Episode.5-2 一つ空けた立ち位置
週明け。
ここは、
今日はそういうのをなしにして、純粋に陽と話をしてみようと思ったのだ。
週末、
深呼吸をして、インターホンを鳴らす。
「こんにちは、橙です」
声をかけるが、誰も出てくる様子はない。
ここまでは想定内。ここ最近と変わらない結果だ。だから、焦る必要はない。ゆっくりと深呼吸をして、いつも雑談をする調子で声をかけた。
「今日も外は寒いです。先輩も風邪引かないように気をつけてくださいね」
返事はない。これも想定の範囲内。
柊聖はただ、なんの他愛もない世間話的な独り言を続けた。純がドーナツを持ってきてくれた話、叶がピアノの弾き語りをしてくれた話、会議がとっちらかって中々まとまらなくて苦戦している話……。本当に他愛もない話だった。
どれだけ話しても、やはり返答の一つも帰ってこない。いつもならば「そうだったのか」と、笑って聞いてくれていた陽。今はその言葉さえも帰ってこない。話していた思い出にも、陽は居ない。楽しい話のはずなのに、なぜが少し空虚な思い出たち。
「……先輩。……先輩は、どうしたいですか?」
ドアに手を触れて、弱々しく問いかける。
「俺、ずっと先輩に戻ってきてほしい、ってばっかり伝えて、先輩の気持ち、何も考えてなかった。……そりゃ、ウザくなりますよね、毎日同じようなことばっかり言われたら」
自嘲気味に、柊聖は笑う。ツー、とドアを撫でた。
「……ごめんなさい、結局自分の話ばっかりしちゃう。……でも俺、ちゃんと陽先輩と話がしたいんです。今度は、もう目を背けたくない。……でも、すぐにじゃなくていいです。またこうして、他愛もない話、しにくるので。もし先輩が、話を聞いてやらなくもないって思えるようになったら、きっと、このドア、開けてくださいね。……じゃあ、俺はこれで失礼します」
見られていないのにお辞儀をして、柊聖は部屋をあとにした。
それから毎日、こうして他愛のない話をドア越しにし続けた。時々
そうした日々が続き、気づけばまた時間が経ってしまった。
何をしても報われない日々に重い空気が立ち込める。
「こんなんで間に合うんかねぇ、ライブ」
大きなため息とともに純が愚痴を漏らした。ライブでは新曲を出す予定で、彼らもその練習に取り掛かっている。他の曲は問題ないが、その一曲だけが心配だった。今日は新曲をバックで生演奏をしてくれる人たちとの合同練習の日。
「……きっと、大丈夫です。信じましょう、それしか、できないですから」
少しうつむき気味に、手を組んで握りしめる柊聖。信じるしかできない。柊聖にとってそれは最後の希望であり、何もできない自分に対する屈辱でもある。
最近の柊聖の顔は暗かった。本人は気にしていない、という素振りでありつつも、やはり苦しいものがあるようだ。いつも楽しげに笑っていた後輩の沈んだ表情に、叶と純も顔を見合わせてしまう。
「おじゃましまーす」
眠そうな声とともにレッスン室の扉が開いた。そこには二本のアホ毛を揺らして、眠そうな目つきの青年と、その後ろから銀髪の男と茶髪の男が二人。「こんにちは」と遅れて挨拶をする。
「おう、今日はよろしくな、ノーサス」
合同練習の相手は、生演奏をしてくれるノーサスだった。
この話は冬、柊聖が期末試験でしばらくいなかった時に陽から提案されたものだった。ノーサスとセゾンは交流が深い。そのため、ゲストとして呼ぶには一番近しい人物たちだった。
その話を聞いた銀次もまた、二つ返事で頷いた。むしろ「ぜってぇ俺達がやる」と他に譲らない勢いだったという。
「こちらこそよろしくお願いします! あ、荷物はどこに置いていいですか?」
「適当に置いて大丈夫だよ」
「わかった、じゃあチューニング終わったらまた声かける!」
銀次と晴彦は荷物をおいて楽器ケースから楽器を取り出せばチューニングを始めた。
「いやー、プロプリのレッスン室って、広いですよねー。いーなー」
「柴之んとこの防音室だってそんなに狭くはねぇだろ」
「いやいやー俺達使ってるの、結構狭い部屋ですよー? キーボードとドラム広げたら割とパンパンでー」
「江南水、お前も駄弁ってないでセットの配置チェックしろ。すぐ始めるんだから」
羨ましそうにレッスン室を見回す柴之に、智和はキーボードを確認しながら言った。「トモくんせっかちー」と口を尖らせながらおとなしくドラムセットに足を運んだ。
少しすれば「いつでもいけまーす!」と銀次から声をかけられた。
「……うっし、んじゃやりますか」
「はーい」
「今日はよろしくね、皆」
「こっちこそ! ……陽さんは、やっぱいないか」
部屋を見回してから、少し残念そうに銀次は眉を下げた。それを聞いて柊聖も申し訳なさそうに眉を下げる。
「ごめんね、まだかかりそう」
「気にすんなよ、早く帰ってきてくれるといいな。……ひとまず、通しっすか?」
「だな。どんな感じになるのかまず感覚が欲しい。そっちもそんな感じだろ?」
「っす! じゃあシノのカウントで入る感じで!!」
銀次が頷けば全員が定位置についた。叶、純が並び、一人分空けて柊聖が立つ。静かに下を向いて、目を伏せる。新たな曲の、最初の立ち姿。
――今は、自分のできることをしよう。
その一心を胸に秘めて、ドラムのカウントを待った。
練習は滞りなく進んだ。あぁでもない、こうでもない、もっとこうではないのか……。より良くするために話し合いを重ね、何度も声と音を合わせる。
あっという間に時間は過ぎていった。
「今日はここまでにすっかぁ」
「そうですね、いい時間ですし」
「お疲れ様っす! 楽しかったー!!」
練習を終えた7人は「おつかれさま」と汗を拭きながら口々に言った。
「うへー、もー腕うごかないー、トモくんおんぶー」
「しないし意味ないだろう。だからお前はもっとペース配分考えて叩けと何度も言ってるだろうが」
「だってたのしーんだもーん」
スティックを放り投げてドラムからフラフラと離れると、ぐて、と智和の肩に顎を預けた。うざったそうに智和はため息をつきながら悪態をつくが、柴之は変わらずマイペースにしていた。
「いやー、たくさんやったねー」
「だな。柊聖、このあと自主練するか?」
「はい! 今日変わったところ、体に叩き込みたいので」
「あ! じゃあ俺も一緒にしていいっすか!」
「うん!」
自主練の計画に銀次が乗れば「結局続行みたいになるんだよなぁ」と純は苦笑いを浮かべた。
「俺はこれで失礼しまーす、腕パンパンになっちゃうー」
「俺も失礼します」
「おぉ、おつかれさん柴之、乾那原。……叶はどうする?」
「うーん、俺も今日は帰ろうかなー。流石にくたびれちゃった」
考えるように上を向いた叶もそういった。純や柊聖も特に引き止めることもせず、帰る面々は帰路についていった。
見送った後に銀次が晴彦を見る。
「ハルも残るだろ?」
「……、ごめん、今日は俺も帰ろうかな」
「えー!?」
晴彦が申し訳なさそうに笑えば、銀次は驚いた様子で声を上げた。柊聖も目を丸くしている。
「晴が先に帰るの、なんか珍しいね」
「うん。ちょっと寄りたいところがあるんだ」
「そっかぁ……」
寂しげに銀次が項垂れれば、純も「気をつけて帰れよ」と見送る。「皆さんもお気をつけて」と晴彦も一礼して部屋をあとにした。
三人の自主練は、部屋の貸出時間ギリギリまで続いた。
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