第2話 運命の出会い

 ……。



 翌日、二件の会社の面接に向かったが、結果から言うとダメだった。『慎重に検討した結果、ご希望に添いかねることとなりました』と言うヤツだ。



 本当かどうか知らないが、偶然同じタイミングで面接を受けに来た奴が、俺よりも多くシフトに入れる人間だったらしい。恐らくだが、そいつの一週間は8日ある事になる。俺は希望勤務日時を週7日で履歴書を提出していたからな。



 不満が無いわけではないが、これは自己責任。仕方のない事だ。どうやら、建築業界もクリーンなイメージを保とうとしているらしい。俺にとっては残念だが、俺以外の奴にとってはきっとラッキーな事なんだろう。



 「……仕事がねえってんなら、手当なり給付金なり貰うしかねえわな」



 呟いたのは、数日後に5件目のお祈りメールが届いた時だ。こんなんじゃいつまで経ってもこの何の個性もない服を着ていなきゃならないし、何より旨いモンも女も買えやしない。



 そんな事を思いながらシェアハウスのリビングでカップ麺を食いながら本格的に生活保護の申請を考えていると、現れたオーナー(保護観察官、こう呼べと言われた)がこう言ったんだ。



 「僕の知り合いに、介護士を募集している人が居る。よかったら、その面接を受けてみないか?」



 どうやら、とある金持ちが介護士を募集しているらしい。大方、デカい家に住んでるやる事のない暇な爺さんが依頼人なのだろう。



 「乗った。俺は結構人が好きなんだ。その爺さんには、きっといい話相手になると思うぜ」



 調べてみると、介護にも国家資格のある物とない物があるようで、格の高い介護福祉士という職業は何気に高給取りであるらしい。



 これは盲点だった。ただの接客業なら客がビビっちまうだろうけど、酸いも甘いも知ってる年寄りならば俺の見た目なんて気にしないだろう。もしこれでダメなら、パチプロにでもなるとしよう。



 ……。



 市内のとある高級住宅街に、その家はあった。俺のジーパンにロンティーと、汚いスニーカーの組み合わせはこの地域には似合わない様に思える。



 その中でもひと際デカい家のインターホンを鳴らすと、しばらくして三十代くらいの女が俺を出迎えた。面接に来た旨を伝えると、静かな声で「どうぞ」と言ってから俺を中に案内する。宮殿の様な外観の通り、ここの作法は西洋式だ。靴を脱がなくてもいいらしい。誘われただだっ広い部屋には、面接用のテーブルと椅子だけが置いてある。まさか、これだけの為の部屋なんじゃないだろうな。



 壁に飾ってるのは誰が描いたのかも分からない絵画。微かに聞こえるBGMはクラシックだろうか。バイオリンだか何だか知らないが、聞いていると眠たくなってくる。



 待っている間、窓の外を見ると公園と見紛うような緑色の庭が広がっていた。その中の一部に、何故か赤いレンガで囲われた小さな花壇がある。今はまだ緑だが、あそこに何か思い入れのある花でも咲くのだろう。どう見ても、特別扱いされているからな。



 あの犬種は何だったか。ゴールデン……忘れた。その光景を眺めていると、コンコンと扉を叩く音の後に、初やけに気品のある初老の男が部屋に入ってきた。髭は無く、ロマンスグレーの短髪を整髪料でしっかりと整えている。肌の色も健康的で、とても依頼人には見えなかった。



 「……待たせたね。私は東条喜一とうじょうきいち、この家の家主だよ」



 「爺さんが介護要求者か?そうは見えねえな」



 「ふふ。まあ話はおいおい。座って」



 言われて、俺は爺さんの前の椅子に座る。気が付くと、後を追ってさっき俺を案内した女が爺さんの隣に座った。履歴書を出すと、俺の顔とそれを交互に見ている。



 「黒木楓くろきかえで、歳は20歳か。高校へ行かなかったのは何故だね?」



 「金が無かったんだ。教科書どころか、明日食う飯にも困ってた」



 「両親は?」



 「最初からいない。気がついた時には施設にいた。だが、そこも経営難で潰れて、別の施設に移される事になった中学の時に一人暮らしを始めたんだ。もちろん、家なんてなかったけどな」



 「ふむ。……この、特技のビートボックスというのは?」



 「時間が余っててさ、練習したんだ。結構上手いんだぜ?見せてやろうか」



 「是非、見せてくれ」



 言われ、俺は爺さんの前で一分程ビートボックスを披露した。終わった時、女は書類を見ていたが、爺さんはパチパチと手を叩いてくれた。



 「どうだ?古臭いクラシックが好きなんだろうが、こんなのも新鮮でいいだろ?」



 「うむ。中々のモノだった」



 それからは他愛のない会話を繰り返した。段々これが面接なのかもわからなくなった頃、爺さんがとうとうあの話を振った。



 「……時に、君を紹介してくれた男は君に前科があると言っていたが、どうして?」



 訊かれて、俺は一瞬だけ言い淀んでしまった。後ろめたさがあるからだ。



 「金だよ。あの時は考える脳みそもなくて、強盗たたきに手を出すしかなかった。だが反省してる。これは本当だ。世間に許されるだなんて思ってないが、今は世の為に働きたいってマジに思ってる」



 「……本当かね?」



 「本当だ。信じてくれ。この年になっても目上の人に使う言葉も分からないけど、それだけは本当の事だ。それに、爺さんとならきっと上手くやっていけるって。多分、そこの美人の姉ちゃんも助けてくれるんだろ?」



 急に話を振られて驚いたのか、彼女はハッとした表情で俺を見た。少しだけ笑って見せると、肩をすくめて再び書類に目を戻してしまう。



 ……こうして、年上の人間に話を聞いてもらえるのは嬉しかった。だからこそ、思っている本心を語っている。



 「……わかった。それでは、結果は明日伝える。それまで待っていてくれ」



 「分かった。それじゃあな」



 「待て」



 立ち上がった俺に、爺さんは声を掛けた。



 「こういう場から離れる時は、『本日はありがとうございました』と言うんだ」



 「本日は、ありがとうございました。……こうか?」



 「よろしい。それでは、行きたまえ」



 頷き、俺は部屋を後にする。思えば、こうして教育を施されたのは初めての様な気がする。……いいや、きっと前から誰かが俺に手を差し伸べてくれてはいたんだ。どうして俺は、いつだって大切な事に気づくのが遅いんだろうな。



 やり直す事は出来ないが、ここから始めることが出来る。もしここがダメでも、やっぱり何とかして仕事を探すことにしよう。そうすれば、いつか報われるかもしれないから。



 ……。



 それは、まだ昼になる前の事だった。今までメールの受信しか受けなかった俺のケータイから、通話を知らせるアラームが鳴ったのだ。



 「黒木」



 「おはようございます、黒木さん。昨日面接にお越しいただいた東条家の使用人、秋津あきつです」



 「後ろにいた姉ちゃんか」



 「そうです。面接の件についてお話したい事があるのですが、本日中に本家までご足労頂く事は可能でしょうか?」



 「今からでもいいよ。でも、どうして?」



 「それは、あなたへ介護を依頼する者が一度直接お話をしたいと申しているからです」



 「直接って、爺さんとは昨日話しただろう?」



 「いいえ、あなたへ介護を依頼しているのは、喜一では御座いません。また、本人の意向によって口頭で正体を明かす事を禁じられています。ご理解していただけると幸いです」



 「よく解らないけど、まあいいぜ。それじゃあ、一時間以内にそっちへ向かう」



 通話を切ってから、早速東条家に向かった。例の高い丘のある公園で飯を食っていたところだから、フットワークは軽い。腹ごなしにあの住宅街まで歩いて向かうと、通話から四十分程で辿り着いた。



 「ようこそ。……その鞄は?」



 「荷物が少ないから、いつも持ち歩いてるんだ」



 「そうですか。それでは、こちらへ」



 案内されたのは、昨日とは違う別の部屋だった。大きなグランドピアノが置いてあって、他には本棚と三人掛けのソファが一脚だけ。もちろん、部屋は余る程に広い。



 「それでは、少々お待ちください」



 言われて、俺はボストンバッグをソファの上に置くと興味本位でピアノに近づいた。蓋を開けると、滑らかで綺麗な鍵盤が並んでいる。人差し指で白い方を一つ叩くと、ポンと音が鳴った。……いい音だ。



 妙に気に入ってしまい、手持ち無沙汰に何度かそうして遊んでいると、突然部屋の中にノックの音が木霊した。



 扉の方を向いて待っていると、入ってきたのは車椅子に乗った若い女だった。前髪で目が隠れてしまう程に伸びっぱなしで、服装も灰色で無地のパジャマ。肌が異常な程真っ白なのが、彼女の不健康さを物語っていた。



 「あの姉ちゃんは?」



 「いません。扉を閉めてもらえますか?」



 「あぁ、はいよ」



 言われた通り、彼女の後ろに回って扉を閉めた。後ろからぼーっと見ていると、「窓際まで押して下さい」と命令されたので、言われた通りにそうする。



 「依頼人ってのはお前か。名前は?」



 「先にあなたが名乗ってください」



 「俺の名前は履歴書で確認してるだろ。……まあいいか、俺は黒木楓。お前は?」



 「東条かなで。16歳です」



 「奏か、俺と一文字違いだな。楓と奏。なんか良い感じじゃねえか?」



 「何がいい感じなのかわかりません」



 「ノリが悪いな。そんで、今日はどうして俺を呼んだんだ?」



 訊くと、奏は前髪の向こうからジッと俺を見ている。観察するように、品定めするように。



 「そんなにガンつけられるとあまりいい気分じゃねえな。それに、前髪は上げた方がいいぜ」



 「あなたに決められる筋合いはありません。……聞けばあなた、お金が無くて困っているようですね」



 「あぁ。そうだな」



 「ならば、私が恵んであげましょうか?」



 「何?」



 聞き返すと、奏は見下すように笑って話を続けた。



 「どうせ、この家にも泥棒しに来たのでしょう?あの人の目は誤魔化せても、私の目は誤魔化せません。どうせ取られるなら、先に渡してあげた方が私も気が良くなるという物です。さあ、欲しいと言ってみてください」



 言葉が出なかった。何故なら、それを言う奏の表情が、昔の俺と重なって見えたからだ。

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