Episode.3-4 虚無を埋めるには

 地図の導きのまま郊外の街を進んでいけば、三人は都会の中にあるとは思えない神聖な雰囲気を醸し出している森林にたどり着く。


「すごい……」

「なんか別世界に来たみてぇだな……」


 橙柊聖とうのき しゅうせい葵海坂純あおみさか まことは、もの珍しげにキョロキョロと落ち着き無く周りを見て感嘆の声を上げた。

 少し先行して歩くリーダーの櫻月陽さづき ようは「置いていくぞー」と二人に声をかけた。その声にハッとして慌てて二人もついていく。

 観光に来たのならばゆっくり見たいものだが、残念ながら彼らには、一刻を争う重大な任務があるのだ。

 彼ら三人が所属するアイドルユニットSAison◇BrighTセゾン ブライトのメンバーである紅咲叶べにさき かなたが姿を消してからかれこれ1週間以上が経過した。

 そんな彼の捜索をする最中で、同じくアイドルユニットのN-Sノースサウスリベラズムに所属する、失踪した彼の知り合いらしい乾那原智和かんなばら ともかずから「ここにいる可能性がある」という情報を受け、三人ははるばる電車に揺られてここまで来たのだった。


「この緑の中にオレンジがいりゃあそりゃ目立つよなぁ……」

「ですね……無事だといいんですが……あれ」


 探しながら歩く柊聖はふと足元を見た。そこにあるのは、成人男性くらいの大きさの足跡。

 その跡はくっきりと残っていて、まだできたばかりなのではないかと予想できる。そして、それを目線で追えば、かなり先まで続いていた。


「……あっちに続いてる。先輩!この靴のあとおってみませんか?」

「ん、わかった」

「人の出入りくらいしてそうだし、全然関係ない可能性の方が高そうだな……」

「そ、そのときはすみません……」

「はは、直感に頼るのは時としてはいい事だと思うぞ、俺は」


 柊聖の直感にたより、三人は靴跡を辿っていく。

 木がさざめく音や鳥の歌声が響く森は、音の数としては多いはずなのに不思議と心が安らぐものだ。空気も澄んでいて居心地もいい。

 しばらく歩けば小さな川に差し掛かった。上流から流れてきているらしい水は美しく透明だ。

 そして、その川の辺りに裸足で腰をかけて空を見上げ、時折パシャ、と足を動かす見覚えのあるオレンジの長髪の人物がいた。

 白いシャツを着たその人物は、たしかに後ろ姿だけを見れば幽霊なような気もしてくる。だが、三人にとっては随分と見慣れた姿だった。


「……叶」


 陽がその名を呼ぶ。オレンジの幽霊―――もとい、探し人は、ゆっくりと声のした方向へ振り向いた。


「……あーあ。見つかっちゃった」


 残念だ、というふうな言葉とは裏腹に、薄く微笑む叶。純はズカズカと近寄る。


「見つかっちゃった、って、お前何日空けたと思ってんだよ、どんだけ心配したと思ってんだよ!!」

「あは、マコちゃん心配してくれたの? ありがとー」


 純の怒りを含んだ問い詰めに、いつもどおりにへら、と笑う叶だったが、その笑顔はどこかぎこちない。……というよりかは、笑っているのに笑っているように見えなかった。薄く目を細めて、薄く口角を上げている。それだけのように見えた。


「良いからさっさと帰るぞ!! ハロフェスの練習始まってんだ、合わせられる回数だって有限なんだぞ。さっさと戻―――」

「ごめんね」


 遮るように目を伏せて一言だけそういうと、叶はまた虚空を見上げた。より一層眉を顰める純。乱暴に腕を掴んで引っ張ろうとした。が、叶がそれに従って動くことはなかった。


「……おい、何のつもりだよ」

「……こんなつもりだよー?」

「ガキみたいに駄々こねんな、いい年した大人が」

「んー。じゃあいい年したガキ、ということでー」

「てめぇ……!!」


 純は叶の胸ぐらをつかむ。それを慌てて止めようと柊聖が近づいた。陽は神妙な顔で少し遠くから見守るようにゆっくりと歩み寄る。


「いい加減にしろっつってんだよ!! さっきから何なんだよ、何も言わなくても伝わるとか思ってんじゃねぇぞ!! 大の大人がアイドルしごとの責任を放棄するなっつってんだよ!!」

「先輩、やめて……!!」

「言いたいことあるならはっきり言えよ、いつまでも甘ったれてんじゃねぇよ!! 何もしなくてもお前の思うとおりにことが運ぶと思うなよ!?」

「先輩!!」


 柊聖が無理やり叶の胸ぐらを掴むその手を解かせ、押さえつける。怒りが頂点に達した純は興奮した様子を隠す様子もなく叶を睨みつけた。

 対する叶は、さもそれを気にしていない様子で服の衿を直した。


「……そうだね。このまま見つけてくれさえしなければ、きっと俺の思い通りに事が進んだのかもしれないのにね」

「叶先輩……、っ戻りましょう? 俺達も、銀たちも、プロデューサー達だって心配してましたよ、戻ってまた四人でがんばりましょうよ、ね……?」


 柊聖の口から搾り出された言葉は、諭す、というよりも懇願に近かった。自分でも情けないと思うくらい、声が震えていると思った。

 かなたは多くは語らない。語らないが、柊聖は何か嫌な結論にたどり着いてしまっていた。叶は言わないだけで、もしかしたらこれ以上諭したら、言ってしまうのではないか。一番聞きたくない言葉を。


 そして、やはり現実というのは、情などないものである。


「……ごめんね、柊ちゃん。……陽ちゃんもマコちゃんも、今までありがとう」

「は? おいなんの」

「俺、やめるよ。アイドル」


 強い風が吹き、木の葉が舞い踊る。

 叶の長い髪が風に揺れると、その表情を隠してしまう。彼の心情が、読めない。


「……な、にを」


 沈黙を破ったのは、動揺した純の声。絞り出すようにそれだけいうと、叶は目を細めたまま木々の隙間から少しだけ見える空を見上げて、パシャ、と水を跳ねさせた。


「何って、そのままの意味だよー。俺はアイドルをやめる。SAison◇BrighTを抜ける。それだけの話」

「……どうして、ですか」

「そう思ったから、かなー」

「……叶、きちんと経緯を説明してくれ。俺は、俺達はそれを知る義務がある」


 ようやく陽が口を挟んだ。険しく、痛々しい表情だ。叶は、困ったようにため息をつく。


「……説明したら、帰ってくれる?」

「返答次第だな」

「手厳しいなー」

「これでもリーダーだからな」

「そっかー。……なら仕方ないね」


 パシャ、と足を軽くばたつかせてから、ゆっくりと三人に顔を向けた。陽は真剣な眼差しを、純は今まで見たことのないような動揺の顔を、柊聖は今にも泣きそうな悲痛の顔をしていた。


(……そんなに俺のことを心配してくれてたんだ、皆)


 チクリ、と少しだけ罪悪感が湧いた。だが、それ以上はなかった。ただ、それだけ。かすかな罪悪感以外は何も感じなかったのだ。


(……あーあ。何も変わってやしないんだ。あの時から、ずっと)


 叶は自嘲気味に笑う。

 純は固唾を飲み、柊聖は胸元で手を握る。陽も腕組みをして木に寄りかかれば、叶の次の言葉を待った。


「……俺には無理だって思ったからだよ。陽ちゃんや柊ちゃん、マコちゃんと……、ステージに立つ君たちアイドルと、同じになることはできないんだって。そう思ったから」

「同じ、ですか……?」

「あぁ、別に柊ちゃんになりたいとか、マコちゃんになりたいとか、そういう意味の同じじゃないよー?……んー、同じものを見たかった、っていうのが正しいのかなー」

「同じものを見たかった、って、今まで同じステージに立ってたんだ。見えてるものは同じだろ」

「違う違う。あー……難しいねー……」

「……物理的な風景じゃなくて、同じ感情を持ちたかった?」


 少し考えて陽が叶の言葉の代弁を試みる。「んー、半分正解」叶はヘニャと笑った。


「アイドルってさ、努力の結晶じゃない?マコちゃんも柊ちゃんも、努力の鬼でたくさん頑張ってて。陽ちゃんだって下積みで頑張ったことがあるから、今もこうしてリーダーをしてる。だから俺もね、アイドルになれば思い通りにならないことばっかりで、努力して、頑張って。……頑張った先の世界を一緒に見られるかなって思ってたんだー」


 茶化すように形だけの笑みを浮かべて、叶は淡々と語る。


「……でも、そんなことなかった。……マコちゃんはよく言うじゃない?"叶は才能の持ち腐れだ"って。……その通りだったんだよ」


 純はぎく、と身体をこわばらせる。聞こえていないと思っていたのに……。


「才能を手に余らせて、一度できなくてもすぐできて。結局努力なんて言葉を知らずに終わっちゃう。……クラシックをしてた頃と何も変わらなかった。すぐ弾けるようになって、評価されるピアノがつまらなくてアイドルになってみたのに、今こうしてアイドルがつまらなくなった」

「……あ」


『クラシックから逃げた』『家系』。

智和やAltaïr△VegÄアルタイル ヴィーガの言っていたことが、やっと、なんとなくだが繋がった。そんな気がして柊聖は声を上げる。

 柊聖は、何でもそつなくこなせる叶に憧れていた。自分が何週間もかけてやっとできることを、叶は1日もあればやってのけてしまった。その裏には相当な努力があるのだろうか、などと勝手に思っていたが、逆だった。天性の才能を持つもの故に抱えてきた苦しみと孤独なのだろう。彼も一人でそれを抱えていたのだ。


「……んだよ、それ」


 純は静かに拳を握る。

 純は才能に胡座をかく叶が疎ましかった。自分が努力して手に入れたものを、叶は何も努力しないで手に入れることができた。それが、自分を小馬鹿にしているようにさえ思えて。

 そして今も、できる自分の才能を、純が欲しくても手に入れられない天性の才能を持て余しているその事実が、ひどく気に入らなく、憤りを加速させた。


「……うん、『才能持ってるやつ癖に持て余すな』って、そう言いたいんでしょう? マコちゃんの言うこともそのとおりだと思う」


 灰色の目は純を、三人を見透かす。


「どれだけ努力しても才能がなくて、ステージへの夢を諦めた子たちが五万といることも知ってる。……だけどね、どうしても、この才能ってやつに感謝できないんだ。持ってるからもっと上を目指そうなんて、思えないんだー、俺」


 その目はひどく濁って見えた。


「だって、才能これのせいで、ひどく世界がつまらなく見えてしまうから」


 流れゆく水の音と、鳥の声だけが森の中を木霊した。純も柊聖も言葉をつまらせていた。

 彼の傷は、ひどく傲慢だ。贅沢すぎた悩みだった。自分達では理解しようにも理解できない、そう感じた。才能があるものが、ないものの気持ちを知ることができないのと同じように、才能がないものもまた、才能があるものの苦悩を理解することなど、到底できやしないのだ。

 智和が『どうすることもできない』といった理由が、なんとなくわかった気がした。


「……そうか、わかった」


 沈黙を破ったのは、陽。目を伏せて一つ頷いてみせた。

 そのわかったは「君の言い分を理解した」なのか「君の主張を受け入れた」なのか。

 柊聖は不安げに「先輩」と声を出す。……どうすればいいのかはわからない。けれども、柊聖は叶がいなくなってしまうことは、嫌だと思った。なんとか引き止めたい、そういう気持ちを込めて、柊聖は陽を見つめる。

 陽と柊聖の目線が交差すれば、柊聖の頭を優しく2度ほど撫でて、叶の方へ近づいていく。


「……たしかにそれは、俺達には理解できそうにない」

「おい陽」

「理解はできないが、それでも君を手放す理由にもならない」


 叶は目を丸くした。「どうして」と言いたげな顔だ。陽に噛み付こうとしていた純も同じく目を丸くした。


「……というかだな、君は贅沢を言いすぎだ。君は努力していただろうに」

「……?」

「その様子じゃ気づいていないな?ついこの間の事なんだかなぁ」


 やれやれといった様子で苦笑して、陽は首を横に振った。

 この間の事。叶は思考を巡らせる。……直近で何かあったかとなると、あの真夏の夜の海で行われたステージのことしか思いつかない。それについて何かあっただろうか。あの場で一番輝いていたのは、夏を制したのは紛れもなく純だ。今までの努力が実を結んで、輝かしい未来を掴みとった純だ。自分には何ら関係がない。


「……わかんないよ。陽ちゃんの言ってること」

「そうか。君はさんざん嫌がっていたからなぁ、。忘れても仕方がないか」

「……」

「俺が提案して、きちんと結果として帰ってきた、あのメニューだよ」

「……あ……」


 叶は少し考えてハッとしたように声を漏らした。

 アレ。炎天下の中ひたすら事務所の周りを走り続けた、あのメニュー。


「確に何か技術を得ることについては、君はすごく飲み込みが速い。君と初めて組んだときには流石に驚いたよ。"あぁ、これが天性の天才か"、ってな」


 陽は呆然とした様子の叶の隣にゆっくりと腰をかける。


「だけどな、肉体的なもの、例えばスタミナや筋力はやらないとついてこない。続けないことには意味がない。君は文句をたれながらも、きちんとやりきったじゃないか」

「そーだそーだ」


 ぐい、と叶の背中に体重がかかる。目線を後ろにやれば、いつの間にか純が自分の背を背もたれに座っていた。


技術スキルはゲットできてもな、肉体的能力値ステータスはレベルが上がらない限りぜってぇ上がらねぇんだよ。お前は夏の稽古ちゃんとやりきったじゃねぇか。それを努力と呼ばずになんと呼ぶってんだよ。どんな天才も肉体的能力値そこは努力の賜物だ。努力がわからないーとかゼータク言うな、バカナタ」


 ふん、と鼻を鳴らせばぶっきらぼうにそっぽを向く。もっと素直に言えばいいのに、と陽と柊聖は苦笑いを浮かべる。


「とにかく、だ。君はゆるい癖に頭が硬いんだよ。もっと視野を広げて、柔軟に楽に考えてみろ。努力をしなかったなんてことは絶対にない」

「そうです、俺達と一緒に頑張った時点で、それは努力なんですよ!」


 二人は自分に笑ってみせた。その笑顔があまりにも眩しくて、目を細めてしまった。

 陽は叶の顔を確認すると頷いてその場から立ち上がる。


「さ、帰るぞ、純、柊聖」

「えっあ、はい……!」

「……へーへー」


 柊聖は少し慌てた様子で、純はため息をついて立ち上がった。

 叶は少しためらった様子で三人を見上げる。

 連れて行かれるのだろうか、と思っていた。陽は二人に二言三言話すと、二人を先に帰路につかせた。陽もそれに追従するように叶を置いて歩き出す。

 が、少しだけ立ち止まり、陽は振り返らずに喋る。


「今すぐ戻ってこい、とは言わない。最後に決めるのは君だからな。……もしまだ、君が俺達と同じ世界を見ようと思えるのなら、いつでも戻ってこい。お前の席も、立ち位置も、全部ちゃんと開けておいてやるから」


 遠くから「陽ー!道わかったー!」と純の声が聞こえた。「わかった、今行く」と答えて陽も走り出した。

 再び一人になった森の中。鳥の鳴き声と木々のさざめき、水の音が鼓膜をくすぐる。

 叶はまた空を見つめた。


 木々の隙間から入る陽の光が、少しだけ強く、暖かくなった気がした。

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