第6話 悪者同士

 ……。



 人は見た目が9割。これは揺るがない事実だ。曲がりくねった有名なデザイナーズマンション、美しく盛り付けられた食い物、機能よりもルックス重視の服が世に蔓延る中で、人だけがその理から外れるだなんて事はない。ならば、出来る努力は全てやっておくべきだ。9割を捨てて残りの1割に賭けるだなんてあまりにも馬鹿げている。(そもそも、どちらかと言えば奏はその1割の方が終わってる)それに、案外やってるうちに新しい趣味になるかもしれない。そうすれば、一石二鳥だしな。



 明日は街に出よう。美容室に行って、ついでにそれらしい服を着ればきっと自信だってつくはずだ。一説によれば、渋谷や池袋にいる洒落た若者たちはそのほとんどが田舎から遊びに来ていると言うではないか。ならば、あの芋お嬢様だって間違いなく生まれ変われる。連中に出来て、奏に出来ない理由なんて一つもない。もちろん、俺の趣味は押し殺して可愛らしいのを選ぶから安心してくれ。



 ……その日の夜、皆が寝静まった後に俺は例のピアノのある部屋に来ていた。電気は点けずにカーテンを開け、椅子に座って蓋を開ける。鍵盤を見てから、奏が引いていたやり方を真似て俺は音を鳴らし始めた。(ちなみに、この部屋は防音室になっている)



 不思議な事に、俺の指は俺が思う以上に滑らかに動き、そして音を外さなかった。教わったばかりで楽譜の読み方はおぼつかず、そもそも読めない部分の方が多い。だが、自分はそう言った知識よりも感覚で弾いている気がしている。メロディが自然と頭に浮かぶようで、心の底から楽しかった。何度も何度も同じフレーズを弾いて、その度に表現を変える様に、強く、弱く、笑って見たり、怒ってみたり、やり方は無限にある様に思える。



 弾き終えて、しばらく窓の外を見ていた。月が青く光っていて、まるで俺を照らしてくれているかのように思える。その時、得も言われぬ高揚感が俺を包んでいる事に気が付いた。



 「……そうか。俺は、ピアノが好きだったんだな」



 思わず呟いていた。今まで一度も触れたことが無く、興味も起きなかった代物だが、これが俺に与えられた才能である事を直感した。この粗削りの才能を磨くことが、俺の人生の使命であることが心で分かったんだ。



 ……どれだけの時間が経っただろう。尚も感慨に浸りながらも指を動かしていると、突然部屋の扉が開いて明かりが灯った。中へ入ってきたのは、グレーのジャケットとチノパンの姿の爺さんだった。髪の毛はまだ決めていないようで、サラッと降ろしているのがワイルドな印象だ。俺はピアノの蓋も閉めずに立ち上がると、「こんばんは」と言って頭を下げる。すると、彼は手で俺を制して座るように促してから自分は三人掛けのソファに腰を下ろして俺を見た。



 聞かせろと言われている気がして、だから俺は目を閉じてから強く鍵盤を叩いた。オーディエンスがいると、より緊張してパフォーマンスに磨きが掛かっていく。誰かに見られる事で、俺を認めさせたいという欲求が強くなっていく。時折爺さんの顔を横目で見ると、彼は頷きながら笑顔を返してくれる。それがどうにも嬉しくて、だから俺はより一層いい演奏をしようと体全身を使って表現するように努めた。



 三分強の演奏を終えて爺さんを見ると、彼は面接の時と同じように手を叩いて俺を褒めてくれた。きっと、爺さんも音楽が好きなのだろう。でなければ、娘に『奏』だなんて名前を付けるはずがないからな。



 「G線上のアリア。奏が一番好きな曲だ」



 楽譜を見ると、英語表記の題名の後ろの方にローマ字で『G』と書いてある。なるほど、これを和訳するとその名前になるのか。



 「教えてくれて、ありがとうございます」



 「いいんだよ。それに、今は勤務時間外だ。堅苦しい言葉使いはむしろ遠慮してくれないだろうか」



 そう言われて、ならばと窓を開けてタバコに火を付ける。煙を吐いて「わかったよ」と返すと、彼もこっちに寄って来てタバコを一本要求した。



 咥えたそれに火を付ける。すると、俺が飲み終えた缶コーヒーの缶の中に灰を落としてため息を吐いた。外は、既に日が昇り始めている。地平線の向こう側には、靄がかった青い空が見えていた。



 「どうしたよ、爺さん。あんまり元気なさそうじゃねえか」



 「少し、仕事が忙しくてね。これから一週間程、パリに飛ばなくてはならない」



 「こんだけ金があんのに、まだ仕事やってんのか。何やってんの?」



 「美術館の運営だよ。向こうに古い友人が居てね、銀行の役を降りた後に二人で骨董品を飾るアトリエを開いたのがきっかけなんだ。ところが、最初は趣味の範囲だったんだが物が集まってくると規模も拡大してしまってね。気が付けばまたビジネスの渦の中に居たという所さ」



 それで、この館にも絵画や骨とう品が多いのか。金持ちの考える事はよく分からんが、この人はこれで充実しているのだろう。



 「でもよ、娘と息子をほっといて、一人だけ海外に行くってのは親としてどうなんだよ。ちと無責任が過ぎるんじゃねえの?」



 言うと、爺さんはタバコを深く吸ってからこう言った。



 「残念だが、誘ったら断られたよ。だが、湊は一緒に行く。あの子、実は愛人の子でね、彼女はパリに住んでるんだ」



 聞いて、思わず笑いが込み上げてしまう。



 「へっへっへ。爺さん、あんた結構クズだな。どおりで俺と気が合う訳だ」



 「なぁに、私は捕まるようなヘマはしないよ」



 爺さんも、俺につられたのか少し悪そうに笑った。



 「言うじゃねえか。……それで、自分で言うのもなんだけど、俺みたいにふらっと現れた馬の骨と娘を留守の間一緒にしておいて、心配じゃねえのか?」



 「心配に決まっている。心の底からね。しかし、私と奏はもう普通にやっても元に戻らない所にまで来てしまってるんだよ。ならば、少し荒いギャンブルに出なければなるまい。だから、私は君に賭けたベットしたんだ」



 缶に火のついたままのタバコを落とす。飲み口からは、お香の様に細い煙が立っていて、外に触れた瞬間に朝風にかき消されていく。



 「今まで、何度も賭けには勝ってきた。きっと、今回も私が勝つよ」



 ……並大抵ではない強い力を感じる、そんな言葉だった。爺さんの部下は、彼のこういうところに惚れて後ろを歩いたのだろう。それに、こうまで言われてしまえば俺だって絶対に裏切る事は出来ない。全く、やられたって感じだ。



 だが、これだけ頭もキレるのにどうして娘とだけは仲良く出来ないのだろうか。何でも出来そうに思えるものの、本当は自分の弱い部分を隠すのが上手いだけなのかもしれない。ピーマンも食えねえし。



 「任せろよ。それに、賭けたモンは倍以上になって帰ってくるはずだ。俺が保証してやる」



 「期待しているよ」



 言って、彼は部屋の外へと向かう。心なしか、入ってきた時よりも元気になっている気がした。



 「なあ、爺さん」



 立ち止まり、振り返る。



 「もしなんかあったら、また話は聞くよ。一人でため込むなよ」



 すると、彼は大きく口を開けて今までに培ってきたイメージを払拭するように豪快に笑ってから扉を閉めたのだった。



 もうじき、朝が来る。

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