帰ってこいと、そう言った。

 そして笑って、おかえりと言ってくれたのだ。

 今まで何も感じなかった心に、ほんのり温かい何かを感じた。

 きっと彼らとなら、色のない平坦な世界に、光と影と、色を見つけられる。そんな気がした。


「ありがとう、皆」


 言葉には出さないけど、心の中でそう伝えてみた。

 みんなに会えてよかった。アイドルを始めて、捨てないでよかった。

 そう思った叶だった。


 このあと、案の定ダンス講師にこってり怒鳴り絞られ、遅れて合流した純からもお小言をいただいた叶であった。

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