Episode.2-4 本当に必要なもの
母の「生きてるー?」という心配の声掛けで重い腰を上げ、風呂から出た純は、冷蔵庫からアイスを取り濡れた髪を吹きながらリビングに戻った。
リビングでは妹二人が肩を並べてライブDVDを見ている。そこに映っていたのは、
そう、彼らは持っている。自分にないものを。
自分にもあれがあれば届くのだろうか、あの
アイススプーンを強く握りしめる。
「……お前ら、夏休みだからって程々にしろよー」
聞いてるのか聞いてないのかわからない「はーい」という返事に純は溜息を漏らす。兄として、忠告だけして自室に上がっていった。
「長風呂だったね」
部屋に戻れば、課題を終えた次男、
「考え事してた。タオルサンキューな」
「どういたしまして」
純は椅子に座る。アイスの蓋を開ければ、スプーンを刺してすくい上げた。
「……兄さんさ」
「ん?」
「……アイドル、楽しい?」
その問いかけにアイスを食べようとした手をピタ、と止める。
いつもなら『大変だけど、楽しいぞ』と答えられるはずの問いかけに、今日はその一言が出てこなかった。
「……何だ藪から棒に。シノに影響されてアイドル目指したくなったか?」
出なかった言葉をごまかすように茶化して質問を返すと、「いや、別に」とスマホから目を離さず、それだけ答えた。
いつもは全然話しかけてこない無口な遥。今日は随分と声をかけてくる弟の思考が、兄である純でもうまく拾うことができなかった。
「な、なんだよ……、じゃあなんでそんなこと聞くんだよ」
焦りを隠せずそう問いかけると、ようやく遥はスマホをおいて起き上る。
バチ、と目が合えば、純は思わず後ろに下がった。
「……俺は旭や望みたいに、芸能人が特段好きなわけじゃないから、魅力とか、何がいいとか悪いとか、どうするのが正解だとか、よくわからない」
遥は、部屋の中に飾られた純の憧れるアイドルグループのポスターに目線を移す。目線はそのまま「だけど」と言葉を続けた。
「ダンスしてるときの兄さん、誰よりも一番輝いてて、俺は好きだよ」
カシャン、とスプーンが落ちる音が鳴る。
「……それだけ。おやすみ」
呆然とする純をよそに、遥は背を向けて布団に入っていった。今までそんなこと一回もいってこなかった無口で静かなあの弟から、そんな言葉が出てくるとは、少しも予想していなかったのだ。
「え、は、……遥、それ、どういう」
やっと出てきた言葉に返事が帰ってくることはない。それは、遥はもう対話をするつもりがないという意思表示。
「……どういう風の吹き回しだよ、ったく……」
弟の真意がわからず、一人悶々と考え始める。そのまま夜は更けていった。
アイスはどろどろに溶けてしまった。
次の日。
Altaïr△VegÄとの一件に関しては、特にお咎めはなかった。実害がなかったのもあるが、運良く周りに見られなかったこともある。
「……昨日は悪かったな、迷惑かけて」
「気にしないさ、あそこまで言われたら俺でもキレていた自信がある」
「それー」
「はい、昨日のはひどすぎます。あそこまで言うなんて」
お咎めこそなかったが、腑に落ちない部分はいくらかあった。最初に仕掛けてきたのはあちらなのだから、むしろ咎められるべきはあちら側なのだ。
「……いや、でも事実だから、別に気にしてない」
純の呟く言葉は、まるで自分に言い聞かせるようだった。三人は心配そうに顔を見合わせる。
しばらくの沈黙。柊聖は思いついたように
「陽先輩」
と陽に手招きをする。陽は首を傾げてそれについて行った。二人でコソコソと話し始める。
残された二人は不思議そうに顔を見合わせていれば、陽が「そうするか」と頷く声が聞こえた。
「叶、純。今日の練習だが、予定変更だ。行くぞ!」
「はぁ!? ちょ、は!?」
「行きましょう!」
驚く純をお構いなしにグイグイと引っ張る陽と柊聖。何かを察したのかそれに便乗して叶も背中を押す。
ギャーギャーと騒ぎ、連れて行かれた先は……
「……がっ、こう」
そこは自分たちの母校であり、在学中の高等専門学校、プリローダ高等専門学校だ。
「……いや、いやいやいや、レッスンどうすんだよ!!」
「何、少しサボったところで大目玉食らうだけだから構わないさ」
「いや何が!? お前ら何なんだよ、いいから帰って練習」
「視聴覚室空いてるか聞いてきますね!」
「あ、柊ちゃん待ってー、俺も行くー」
そう言うと早々に柊聖と叶は校内へと入っていってしまった。純は唖然とした様子でそれを見ている。
_____本番までの残り時間は少ない、もっとレベルを上げて、あのいけ好かないアイドルグループに一泡吹かせなければならないのに、こいつらは一体何を考えているんだ!?
純は困惑と憤りに声を荒らげる。
「柊聖と叶も乗り気かよ!? 本番まで時間ねぇんだぞ、遊んでる暇なんてねぇだろ!!てめぇらいい加減に……」
「さっ、俺達も行くぞ純」
「陽てめっ、離せ!!離せよ!! 俺は練習する!! 何するか知らねぇけど、やるなるお前ら三人で……!!」
「純」
掴まれた陽の腕を振り払おうと藻掻く純を、窘めるように、諭すような口調で一言だけそう言った。陽の表情は微笑んだままだが、その一言に「いいからついてこい」という言葉の圧を感じる。
純はその圧にうぐ、と言葉をつまらせて黙る。それを了解と取った陽は、「視聴覚室空いてるといいな」などと笑いながら、純の腕を引っ張り先に入っていった二人を追うのだった。
「あはは、流石に突発で視聴覚室は無理だったねー」
場は視聴覚室……かと思いきや、見慣れたレクリエーション部の部室。
今はほとんど使っていない部室だが、陽が集めて寄付したボードゲームは、現在部員の柊聖の手によってきれいに整頓されて保管されている。
「……そもそも突発で母校の教室勝手に使おうとするのがおかしいだろ」
「まぁね~、いつもの事だけど~」
「でもほら、お目当てのものは借りれましたよ!」
意気揚々と腰くらいの台を押して中に入る柊聖。そこにおいてあるのは、ノートパソコンとプロジェクター、そして叶はプロジェクター用のスクリーンを抱えていた。
「なんでプロジェクター……、このタイミングで出演グループ見て研究か?」
「違う違う。今日はシーフェスの事は一旦忘れろ」
叶と柊聖がプロジェクターの設置を行っている間に、純は足を貧乏揺すりしながら呟く。陽はそれに笑いながら答えた。
「忘れろって、本番直前にそれは無理だろ。お前らやる気あんのか? このままじゃAltaïr△VegÄに大口叩いたくせにってまたギャーギャー言われるぞ」
「あぁ。わかっているさ。だから
陽の話に怪訝そうに「どういう意味だよ」と言おうとしたとき、柊聖が二人の前の机にCDディスクを並べた。
「どれから見ますか!? 最近のステージのも部室で保管してましたし、学園祭のステージとか、歌唱月間の練習風景と、バックダンサー研修の時のビデオもありますよ!! あとは臨時ユニットでの研修とか……、あ、サーバーに学校外での学校説明会の特別ステージのデータもありますね!」
柊聖が、陽に提案したこと。それは"過去の映像を見たい"と言うものだった。
「わー、懐かしいのたくさんあるねー。あ、この年のやつってもしかして柊ちゃんの中学でやったやつかなー」
「わ、ほんとだ、サムネイル的にそうなのかもしれないですね!」
「純はどれがいい?」
また突然話を振られれば、「あいつらを超えるために来た」という言葉の意味がわからず、苛立ちと少しの動揺が混ざった表情の純はビクッと、肩を震わせる。その流れのまま適当に目の前にあったディスクを手に取り「じゃあ、これ」と柊聖に手渡した。
「わかりました!じゃあ準備して再生しますね!!」
スクリーンを設置し、プロジェクターを起動すれば、パソコンでディスク中に記録された映像を写す。
それはダンスレッスン室の風景。体育座りで前に立つ人物の話を聞く生徒たちが映っている。
「お、3年の時のダンス特別講義だな。この授業確か選択制だったんだよなぁ。俺と叶は歌唱の方行ったんだったか」
「そーそー。ダンスの方人気で2チームに別れてたみたいな話あったよねー。講師の人、記録保持者だったんじゃなかったっけー?」
「……世界大会で入賞したんだよ、あの人」
「そうだったんですね!? すごいなぁ……俺も3年の特別講義、ダンス選んだんですけど、あまりの人気に抽選になって……」
「はは、落ちたのか」「ハイ……」ワイワイと思い出話をしながらビデオを鑑賞する。ビデオの中では、講師であるダンサーの言葉を生徒皆が熱心に聞いていた。
『みんなはパフォーマンスに一番必要なのはなんだと思う?』
ビデオの中の講師は、不意にそんな話を持ちかけた。その言葉に全員の意識がモニターの中の講師に向く。
『技術力、表現力。それもすごく大事だ。でもな? どれだけ技術があろうと、どれだけ表現力があろうと、つまらなそうに踊ってたら、お客さんにはどう見える?』
『……そう。どれだけすごいパフォーマンスを披露しても、それだけでお客さんの心は俺達パフォーマーからは遠く離れてしまうんだ。なんでか、って言うと、パフォーマーの心は全部お客さんに筒抜けだからなんだ』
胸に手を当てて力説する講師。映像の生徒も、それを見る4人も、気づけば食い入るように話を聞いている。
『パフォーマーが一番大事にしなきゃいけないこと、それは見てくれるお客さんの心をつかんで離さないこと。そのためにはまずお客さんが何を望んているのか、何を求めてここに来ているのかをしっかり理解しなきゃいけない。難しそうに聞こえるかもしれないが、実はこれはすごく簡単なことなんだ。だって、俺達パフォーマーを見にくるお客さんたちは……』
映像の言葉の続きに、声を重ねる一人の小さなアイドル。
「楽しむためにここに来ているんだから」
映像と重なった言葉は、完全に一致した。
『お客さんの楽しみたいという欲求を叶えるのが、俺達パフォーマーの仕事だ』
「そして、それを叶える方法はすごく簡単なことだったりする。それは」
純はその講師が、パフォーマーが言ったことを、一字一句知っている。いや、覚えている。
それも当然、彼はこの場でその講師の言葉を聞く熱心な生徒の一人だったのだから。
「『その場で、誰よりも自分が一番楽しむことだ』」
それは、一番大事なこと。アイドルとして、一番忘れてはいけないこと。
Altaïr△VegÄに、誰かに勝つことに囚われ続け、レースから振り落とされないように必死に走り続けていた青年が、いつの間にか過去に置き去りにしてしまっていた事だ。
「……な?たまにはこうして過去を振り返るのも大事だろう?」
陽は純の背を軽く叩き、笑ってみせる。
……全くこの男達は、よく
純は目を伏せて「そーだな」と柔らかい笑みを浮かべた。
その様子に、柊聖と叶も嬉しそうに顔を見合わせた。
「先輩、さっきのシーン巻き戻して見てもいいですか?」
「巻き戻さなくてもマコちゃんが全部覚えてるんじゃなーい?」
「ばっかやろ。アレは世界レベルの人が言うから説得力があるんだよ、本人の口から出た教えを聞け」
「ふーん。あ、じゃあ次は学園祭のやつみよー?マコちゃんはその教えをきちんと守れてるかなー?」
「はは、それはいいな。抜き打ちテストだ」
「いやいやいや、すでに終わったことに対してテストってどういうことだよ!?」
「ふふ、この年の学園祭のステージのDVDは……」
和気あいあいと4人で学生の思い出を巡り、時間は過ぎていく。
いつの間にか、純は憑き物が落ちたように晴れやかに笑っていた。
その後、4人して無断でレッスンをスッポぬかした事でレッスンの指導者からこってりと絞られたのはまた別の話にて。
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