第8話 変わる魔法

 「それじゃあ、二時間後には戻って来るから。しっかりやってもらえよ」



 「……いてくれないんですか?」



 店の中、俺だけに聞こえる声で奏が言う。



 「なんだ、不安なのか?」



 「当たり前じゃないですか。と言うか、召使がご主人様の傍を離れるなんてありえないですから。ちゃんと居てください」



 そう言って、俺の袖を掴む。



 「一応言っておくが、俺は介護士だからな?それに、自分でご主人様って、言ってて恥ずかしくねえのか?」



 すると、奏は口を尖らせて「忘れてください」と呟いた。



 「……まあ、そうは言ってもだな、俺みたいな体がデカくて坊主頭の男がここに居たら他の客が入りずらいだろうが。客だって全員女なんだぞ。ほら、店員の姉ちゃんもちょっと困ってる」



 小さく指差すと、奏がその方向を見る。そこには、カウンターの後ろで俺たち(と言うか俺)を見ながらひそひそと話す三人の店員の姿がある。怯えているようで、なんだか申し訳ない気分になって来てしまう。



 「用事が済んだら店の近くで待機しとくから。安心しろよ」



 言うと、袖を掴む力が少しだけ強くなった。



 「……本当、使えませんね。まあ、でもあなたの言う事には一理あります。とても心細いですが、仕方ないので頑張ります。ばか」



 どうやら、緊張しすぎて普段隠している感情の部分が全て言葉になってしまっているようだ。テンパってる姿を、不覚にも可愛らしいと思ってしまった事は内緒だ。



 「そんじゃ、行ってくるわ。また後でな」



 そう言い残して、俺は店を後にした。その後、近くのコンビニで少年ジャンプを立ち読みし(俺が知ってる漫画がワンピースしか無かったのはマジでビビった)、女性向けのファッション雑誌と缶コーヒーにタバコを購入した。ついでに、合宿免許の資料も貰って行こう。申請したマイナンバーカードは全然来ないし、身分証がないと困るからな。



 街を歩いていると、至る所に喫煙禁止の文字があった為、俺はしばらく歩いてようやく見つけた喫煙所に立ち寄る。一服しながら雑誌を読んで、何となく奏に似合いそうな服に目星をつけておいた。どうせ、あいつは「あなたの趣味ですか?気に食わないです」とか言うんだろうな。ま、別にいいけどさ。



 ……そんなこんなで、約束の時間がやってきた。俺はと言うと、美容室の向かい側の通路にあるベンチに座り、ガラス張りの店の中をぼーっと眺めている。ここからでは、奏の姿が見えないな。今頃、店の奥で爪を綺麗にしてもらっている頃なんだろう。(一応言っておくが、俺にはネイルの良さなんてさっぱり分からないからな)



 ケータイに連絡が入り、支払いの為に店の中へ向かった。爺さんから、奏の買い物用に預かったクレジットカードがあるからだ。ブラックカードかと思いきや、こいつはその更に上のランクであるパラジウムカードと言うヤツで、カード自体がかなり高額なとんでもないクレジットカードであるようだ。存在すら知らなかったが、あの爺さんが自慢の意味を込めて俺に渡したのは分かる。だって、普段の買い物なんてどう考えても普通のヤツでいいし。



 店員にカードを渡して支払いを済ませた時、店の奥で車輪が回る音がした。その方向を見てみると、そこには前髪はあくまでナチュラルに、それでいて毛先に緩いパーマをあてたセミロングヘアの奏の姿があった。カラーを入れたようで、少しだけ赤みがかった暗めのブラウンだ。小顔に見えるのは、きっとボリュームのある毛先の効果なのだろう。幸が薄そうな顔なのがギャップを生み出し、なんとなくクラスで一番モテるのはこういうヤツなんじゃないかと思ってしまった。



 「何を見ているんですか?気持ち悪いです」



 どうせなら性格も緩く可愛くしてもらえばよかったのに。



 「随分良くなったなって思ったんだよ。そんじゃ行こうか」



 店員に挨拶をすると、先ほどまでとは違って笑顔を俺に向けてくれた。きっと、カットしている間に奏が散々俺をこき下ろしたのだろう。仕方のない奴だ。



 「見てください。どうですか?」



 そう言って、奏は車椅子を押す俺に爪を見せた。薄いピンクで、艶が出ている。余計な装飾は無く、とてもシンプルな仕上がりだった。これくらいなら、学校でも注意されることはないだろう。



 「へぇ。綺麗なモンだな。大事にしろよ」



 珍しく、何も言い返されなかった。それどころか、自分の爪を見て少しニヤついているようだ。ほら、やっぱりやってよかったじゃねえか。



 「それじゃあ、服も買いに行くか。近くのデパートを見て回ろう」



 と言う事で、俺たちは途中に昼食を挟みつつ若者の店を見て回った。自分が綺麗になって嬉しくなったのか、奏は終始楽しそうにしていたのが印象的だ。持っている服は上品過ぎるから、カジュアルな服を探した。結果、夏用のシャツを数着とショートパンツにスカート、それにツバの広い麦わら帽子と肩掛けの鞄を購入。これで、かなり今風の女子に近づけたんじゃないだろうか。



 帽子と鞄は特に気に入ったようで、手に持って形を確認している。新しいおもちゃを与えられた子供そのものの反応で、見ていて微笑ましい気持ちになった。これが、色々な物に興味を持つきっかけになるといいんだが。



 「実は、もう一つ行きたい場所があるんだ」



 そう言って案内したのは、札幌から三つ隣の駅から更に歩いた場所にある個人経営の自動車整備工場だ。オイルと鉄の焦げた臭いの中、俺は車の下に潜り込んで作業している整備士に声を掛けた。すると、それを中断して現れた若い男が俺たちの方へと歩いてきた。



 「……あんたが電話してきた黒木か?」



 「そう。モノは?」



 訊くと、彼は奥から黒く光る電動の車椅子を持ってきた。フレームは少ないが、見ただけで並の耐久力でないのが分かる高級感だ。こいつは海外のとある自動車メーカーの製品なのだが、ここの社長がノリで買ったはいいものの捌けずに困っているとの話だった。元々は今の車椅子を改造してもらうつもりで連絡していたから、俺としても願ったり叶ったりだ。



 「電話でも言ったが、このボタンを押せば20キロまで出せる。しかし日本の公道は6キロまでしか出せねえからな。パクられたくなきゃ止めとくんだな」



 売れ残った理由はこれだ。出せば捕まるスピードの車椅子を買うバカはいない。普通はな。だが、あいにく俺の雇い主は普通じゃない。とんでもない金持ちだ。




 「ありがとよ。あ、ついでにこの辺に宅急便ってねえかな?今乗ってるヤツは家に送っちまいたいんだけど」




 「そんくらいやっとく、こんなバカ高い車椅子を買ってくれたんだから。送り状だけ書いてくれ」

 


 言われて、俺は東条家の住所を書いて彼にそれを渡した。その後、奏でをこっちの車椅子に乗せ変えて工場を後にしたのだった。



 「今更ですが、なんですかこれは」



 「見た通り車椅子だよ」



 俺は折りたたんである足置きを出してそこに乗ると、操縦者を介護側に切り替えてからノロノロと走り出した。



 「楽でいいな、これ」



 「20キロまで出るんですよね?なら、もっと速くしてください」



 どうやら、この前のドライブからうちのお嬢様はスピード狂になってしまったようだ。引きこもりのおてんばって、普通どっちかなんじゃないか?



 言われた通りに10キロ程のスピードで走り出すと、これが意外と速くて驚いた。つーか、奏の方に重りでも付けないとウィリー走行してしまいそうだ。今日のところはこのくらいのスピードで勘弁してもらおう。それに、既に結構楽しそうだしな。



 結局、そのまま東条家まで戻ってきた。1時間程のライドだったが、アトラクション気分で俺も楽しめた。これからは、外出もぐっと楽になる事だろう。



 家に着いて、美智子さんに一通りの説明をすると彼女は奏を見てとても喜んでいた。奏の生活をかなり心配していたからようだから、イメージチェンジにも好意的だった。というか、この家の人間はみんなノリがいい気がする。人種は違えど、こういう空気は刑務所の同居人を思い出すな。……隼人はやと、今はどこで何をしているんだろうか。



 その夜、奏は食堂へやってきた(というか、俺が連れてきた)。きっと、自分の容姿をコックにも見せたかったのだろう。今日のメニューは、フィレ肉のステーキとコーンポタージュにグリーンサラダとバターロール。どうやらこのコーンポタージュは奏の一番の大好物であるらしく、コックの北方が俺が奏を連れてくることを期待して仕込んでいたとのことだった。こいつが奏の口の中に入って、本当に良かったと思っている。



 ……昼は奏と出かけて雑務をこなし、夜はピアノを弾いて鍵盤の上に気絶するように眠る。そんな生活が続いた6日目の夜の事、その事件は起きたんだ。

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