君の脚になるから
夏目くちびる
第一章 新生活
第1話 囚人卒業
「もう戻って来るなよ」
看守の声に軽く会釈をすると、彼は重たく冷たい門を閉じて施設の中へ戻って行った。長かった獄中生活が終わり、俺はようやく
ここは北海道のとある田舎町。俺はこの街の少年刑務所に16歳から4年間収監されていた。理由は質屋での強盗。当時の仲間の一人が宝石を表の市場に出してしまった事がきっかけで、
今手に持っているのはボストンバッグ。中身は数着の着替えと文房具と腕時計、そして捕まった時に持っていた財布とその中身だけ。時計はしっかりと動いていて、金は少しだけ残っている。
タバコとライターを持っていた筈だが、それはとっくに処分されてしまっているようだ。結構高値のデュポンライターを使っていたのだが、あれがなくなったのは残念だ。無論、他人から巻き上げた物だから損をした訳ではないのだが。
とりあえずコンビニでタバコとライターを買い、残った金で飯でも食おう。久しぶりのシャバの飯だ。悪い油の多い、劣悪なジャンクフードがいい。そんな事を考えて近くのマクドナルドへ入り、千円札を二枚取り出してありったけのハンバーガーとポテト、それにコーラとシェイクを注文した。
「……うめぇ。やべえ、ベロがぶっ壊れそうだ」
あまりの刺激に、味覚が狂ってしまいそうになる。捕まった事の無い奴は知らないかもしれないが、獄中飯も案外悪いモノではない。量も意外と融通が利くし、何より味が良かった。しかし、如何せん油が少なく、加えてカロリーが低いのだ。ラーメンや肉汁に中毒者が生まれる理由は、端的に言えば体に悪いからだ。きっと、再犯率が高いのとこの暴食は根本のところで理由は同じなのだと思う。どれだけ真面目ぶっていても、俺たちの様なロクデナシは悪い物に引き寄せられてしまう。
ポテトから染み出るジュワッとした油が口の中に残る中、シャリシャリとした冷たいバニラ味のシェイクを流し込む。甘く、とろけるような食感を堪能してから、俺はビックマックにむしゃぶりついた。ハンバーガーの端から千切りのレタスがはみ出て箱の上に落ちる。それをつまんで口の中に入れると、パンとパティとピクルスが混然一体となった味わいを心行くまで楽しんだ。しょっぱさが勝ち始めた頃、今度はコーラの蓋を外してゴクゴクと喉を鳴らすように飲み、口内を爽やかに洗い流す。そして、再びポテトに手を伸ばした。
……二千円分のそれは、物の十分程度で無くなった。下品にゲップをして辺りを見渡すと、俺の事を見ていたであろうカップルが目を逸らした。坊主頭で腕にはタトゥー、他にやる事が無くて筋トレばかりしていたら無駄にデカくなってしまったこの体を見れば、誰だって目を逸らしたくなるに決まっている。
タバコが吸いたくて、だから俺はトレーを片付けて店の外に出た。近くに丘のある公園があったから、ブツを買った後でその頂上に登り、田舎の風景を見ながらタバコに火を点けた。バカは高いところが好きなのだ。
「……マッズ」
しかし、深く吸い込まずにはいられない。頭の中がクラっとする感覚も、ある意味タバコの醍醐味だ。だが、こいつはこんなに値の張る物だっただろうか。昔はもう少し安かったはずだが。
大きく息を吐く。紫煙が宙を踊り、色を散らして消えていった。……春がそろそろ終わる。開花の時期が遅いこの北海道でも、桜は既に散っている。川には散った花びらがひしめき合っていて、ピンク色の絨毯のようだ。子供の頃、あれの上に立とうとした事があったっけ。
……そんな事を考えながら、コンビニでもらってきたタウンワークに目を通す。とりあえず仕事だ。今更勉強なんて出来ないし、大検を取るのだって無理だろう。問題は、果たして俺を雇うような企業はあるのだろうかと言う事だが。恐らく、正社員としてやるのは無理だろう。まずはバイトでも探して、次の人生は金が貯まってから考えるとしよう。
飲食店や小売店の募集に赤ペンで目星をつけると、近くのケータイショップへ向う事を決めた。口座には、昔貯めていた金がまだ幾らか残っているだろうから、きっと何とかなるはずだ。それに、今の時代はきっとケータイがなけりゃどうにもならないだろう。そう考えて、俺はタバコの火を踏み消すとその場を立ち去った。
……。
親がいない事を理由にするわけではないが、俺は中学生の頃に恥ずかしいほどにグレて施設を飛び出した。学校へは行かず、いつの間にかカラーギャングに所属していた。暴走行為や下らない縄張り争いに明け暮れていたが、ひょんな事からそこの先輩との喧嘩が絶えなくなった頃、輪から飛び出して新しいチームを作った。今思えば、それが全ての間違いだった。
金が欲しかった。貧乏で、ガキの頃からいつも誰かが遊んでいるのを指を咥えて見ているだけなのがたまらなく悔しかった。だからだろう、俺の周りにそんな連中なかりが集まったのは。
俺たちは金の為なら何だってやったし、だから俺たちの絆は友情や人情なんかじゃなくて金だけだった。狂暴さは度を超えて、標的は個人から別のチームに移った。それでも飽き足らず、遂には敵対していたギャングメンバーの親が営んでいた質屋を襲う事になったのだ。
強盗は成功。しかし、宝石や鞄を現金化する前に、メンバーの一人がヤクザに手を出してその慰謝料で1000万円を請求されたのだ。焦ったそいつは、早く金にしようと裏のインターネットマーケットではなく普通のオークションサイトで物品を売り払った。当然、ブツの正体はすぐにバレた。それからは早く、あれよあれよと余罪が見つかって4年の懲役が確定。そして、俺の長い獄中生活が始まったのだ。
色々と本を読んでみて分かったことがある。それは、俺の本当の罰は失った4年間などではなく、もうまともに生きることの出来ないこれから先の60年間だという事だ。名前が公表されていなくとも、学歴も住所もないような人間を普通の奴が雇うわけがないからな。もしあの頃に戻れるのなら、是非ともこの事実をクソガキの俺に伝えてやりたいね。
……。
あれからバイトを探し続けたが、俺を雇う店は一向に見つからなかった。住む家も決まらず、公園で野宿を続けていたある日、どうやって居場所を突き止めたのかは分からないが保護観察官を名乗る男が俺の元へやってきた。
「生活保護でも貰ったらいい」
プライドが邪魔していてどうしても踏み出せなかったのだが、それを聞いて決意した俺は翌日には早速役所に向かった。そこでは、まずマイナンバーカードの発行手続きから始まり、国民保険への加入や住民票の移転などの申請を行った。住所は、この保護観察官の男が経営しているシェアハウスの家のモノを借りた。これで、ようやく本当の意味で就活が出来るというモノだ。
午後にはハローワークへ行き、仕事を求めた。鳶職や土木作業の仕事を斡旋されたので、その仕事の面接を受ける事となった。やみくもに受けるより、こいつらの推薦なり何なりを貰っておいた方が、きっと成功率も高いだろう。
段取りが終わった後に、ハローワークの職員はこんな事も教えてくれた。
「生活保護の他に、求職手当と言うモノがあります」
就活をして、それでも職に就けない奴にはこれが給付される。就活をしているという証明さえできれば金を貰えるようだ。他にも、失業者には様々な形で保険や給付と言う形で金をくれる制度がある様だ。日本と言うのは、本当に犯罪者に甘い。それだけの額が貰えるのならば、きっと俺が普通に働くよりもよっぽど裕福な暮らしが出来るだろう。全く、こういう知識を学校で教えてもらいたいものだ。
「マジにヤバそうな時はそうするよ」
世間の連中には生活費を払ってくれる親が居て、飯を奢ってくれる上司や先輩がいるのだから、少しくらい国が俺に援助をしてくれたっていいだろう。そんな事を考えたが、ぶち込まれている間に俺を食わせてくれていたのもまた税金だ。下らない事を考えるのは止めよう。
その後、シェアハウスに戻った俺はシャワーを浴びて、デッキでタバコを吸ってから俺の体には小さすぎるベッド眠りについた。
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