第3話 奏の理由

 「さあ、言ってください」



 黙っていると、追い打ちをかける様に命令を重ねる奏。



 「何バカげた事言ってんだよ。爺さんに話を聞かなかったのか?俺は世の為に働きたくてここにいるんだ」



 「嘘です。あなた、強盗犯なんでしょ?そんな人間がたった4年間刑務所に入っていたからと言って、変わるわけがないじゃないですか」



 「元だ。それに、もう二度とやらねえよ」



 「信じられません。あなたの様な恵まれた人間が犯罪まで犯すなんて、本当に愚の骨頂です」



 その言葉を聞いた時、俺は奏の肩を掴んで前髪を上げると、まっすぐに目を見る様に仕向けた。



 「恵まれてただ?冗談じゃねえよ。お前、さっきから聞いてれば訳わかんねえ事ばかり言いやがって。お前には親が居て、使用人が居て、食う物にも困らねえで。挙句こんなでっかい家に住んでるってのにどうしてそんな事が言えるんだよ」



 奏が目を逸らすから、俺は顎を持って再び俺の目を見る様にする。



 「痛いです。お父さんに言いつけますよ」



 だが、手を放すわけにはいかない。



 「言いたきゃ言えよ。目を逸らすな。いいか?俺は恵まれてた事なんて二十年間で一度もねえ。たったの一度もだ。それに、自分が超えちゃいけねえラインってのを超えた自覚だってある。だが、俺は戻ってきた。しっかり戻ってきて、何とかして生きようと必死こいてやってんだよ。お前が何者だか知らねえけどな、それを否定する事だけは絶対にさせねえ」



 言って手を離すと、奏は泣いた。だが、ここまで言われて黙っていられる程、俺に余裕なんてない。泣かした事を悪いとも思っていないし、何なら俺が喜一の爺さんにお前の孫はどうなってるんだと言ってやりたいくらいだ。それに、俺が道を踏み外したのは、こうして本気でモノを言う人間が俺の周りにいなかったからだと思う。ならば、奏がそうなってしまう前に俺が何とかしてやらなければならない。



 「なあ、どうして嫌われるような事言うんだよ。構って欲しいのか?友達がいなくなっちまうぞ?」



 訊くと、奏は涙を拭いて口を開いた。



 「友達なんていません。それに、秋津以外の人間とは半年以上話していません」



 「マジかよ。どうして?」



 「……私は、もう二度と歩けないんです」



 訊けば、奏は半身不随によって下半身の一切が自由の効かないモノとなってしまったようだ。不自由になって最初の頃は気を使っていたクラスメイトも、段々と奏を疎ましく思って関係を断っていったのだという。



 「原因は二年前、お母さんと一緒に出掛けた時の事です。駅の前を歩いていると、突然猛スピードで歩道に突っ込んできた車がありました。それに気が付くのが遅れた私を、お母さんが助けてくれたんです。しかし、お母さんは命を落とし、何とか生き延びた私も頭を強く打ってしまいました。そのせいで、二度と歩けなくなってしまったんです」



 「そりゃ大変だったな」



 表情は見えないが、きっと圧し潰されそうな顔をしているのだろう。だから、俺は頭を撫でて口を開いた。



 「だが、その話には一つ嘘がある」



 「嘘なんてついていません」



 「じゃあ教えてやる。離れていったのは友達じゃない、奏だ。お前自身だ。友達ってのはな、体が不自由になったくらいで離れていくようなモンじゃないんだよ。ただ、その友達と少しの諍いや、遊ぶ予定の合わない理由をお前が自分の体が動かない事に結び付けたんだ。五体満足だろうが、喧嘩や予定の合わない日なんてのはいくらでもある。それを温度差に感じて離れていったのは、お前の方だ」



 「そんな事……」



 否定しようとしたのかもしれない。しかし、それは言葉にはならなかった。きっと、奏の中に思い当たる節が幾つもあったのだろう。



 「もちろん、奏は最高に不幸だと思う。他人が当たり前の様に持っている物を、お前だけが持っていないんだから。でもな、そんな事は全員に言える事なんだ。誰だってみんな、何かしらが欠けているモンなんだよ。だから、俺たちは持っているカードで生きていくしかないんだ、解るか?」



 感覚の無いだろう脚に触れると、氷の様に冷たかった。まるで、あの頃の俺の心のようだ。



 「今ならまだ間に合う。俺が助けてやる。その捻くれた性格を治して、お前の楽しい生活を探そう」



 「……あなたには、それが出来るんですか?」



 「やるんだよ。任せろ、俺がいくらでも楽しい事を教えてやるから。手始めに、このピアノを演奏しよう。何か弾けるか?」



 「……少しだけ」



 「じゃあやろう、すぐやろう。ほら、涙拭いて、あと前髪あげろ。ゴムとか持ってねえのか?」



 奏は横に首を振った。俺は自分の鞄の中を探すと、鉛筆を縛っている輪ゴムを見つけた。これで奏の前髪をちょんまげの様に結ってやると、彼女は目を腫らしながらも微かに笑った。



 「かわいいじゃねえか。笑顔は女の子ができる最高のメイクらしいぜ」



 「誰が言ってたんですか?」



 「マリリン・モンローだよ。昔の大女優だ。確か、銀魂でも同じような事言ってたな。知ってるだろ?銀魂、あれ面白いよな」



 「そういう変な事は知ってるんですね。それと、銀魂はもう連載終了しましたよ」



 「嘘だろ!?……まあそれは後で訊くとして。……それじゃあやってみようか。ボイパするから、セッションにしよう。つーか後で俺にも弾き方教えてくれ」



 その後、しばらくの間奏のピアノの旋律を聞いていた。少しと言う割にはかなり達者な腕に聞こえたが、それは俺がド素人だからなのだろうか。



 知らない曲だったが、何となくリズムを合わせて喉を鳴らす。音楽は世界を変えるとは、昔の人は素晴らしい言葉を言ったモノだ。曲調が段々と楽し気になっていった事に、俺は少しだけ達成感ってヤツを感じていた。



 ……。



 「黒木君、どこに行くの?」



 奏を秋津に預けた後、鞄を持って家を後にしようとするとここまで追ってきた秋津に呼び止められた。



 「どこって、帰るに決まってる」



 「今日からあなたの家はここよ。二階に部屋を用意してあるよ」



 「何?」



 どうやら、俺は採用されたようだ。秋津の口調が客用から身内用に変わっている事も、それを実感させてくれた。ただし、渡された書類には介護に加えて教育までが条件に加わっているようだ。業務内容にそう書いてある。それに、どこで見ていたのか知らないが、一部始終を爺さんと秋津に知られてしまっているようで、言葉遣いに難ありと丁寧に指摘までされている。



 「因みにだけど、喜一様はお爺様じゃなくて、奏様のお父様よ」



 「……マジかよ」



 昨日、弟らしき少年が居たのも確認しているから、結婚自体がかなり遅かったのかもしれない。その辺りの理由は、いずれ爺さんに訊くとしよう。



 部屋に案内され荷物を置くと、早速着替える様に指示された。秋津が俺に差し出したのは、スラックスと白いシャツに黒の革靴。どれもサイズがピッタリだった。



 「しかし、よく奏様にあぁも強くモノを言えたわね」



 「どういうことだ?」



 「今まで、何人も家庭教師や介護士を雇っていたの。でもみんな奏様にやられちゃってね、そうでなくても、お父様に言いつけると言えば大抵はビビッて話も出来なくなってしまうの」



 「あの爺さんって何者なの?」



 「とある銀行の頭取だった人。財界や政界にもかなり顔が効く超大物なの」



 そう言われても、住む世界が違い過ぎてイマイチ凄さが伝わってこなかった。喜一の爺さんなら、俺の口座を空にしたりどこにも就職出来ない様にすることが可能なのだろうか。最も、あの人がそんな事をするようには見えないが。



 そもそも、俺はニュースを見ないから世間で何が起きているのかもよく知らないし、きっとそんな脅され方をしても通用しなかっただろう。バカとはさみは使いようとはよく言ったものだ。



 「まあ、すげえ人なんだな」



 「そうよ。あと、採用書類にも書いたけどその口の利き方。少なくとも、喜一様と私にため口を使うのは止めなさい。ちゃんと教えてあげるから」



 「……わかった」



 「分かりました、秋津さん。よ」



 人差し指を立てて、教師の様に振る舞う秋津……さん。



 「分かりました、秋津さん」



 「よろしい。改めて、私は東条家の使用人筆頭、秋津美智子あきつみちこ。と言っても、今では私しかいないけどね。歳は32歳、スリーサイズは秘密。美智子って呼んでもいいよ」



 少しレトロな喋り方をするが、どうやら頼りがいのありそうな女だったらしい。面接の机の向こう側にいるときは堅そうな奴だと思ったが、筋さえ通せば色々と優しく教えてくれそうだ。



 「分かりました。美智子さん」



 「素直でよろしい。それじゃあ早速、洗濯物を畳みながら言葉の勉強でもしましょうか。一緒に奏様の身の周りの事も教えるから、しっかりと覚えておくのよ」



 「分かりました。美智子さん」



 とにかく、教えられた事を何度も口にして覚えることが先決だ。20年間の悪い錆は、きっと一筋縄では治らないだろう。この仕事は、奏だけじゃない。俺自身の更生の為にもなる。きっちり勉強して、今後の生活に生かす糧としよう。きっと彼女を幸せにすることが出来れば、俺は本当の意味で更生出来るに違いない。何故なら、その時には俺が誰かに必要とされる人間になっている筈だからだ。



 奏、俺たち二人、絶対に幸せな人生を見つけようぜ。

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