Episode.1-1 追憶

 鳥の囁き声と、優しい朝の日差しに薄っすらと目を開く。


「……ん……、……朝……」


 薄い緑がかった髪を持つ青年はベッドから身を起こし、背伸びをした。

 青年の名は橙柊聖とうのき しゅうせい、19歳。4月に特待生に選ばれ、学生でありながらもプロプリ所属のアイドルとして活躍する新米アイドルだ。

 そんな季節も巡り巡って5月。そろそろ活動にも慣れてきた頃。それでもまだまだ新しい挑戦や知らないこともたくさんある世界だが、毎日忙しくも楽しい日々を過ごしていた。


 陽の光にまぶしげに目を細めれば、時間を確認するためにスマートフォンをトントン、と叩く。

 そこに映る時間に、柊聖はヒュ、と息が詰まる。


「……え? もう8時!?」


 いつもは朝に予定があるときは7時頃に起きて身支度を済ませ、余裕を持ってミーティングや授業へ向かう優等生なのだが、なぜかアラームの設定を昼から予定がある用にしていたようだった。

 今日は9時からSAison◇BrighT《セゾンブライト》、自分が所属するユニットのミーティングがあるというのに。


(やばいやばいやばい、急がないと……!!)


 布団から飛び降り、制服に着替え大急ぎで横髪を編み込みで結えば、大急ぎで寮を出るのであった。

 ……残念ながら、朝ごはんは抜きだ。



「よっ、おはよう。珍しいなお前が叶より遅いなんて」

「あ、柊ちゃんおはよー」


 時刻は8時56分。大急ぎでミーティングルームに駆け込んだ柊聖を、同じユニットメンバーである自分の先輩達、櫻月陽さづき よう紅咲叶べにさき かなた葵海坂純あおみさか まことが微笑んで迎えてくれた。

 柊聖はいつも15分前には到着している。陽、純は10分前、叶は5分前、またはギリギリ到着なため、三人より遅く来ることは基本的にはない。そのため陽が不思議がるのも当然なのだ。


「お、おはようございます、遅くなってすみません!! 寝坊しちゃって……」

「まじか、珍し。夜ふかしでもしてたのか?」

「それはマコちゃんでしょー? 成長期の」

「うっせぇぞバカナタ」


 柊聖は空いている席に着きながら、眉を下げて謝る。入学当時から優等生気質である柊聖が寝坊するというのは、3人にとっても珍しいことだった。

 ちなみに純に関しては、成長期にゲームを夜更かししていたため、身長が伸び悩んだ経験があり、成人済み(21歳)の時点で、まだ158cmという低身長なのである。

 それを叶はよくいじるネタにしてしている。


「いえ、いつも通り寝たんですけど……、アラーム設定間違えちゃって……。あと、……ちょっと懐かしい夢見てた、ような……」

「あ、ちょっとわかるー、懐かしい夢見たりすると起きたくなくないときあるよねー」

「ふーん? ま、何はともあれ時間内だから問題なしだ。さ、ミーティング始めよう」

「あ? プロデューサー今日は来ねぇの?」

「それなんだが、朝ラインが来てな。当初は行くつもりだったんだが、外に出られないらしい。会議録は録音して送ってくれとのことだ。大丈夫、会議に必要な書類は全部もらってきてる」

「絶対書類に埋もれてるでしょーそれ」


 セゾンのプロデューサーは基本的に裏方に徹しており、プロデューサーの口から伝えなきゃいけないことがあるときにのみ顔を出す。人物像としては赤髪に仮面を身に着け、独特の口調で話す神出鬼没の怪人……いや、ただの変人だ。


「まぁプロデューサーのことはひとまず置いといて、今回はイベントへの参加についてだ」


 そう言うと、陽はスマートフォンの録音ボタンを押し、イベント告知を全員に見える位置に広げながら続ける。

 イベントの参加対象は、主に結成したてのアイドル。セゾンは4月に結成されてからお披露目初ライブを終え、いろんなステージを経験してきたが、今までは所属事務所であるプロプリが直々に主催してたものばっかりだった。だが、今回はプロプリとは全く関係ないところからのお誘いらしい。


「まぁ有り体に言ってしまえば、新人アイドルを世にもっと知ってもらおう、っていうミニライブイベントだな。近所のCDショップに併設してるちっさいライブ会場あるだろ?あそこでやるんだと」

「ねぇ、それって面白い?」

「あ? まぁいろんなアイドル見られるって面では面白いんじゃね? というか、面白くないからパス、なんてことできねぇからな? 仕事だぞ」

「まーねー」


 純の正論に口を尖らせ、椅子の背でゆらゆらと動く叶。その様子に純もケッ、とそっぽを向く。

 二人を見て柊聖は困ったように笑い、話を戻した。


「そのイベントに俺達も出るってことですか?」

「あぁ。もちろん強制、というわけではないけど、アイドルとして断ることもできない。各々芸歴があるとはいえ、アイドルとしては新人だから余計にな。誘いを受けたイベントには片っ端から出るべきだろう。勢いに乗っているのも確かだしな。」

「それで、イベントまでのスケジュールはどうなってるんですか?」

「ひとまず、プロデューサーが個人で呼ばれてる仕事も考慮して、スケジュールは組んでくれたらしい。これは管理のURL送るから、全員確認してくれ。それと柊聖はこれ、ライブの日の公欠届け。このあと学校に行ったら出しといて欲しい、と」


 陽は手慣れた操作でグループDMにURLを送ると、柊聖に封筒を渡した。プロダクション・プリローダのロゴのはいった封筒には「公欠届在中」と手書きで書かれている。最初こそこの封筒を見て「本当に学生にしてアイドルなんだ」と胸をときめかせたが、今はもう見慣れたものだ。


「わかりました、色々ありがとうございます」

「…学校の兼ね合いもあるとはいえ、思ったより全員で合わせられる日数少ないのな」


 スマートフォンを見る純は、今送られたスケジュールを確認しているのだろう。柊聖も公欠届をファイルに入れて鞄に保管してから、スケジュールを確認した。

 たしかに、二人、三人で合わせる日はあれど、四人で合わせる日は全体に比べ少ないようにも見える。

 純のぼやきを聞き、陽は眉を下げて申し訳なさそうに笑った。


「それに関しては悪い、思ったより俺があけられなくてな。そのぶん足は引っ張らないから」

「まぁ仕方ねぇよな、お前元々本業はモデルだし」


 陽は学校に入る以前からモデルとして芸能界にいる。今回アイドルとしてデビューしたこともあり、モデルの仕事の他にも取材があとを立たないようで、学生である柊聖と同等くらい忙しい日々を送っているようだ。


「陽ちゃんは特に心配してないから大丈夫、だけど柊ちゃんは?学校のあとにレッスンとかの日結構あるから大変そー」

「実技試験前の授業後に自主練習してた時期とかとあまり変わらないと思うので大丈夫です。頑張りますね」

「そう?」


 少し心配げにする叶を安心させるように、柊聖はしっかりと頷いて笑いかけた。


「話を戻すが、トークもあるから、イベントの2週間前くらいまでに記入しといてほしい、とのことだ。これは後でメールでデータ共有しておくよ」

「わかりました」

「ねぇ、あとはないー?」

「飽きんのはえぇよ。……そーだ、他のユニットどこが出るとか、そういうのわかんねぇの?」


 自由な叶を横目にジト、と見たが、疑問が湧いた純は陽に尋ねる。

 その言葉に陽はイベントのフライヤーと手元の資料を改めて確認した。


「ん、そうだな……、今もらってるフライヤーも開催するって話と、会場の話しかまだ載ってなくてな……プロデューサーからの指示書にも何もないから、今のところはわからん、としか言えないな。だけどまぁ、リハーサルのときに顔合わせするかもしれないし、それでわかるだろ」

「うーん思った以上にガバガバ」

「実際、こういうのは確定しない情報載せて混乱させてもいけないですから。陽先輩の言うとおり、近くなってメンバーが確定したらまた情報が増えた新しいフライヤー、見かけるようになると思います」

「そっかー。……まぁ、プログラム貰うのって大体前日か当日だし、そんなもんか……」

「あと曲目、何曲やってどれやんのか。フルなのかカット版なのか、ついでに新曲の有無」

「曲は登場時とトーク後で2曲、新曲なしだ。プロデューサーのご意向はこの二曲らしい。カットは最初の曲のみだ。二曲目はフル」


 陽はメモを取り出せば机の上に置く。1つのカット版と言われたものはデビュー曲、そしてフルと言われたものは最近出した曲だ。曲の宣伝も兼ねているのだろうと推測できる。


「りょ。ひとまずフルの方は自主練始めとくわ」

「真面目だなぁー」

「オメェはもっと真面目にやれよ」

「まぁまぁ……」

「ほかは大丈夫そうか?」


 陽は全員の顔を確認する。三者三様に「大丈夫」という反応をしたのを確認すればパン、と手を合わせる。


「よし! じゃあこのへんで自由解散にしよう。純、この後空いてるなら練習しないか?」

「お、さんせー」

「あ、じゃあ俺はお先に失礼しますね。日直なので職員室寄らないと行けないので」

「わかった。また集合練習のときな」

「はぁーい」

「あいよー」


 柊聖は鞄を持ち、立ち上がれば残って練習をするであろう三人に礼をする。三人に見送られながら、ミーティングルームを後にした。




「失礼します。4年Ⅰ組の橙です」


 午後の授業の為に学校に来た柊聖は、慣れたように入室儀礼をこなし、職員室の中を進んでいく。担任のデスクに近づけば、「こんにちは」と声をかけた。


「おう橙。相変わらず早いなぁ、さすが特待生。教室の鍵と日誌な」

「お疲れ様です。ミーティングが早く終わったので。……ありがとうございます。あとこれ、公欠届です」

「へぇ、またライブ出るのかセゾン。地道に頑張ってるじゃないか」

「はい。お陰様で。…今は陽先輩達についていくのでいっぱいいっぱいですけど、それでも毎日楽しいです」

「はっはは、そうかそうか。あいつらも成績はそこそこといえど、アイドル意識はすこぶる高かったからなぁ。…あ、でも紅咲は逆か。ま、このまま頑張れ」

「ありがとうございます。じゃあ俺はこれで。失礼しました」


 礼儀正しく会話をこなせばまた一礼して職員室を後にする。


 鍵を開ければ、まだ誰もいない教室に一番に踏み入る。窓側の自分の席に荷物を置けば、ふいに外を眺めた。

 青い空に、白い雲。そして風に吹かれて揺れる桜の木。

 清々しいほどに春日和の空を眺めながら、夢で見た昔のことを思い出す。


(……結局自分はこうやって、憧れの先輩とプロプリでアイドルをやれてるけど……、……みんなで約束した夢は、叶えられるのかな)


 柊聖には、同じ夢を見て、約束を交わした幼馴染がいた。いつもいっしょにいて、どんなときも一緒に歩みを進めてきた親友たち。


(……今頃は普通に就職してるのか、まだアイドルを志してるなら養成所に……)


 ドクン、と心臓が強く鳴ったのを感じた。五年前のあの日、胸に花のコサージュを携え、黒い筒を持ち、新たな門出を迎えた者たちを祝うように桜が舞う春の日。

 自分に向けられた、憎しみの込められた瞳と、投げられたあの言葉。

 鮮明に焼き付いたその光景は、今でも、柊聖の心に傷を残している。


(……やめよう、考えるのは。……俺は二人のぶんまで、頑張らないといけないんだ。)


 思考を振り払おうとするように、過去から逃げようとするように、目を閉じる。それを手助けするように、教室には一人、また一人と人が増えていった。


「こんにちは、橙君」


 声をかけてくれるクラスメイトに、「こんにちは」と、微笑み返すのだ。



 今日もまた、何気ない一日が始まる。

 いつもと変わらない、何気ない一日が。

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