Episode.4-4 偶像を追う偶像

 ミュージック・ヒストリアの収録から一夜が明けた。

 橙柊聖とうのき しゅうせいSAison◇BrighTセゾン ブライトが普段使いする会議室に足を運んでいた。

 いつもよりも早く来てしまったが、部屋に入るのをなんとなくためらい、扉の前でカバンの肩掛け紐を掴んで立ち往生している。

 昨日のあの後は、何も言葉をかわさずに解散となった。純、叶を含め、とてもじゃないが何か言葉をかわす心の余裕は無かった。

 柊聖が寮に戻れば、その日は夕飯に辿り着く気力もなく、ずっと布団の中に篭って「あの時こうしていれば」「あぁしていれば」と思考を巡らせてはすすり泣いていた。

 おかげでよく眠れていない挙句、目は赤ぼったく腫れてしまって散々だ。


「……柊聖?」


 立ち往生していれば、葵海坂純あおみさか まこと紅咲叶べにさき かなたがやって来た。入らないのか? というふうに首を傾げる。


「……おはようございます、……なんか、入るのが怖くて」

「……ま、そうだよな」

「……柊ちゃん、昨日寝れた? 酷い顔」

「実はあんまり。色々考えてたら、眠れなくて」

「そっかー。よしよし」


 叶は柊聖の頭をポンポンと撫でる。そういう叶も、心なしか顔色が良くなかった。


「……入ろうぜ」


 純が意を決するように扉に手をかけて二人の方を見る。柊聖はビク、と体を震わせたが、おそるおそる頷いた。それを見て叶も静かに頷く。純は掛けた手をそのまま引いて扉を開けた。

 中に入れば、ブラインドの隙間から外を眺めるプロデューサーの後ろ姿があった。


「おはよう、よく眠れて……るわけはないか」


 こちらに向くことなくそう話すプロデューサー。昨日の一件から不信感が募っている純は睨みつけるようにその背を見る。


「誰のせいだと思ってんだ」

「あぁ、僕のせいさ。その昂る気持ちも理解できなくはない。ひとまず座り給えよ、時間はたっぷりある。……話すこともね」


 やっとこちらを向いたプロデューサーは相変わらずの仮面姿のせいで表情が読み取れない。三人と相対するように配置された一人分の椅子に座れば、三人に座るように促した。

 三人もゆっくりと椅子に座る。


「……さて、どこから話すべきかなぁ……」

「いいからとっとと喋れよ」

「まぁ待ち給え、今どうすれば君たちにちゃんと伝わるか考えてるところだから」

「マコちゃん、怒らない怒らないー。短気は損気だよー。それに」


 叶は純に耳打ちをした。それを聞いて純が柊聖を見る。柊聖は俯いたまま膝の上で拳をきゅと握りしめて、唇を噛んでいた。今にも泣きそうなその顔に純も小さく舌打ちをして黙り込む。


「……うん、まずは櫻月陽さづき ようという偶像アイドルの成り立ちから話すべきかな。……君たちは、どうして陽が芸能界に入ったか、知ってるかい?」

「……親父の背中を追うため、じゃないのか?」

 「うん、半分正解。櫻月陽久さづき はるひさ……父親の背を追うのもある。だが、そこに本人の意志はない」

「……と、いうと?」

「端的に言うとね、"そう望まれた"からなんだ」


 "そう望まれた"から。確か昨日や前にもそんな単語を陽から聞いた気がする。プロデューサーは話を続けた。

 ――櫻月陽久は偉大な人だった。

 その妻もそれを誇らしげに思っていた。

 息子に陽という名をつけたのも「父のように、陽の光の当たるきらきらした子になってほしい」という願いが込められていたという。そんな父は、陽が小学生に入る前頃に帰らぬ人となった。

 そして陽がもうすぐ中学に上がるという頃、尊敬していた最愛の夫を亡くした母は、陽に夫の面影を見るようになる。そしてモデル応募のはがきを握りしめて言ったのだ。


『貴方は陽久さんの血を受け継いでいる選ばれた子なの。だから陽久さんのような偉大な人になって』


「陽は母子家庭だから、母に迷惑をかけまいと言うことを聞くいい子だったんだよ。母の言いつけを守るのが子の役目、とはよくいったものだよね。……幸にも不幸にも、陽は陽久によく似ていたから、芸能界に入ってからも、陽久のコネでどうにかなることが多かった」


 プロデューサーは目を伏せて懐かしそうに髪を弄りながら語った。あとから聞いた話だが、プロデューサーと陽はこの頃からの付き合いらしい。


「プリローダ高専を決めたのも母から言われたからだ。"お父さんはアイドルへの志半ば倒れてしまったの。お父さんの夢だったのよ"ってね」

「……それで、親父さんの夢を叶えるために?」

「そういうことだ。もう彼は十分なくらいに洗脳されていた。"父の背を追って、父のような人間になるのが自分の使命だ"と。……僕はその時、丁度暇つぶしがてらにプリローダで育成するアイドルを探してたところだったから、高専にも少し顔を出していたんだ。で、生徒に陽の名前があったときは思わず目眩がしたね。まーたあの子は言いなりになってるのか、って」


 プロデューサーはこめかみあたりを押さえてため息をつく。……さらっと暇つぶしとか言ったような気がするが、そこは一先ず気にしないことにしよう。


「まぁ案の定、職員は櫻月陽久の息子の話題で持ちきりだったさ。だが、このままじゃ陽はまた親父の後ろ盾ばかりが強くなる。……ま、昔から見てた僕的には心配になるわけだよ。ここでこうして出会ってしまったのは何かの縁だろうし、ってことで、最後まで面倒みてやろうかなって思って、僕は一先ず校長殿に話をつけた」

「校長に!?」

「急すぎねぇか!?」

「だってそのほうが早いじゃん」

「というか、よく通してくれたねー。普通に部外者じゃん? その時のプロデューサー」

「まぁそのへんはね、ちょちょいのちょいでちょいよ」


 鼻高々、といった様子で胸を張るプロデューサー。それに三人で冷めた目線を送ると、ンン、と咳払いをして続けた。


「ま、とにかくね。陽をあまり特別視しないでくれってお願いしたんだ。たしかにあの子は特別だが、本来はその意志も才能もないただの少年だ。これ以上を一人で背負うには少々荷が重すぎる。それに、親父というバックだけで特待生にでもなってみろ、それこそ嫉妬とプレッシャーで同時に叩きつぶされるよ」

「……たしかに。少なくとも戌亥いぬかい姫宮ひめみやが黙ってねぇな」

「うわ、懐かしい名前聞いたー」

Altaïr△VegÄアルタイル ヴィーガ、ですね。確かにあのお二人なら……」


 夏にひと悶着したふたり組の顔を思い出して、三人はうぇ、と顔を顰めた。その二人の悪評は知っていたようで、プロデューサーもウンウン、と頷く。


「そういうわけで、少なくとも陽に仲間ができるまではできる限り僕が面倒を見ていたんだ」

「仲間?」

「そう。"櫻月陽久の息子"じゃなくて、"一人の人間"として陽を見て接してくれて、一緒に肩を並べて歩いてくれる。そんな仲間。彼に一番必要な人が一人でも現れるまで」


 そう言ってプロデューサーは三人を見た。


「君たちしかいないんだよ、陽を偶像ちちおやという呪いから解放できるのは」


 画面から覗いた瞳は至極真剣な眼差しだった。

 自分たちにしかできない。その言葉に三人は顔を見合わせる。

 陽は常に自分たちの背を支えてくれていた。柊聖が幼馴染とのことで悩んだときも、純が嫌味ったらしい旧友と衝突したときも、叶がすべてを諦めようとしたときも。ならば、今度は自分たちが、彼の背を支えてやる番なのではないだろうか? 考えることは皆一緒だった。

 三人は意志を確認するように頷く。それを見てプロデューサーもふ、と微笑んだ。


「そうと決まれば、行くかい?」

「行く、って」

「陽の家。あいつの手、引っ張ってくれるんだろう?」


 プロデューサーはどこかの鍵を指にかけて回しながら不敵に微笑んだ。


 陽の住むアパートはプロダクション・プリローダの事務所に近いところにある。少しボロいアパートの階段を上がれば、角の部屋に向かった。

 窓という窓のカーテンは締め切られていて、中の様子をうかがうことはできない。だが、テレビの光がチラチラと時々光るのが見えた。中に人がいるのは確かだった。

 プロデューサーがインターホンを鳴らす。


「……出ませんね」

「まぁこれは想定の範囲内。基本でないんだよなぁ、陽ちんは」


 ポケットからガサゴソと何かを取り出した。それは先程指で回して遊んでいた鍵。それを鍵穴に挿せばガチャガチャと動かす。すると扉の鍵は開かれた。

 初めて見る陽の部屋。一体どんな部屋に住んでいるんだろうか。部屋を見たことがない三人の好奇心が疼いた。扉を開ける前に、プロデューサーが「そうだ」と言う。


「この前片付けたばっかりだから大丈夫だと思うけど、少し覚悟しといてね」

「覚悟ぉ?」

「理想と現実の差ってやつをさ」


 三人が首を傾げるのをよそに、プロデューサーは「さて、本邦初公開、陽ちんのお宅訪問でございまーす」と扉を開けた。


 その中に、三人は目を丸くする。


 ごみ屋敷、とまでは行かないが、それでも唖然とする散らかりようだった。明かりのついてない1DKの部屋、カバンは床に放り出され、空のペットボトルが散乱し、ゴミ箱に入りそこねたビニール袋や割り箸、缶までも放置されている状態だ。籠の中には洗濯物が溜まっている。

 たしかに陽は整理整頓はあまり得意な人間ではなかったが、それでも「整理整頓ができない」で済まされるような散らかり方ではなかった。

 更に中を覗けば、机の名上には飲みかけのペットボトルや食べかけの弁当、カップ麺が散乱している。この家の家主は、ソファーの上で体育座りをしてタオルを被り、定まらない視点で何処かを見ていた。

 目線の先には一台の小さめのテレビ。そこには、SAison◇BrighTのステージの記録が垂れ流しにされていた。


「……昨日から一歩も動いてないな、これ」


 プロデューサーがはぁ、とため息をついて遠慮せず部屋に上がり込む。入っていいのだろうか、未だ玄関で覗き込むことしかできない三人は、困惑した顔で部屋を見渡していた。

 見ているのかどうかわからないテレビの電源をぶち、とプロデューサーが切れば、部屋はカーテン越しに薄らと入る光だけが光源となった。


「君が今見ないといけないのは映像じゃないだろ? ほら、みんなが来たぞ」


 ピク、と陽が初めて動いた。ゆっくりと顔を上げる陽。その顔はいつもの笑顔の耐えないリーダーとはかけ離れた表情だった。

 淀んだ瞳はどこか空虚を見ている。みんなに夢と希望を届けるアイドルとは真逆の、それこそ世界に絶望したような瞳は、困惑した表情の三人を映すと、ゆっくりと現状を理解したようで、顔をこわばらせた。


「なんで連れてきた」


 今まで聞いたことのない低音で陽は呟いた。


「よ、陽、俺達、お前と話を」

「帰ってくれ」


 純が声をかけてみたが、陽は話を聞いている様子はない。陽はまた俯き顔を隠す


「せんぱ」

「来るな!!!!」


 中に入ろうとした柊聖。しかし、今まで聞いたことのない強い怒鳴り声にビク、と動きを止めてしまう。その様子に陽は我に返ったように息を呑んだ。声にならない唸り声をあげ、頭をガシガシと掻く。


「……帰って、くれないか。今、俺は君たちに合わせる顔がない」

「……でも」

「プロデューサーの差し金か何か知らないが、俺は今君たちの望む姿でいられない」


 陽は姿を隠すようにタオルを深くかぶった。今まで見てきた陽では絶対見ることがないような姿だ。痛ましい表情で、柊聖は拳を握る。

 けれど、目を背けてはいけない。自分にできることをしなければ、きっとこの先また後悔する。昨日のように、幼馴染と喧嘩したあの日のように。


「……先輩、帰ってきてください」


 勇気を振り絞る。陽は眉をピク、と動かした。


「……俺達、四人でSAison◇BrighTなんでしょう? 先輩がいないと、SAison◇BrighTになれないですよ。……だから、ね? 先輩、また俺達とアイドル、やりましょうよ」


 慎重に、陽に届けるように、自分の願いを伝える。

 それを見守るように純と叶も陽を見つめた。

 しばらくの沈黙。最初に口を開いたのは―――


「……は、はは、ははは」


 ―――櫻月陽。

 壊れた人形のように笑う陽に、この場にいる人物たちは皆困惑の表情を浮かべた。

 その後、ゆっくり顔を上げる。歪に笑顔を貼り付け、淀んだ目には涙が浮かんでいた。


「君も俺に、父さんのようになれっていうんだな」


 それが、笑いきれてない口から出た言葉だった。

 どうしてそんな言葉が帰ってきたのかわからず、困惑する柊聖をかばうように前に純が立つ。


「なんでそうなるんだよ、誰もそんなこと一言も」

「俺にアイドルをやって欲しいって言うことは、そういうことなんだろう? 君たちを踏みにじってまで俺は登りつめないといけないんだろう?」


 ……昨日、世古渡よこわたりが言っていた言葉だ。


「父さんのようになれない俺は、なんの意味も持たない。あぁ、そうだよ。その通りだ。誰も俺の意思なんて求めていない、望まれたとおり、言われた通りにすればいいんだ」


 誰が問いかけたわけでもなく、陽は独り言をつぶやくように続けていた。

 プロデューサーも険しい表情をしている。ここまで何も発しなかった叶も。


「そうだよな、はは、みんなが欲しいのは櫻月陽久なんだよな。陽じゃない」

「っち、ちがいます、俺は先輩が必要で」

「嘘だ」


 必死に伝えようとしている柊聖の言葉ももはや届いていないようだった。


「頼むよ、もう帰ってくれよ。今は無理なんだ、陽久でいる事が、陽久になろうとする事が。君たちの望む姿でいることが」


 一筋の涙が頬を伝う。

 彼の心は、完全に壊れてしまっていたのだ。櫻月陽久を追う息子を望まれた、あの時から。


「……帰ろう。柊ちゃん、マコちゃん」


 口を開いたのは、叶。

 どうして、というふうに柊聖と純は叶の顔を見た。


「なんでだよ、ここで帰ったら陽は」

「陽ちゃんは、一人になったほうがいいんだよ」

「でも」

「残念だけど、今、俺達の言葉は、陽ちゃんには届かない」


 悲痛な面持ちで叶は陽を見た。純は唇を噛みながらも、そうなんだろうと理解していた。諦めて引き下がるしかないことも。


「……わ、かった」

「純先輩!?」


 純の同意に、柊聖が驚く。

 柊聖は諦められていなかった。どうして? まだ諦めるべきじゃない。話せばきっとわかってくれるのに。そんな淡い希望的観測が追いつかない思考回路をぐるぐるとめぐる。


「……放っとくべきだ、今は」

「いや、いやです、話せばきっと」

「……柊ちゃん」

「だって、俺、先輩にもらってばかりで、何も返せてない」

「柊聖」

「ここで陽先輩をおいてくなんて、俺は」

「柊聖!!」


 純の怒鳴り声に、柊聖はビク、と肩を震わせた。

 納得してないのは純も一緒だ。だが、気持ちだけでどうにもならないことだってある。それを一番わかっているのは彼だった。


「……っ」


 黙り俯くことしかできなかった。

 それを同意と受け取った叶は、背を押して二人を外に出す。叶は、さり際に背を向けたまま呟いた。


「……陽ちゃん、そんなに、苦しかったんだね」


 その言葉に返事がつくことはなかった。

 ガシャン、と扉がしまった。


「……プロデューサー」

「うん」

「もう無理だ」

「そうだね。よく頑張ったと思うよ。……だけど、ほんとに良い? 簡単にただいま、って言える世界じゃないよ、ここは」

「……俺はもう、父さんにはなれない」

「……そう、わかった」


 ため息を一つついて、プロデューサーも部屋から出ていった。

 再び一人になった陽。力なく座ると、また膝を抱え、テレビをつけた。

 流れる映像は、皆が望む自分の姿、過去の栄光たち。


 ――誰も、おれを見てる人は、いなかったんだ。

 ――ならば、もういいじゃないか。


 楽になっても。

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