Episode.5-3 有耶無耶の心の内
気づけば3月も終わりを迎えようとしていた。4月が来ればすぐに周年の日が来てしまう。
準備はゆっくり着実に本番を見据えられるようになってきていた。あとは、仲間が全員揃うだけ。
柊聖はまた一人、陽の家に訪れていた。手には桜の枝を持っている。
「こんにちは、先輩」
インターホンを鳴らして微笑む。
「今日、卒業式があったんですよ。来年は俺の番です。……なんだかあっという間だなぁって思いました。あ、今年の卒業式は桜が綺麗に咲いて――」
いつもどおり他愛のない話をしようとしたとき、ガチャと鍵の開く音がした。
あまりに唐突のことだったものだから、飛び上がって危うく手に持つ桜の枝を落としそうになる。
恐る恐る様子を見るが、そこから先は何も起こらない。
「……あの、先輩? ……入って、いいってこと、ですか?」
声をかける。やはり反応は帰ってこない。が、ここで引き下がってはいけない、そんな気がした。
柊聖は意を決して扉のドアノブをひねった。
中を見れば、最後に見た時以上に部屋は荒れていた。なんとなく人為的に動かされたり片された形跡はあるが、それでも汚部屋であることは変わらなかった。
陽は相変わらずタオルをかぶったままテレビを見続けている。最後に見たときより少し痩せたようにも見える。テレビに映るのは変わらず自分たちのステージの録画だ。
「……おじゃま、します」
声をかけるが、やはり返事はない。
家の扉を閉めて鍵をかけ、靴を脱ぐ。
「……先輩、こうしてお会いするのは、なんだか久しぶりですね」
間隔を空けて、陽を正面に捉える形でゆっくり隣に正座して顔を伺う。タオルを被っているため表情までは伺えないが、相変わらず目には光がなかった。
「……そうだ、学校の校庭のさくら、綺麗に咲いてたんですよ。枝落ちてたので持って来ちゃったんです。部屋に飾ろうかなって思ってたんですけど……。先輩、いります?」
少し眉を下げて、花をつけた桜の枝を見せながら語りかける。やはり反応は帰ってこない。
空回りしている気がして、唇を噛んだ。だが、ここで焦っては全て無駄になる。……一度、深呼吸。膝の上で枝を握りしめて、ふと陽の視線の先をみた。
映っていたのは、ライトに反射して輝く汗を流してステージで歌って踊る自分達の姿。これは去年のライブだ。
「……このライブもすごく盛り上がりましたよね。俺、この時歌った曲の先輩のソロ、大好きなんです。キラキラしてて、胸が熱くなって……。中学の説明会に来てパフォーマンスしてくれたときのこと思い出しました」
懐かしげに目を細めて話す。陽は何も答えない。
「……先輩にお話しましたっけ。俺や銀たちに夢と目標を持たせてくれたのは、陽先輩なんですよ。説明会のパフォーマンス見て、それで――」
「柊聖」
唐突に名前を呼ばれて、柊聖は思わず跳ね上がる。久々に声を出したようで、掠れていた。
「もういい。やめてくれないか」
「な、にを、……なにを、ですか」
「俺はもう、やめるって決めたんだ。プロデューサーにも話は通してある。もう、放っておいてくれ」
柊聖は動揺した。やっと話を聞いてもらえるのだと思って開けた扉の先で聞かされた言葉は、拒絶。
「……嫌、です」
やっと絞り出した言葉は、それだけだった。
「もう決めたんだ。そろそろそういった声明が出てる頃だろう。もう戻らないし、戻れない。だから諦めてくれ」
「っ……そんなこと」
「君だって疲れるだろう、毎日毎日飽きもせずこんなボロ屋にきて、話をして。純も叶も、なんでそんなに意固地に俺を呼び戻そうとしてるのか知らないが、正直迷惑なんだよ」
「……!!」
――迷惑。
確かにそうだ。自分が決めたことに対してずっと文句のように反対の意見を言い続けるのは、言われる側からしたら迷惑極まりないだろう。そんなことを言われたら、何も言い返せない。
柊聖は膝の上で拳を握った。陽にも譲れない思いがあるように、柊聖にも譲れない思いがある。ここで引いたら、今までの努力が全て無駄になってしまう。すべてが終わってしまう。自分の夢も、目標も、大事な物も。
「……迷惑をおかけしてしまったのはすみません。でも、俺は、俺達は納得できなくて」
「君たちが納得しようがしまいが関係ないだろう。それとも何だ、君たちも
「違います!……違い、ます」
「なら俺の意見を尊重してくれよ。君たちにまでアイドルをやめろとは言わない。これからは俺抜きで活動するなり、個人の活動にするなり、好きにすればいい。ただ、俺が消えるという事実だけ残してくれれば、それでいいから。……頼むよ」
聞く耳を持たない。頼む、だなんて、そんなのずるい。自分の気持ちを優先したい癖に、相手を気遣う言葉を投げてくるなんて。
やはり彼は非道にはなれなかった。きっと、その優しさは他の誰でもない、陽の本質。
柊聖は、その優しさに弱かった。何度も助けられ、救われてきた。
……だが、今回だけは、その優しさに負けられない、負けてはいけない。柊聖は陽のことをまっすぐ見た。
「……先輩の言い分は、わかりました。……だけど、納得はしません。貴方がそう決めたから、それだけじゃ、譲ることはできません」
「……強情だな」
「はい。俺も、今回ばかりは自分の意志を貫きたいから。先輩に、戻ってきてほしいから。……だから、俺が、俺達が納得する説明をしてください」
ゆらりと陽の首が動いた。
ボサボサになった頭、目の下には隈ができ、明らかに窶れていた。
柊聖は少しだけ驚いたが、それは顔に出さず、ただ陽の濁った目を見る。
「……そうすれば、諦めてくれるか?」
「……善処します」
それだけ答えれば、陽は呆れたように目を伏せた。「わかったよ」とだけ呟けばゆっくりと話を始めた。
「……父さんは常に、人に夢を見せてきた。希望を見せてきた。絶望も、光も、影も。俺も、そうならないといけなかった」
父さん――櫻月陽久。先の収録の際に見たVTRでも、確かにそのようなことが書かれていた。あれだけ優秀で人気があった俳優だ。さぞ周りからの希望も強かっただろう。
「それが、人々の望みで、父さんの夢で、母さんの願いだった。ならば、父の影の俺が、そのすべてを叶えなければならないのは当然のことで。……そんな運命を何度も呪った」
「……」
「どうして俺なんだ。どうして皆俺を通して別人の夢を見るんだ。……最初はそれでも良かった。たとえ俺が俺である必要がなかろうと、自分の努力が実を結ぶならば。いつかそれが報われる日が来るだろうと、ずっと信じてた」
ずっと抑揚のない声で喋っていたが、少しだけその声色に憂いの色が見えた気がした。
「血が繋がっている。それだけで、赤の他人を勝手に重ねられて、勝手に夢見て、勝手に絶望されて。……もう疲れたんだ。嫌になったんだよ、アイドルも、モデルも、櫻月陽久になるのも」
陽はゆっくり俯く。再び頭にかけられたタオルで表情が見えにくくなってしまった。
「もう楽になったって、誰も咎めやしないだろう?……だから、終わりにするんだ」
――これだけ弱音を吐いて、愚かな自分を見せたんだ。もう目の前の彼もわかっただろう。自分が尊敬するに値する人間でない、愚かで、どうしようもない奴だと。
早く諦めて、拒絶して、俺の前からいなくなってくれ。
陽は切に願いながら、目を伏せた。
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