第10話 賭けの結果

 ……。



 「お帰りなさい」



 翌日の夕方に、爺さんは戻ってきた。荷物くらいは持ってやろうと思って下へ降りてきたのだが、美智子さんが彼の鞄を持って半歩後ろを歩いている。こうしてみると、二人の容姿も相まって一枚の絵に見えるな。



 俺の姿を見たのか、爺さんは呟くように口を開いた。



 「秋津、その鞄を彼に渡して」



 「かしこまりました」



 俺は美智子さんから鞄を受け取ると、爺さんの隣に並んだ。向こうはどうだったのかと訊くと、「北方の料理が恋しい」と応える。フランス料理は世界でもトップクラスの味だと思っていたのだが(もちろん、本場の物なんて食った事はない)、それよりもあのコックの味の方がいいのだろうか。だとすれば、俺は本当に幸せ者だ。



 美智子さんは湊と共に庭へ向かった。あの犬に会いに行ったのだろう。俺よりも上品な顔をしたあの犬は、湊がここに来た時からずっと一緒の仲良しらしい。種族を超えた友情ってのは本当にいいモンだよな。アイアムアレジェンドとか、テッドとかさ。……後のヤツは少し違うか。



 「どうだったね?奏は」



 自分から食いついているあたり、相当気になっているのだろう。駆け引きもへったくれもあったもんじゃない。まあ、俺はそれくらい必死こいてる奴の方が応援したくなるけどな。しかし、いつもは余裕ぶってる彼のこの様を見ると、少しばかり意地悪をしてやりたくなってしまった。



 「どうだろうな。ただ、爺さんの事は許せない とは言ってたぜ」



 「……そうか、許せないか。……いや、すまない。苦労を掛けたね。この話は忘れてくれ」



 全く、結果でなくただそう言ってたと伝えただけで何という落ち込み方をするのだろう。やっぱ面白いな、こいつ。



 「コックが飯作って待ってるから、着替えたら早く降りてこいよ」



 そう言って、鞄を爺さんの部屋に置いてから下へ向かった。数分後、見るからにしょんぼりとした彼が降りてきて、いつものとは違うテーブルの端っこの席に座る。どんだけ落ち込んでんだよ!



 「それでは食べようか。いただ……」



 「ちょっと待ってください。まだ全員揃ってません」



 そう言うと、彼はスプーンを持つ手を止めた。(周りに人がいるから、ここでは敬語を使う)。普段ならここらで気付きそうなものだが、何一つピンと来てない様子。流石にこれ以上イジメるのは可愛そうだから、俺は席を立つと部屋を出た。



 「お、自分でここまで来たのか。偉いじゃねえか」



 扉は開いている。今の声は中に聞こえているはずだ。そして、俺は車椅子を押して再び食堂へ入った。



 「な……っ!?」



 爺さんは、目を見開いて奏を見る。そりゃそうだ、今まで引きこもりだった娘が降りてきただけでもビックリなのに、おまけにイメチェンまでして綺麗になっているんだから。というか、お前ら親子で同じ驚き方をするんだな。



 「お……。おかえり、なさい」



 しどろもどろになりながらも、奏は挨拶をする。それを見て、貴一様は一筋の涙を流した。



 「か、勘違いしないでください!今日のご飯は私の好きなパエリアだったから来ただけですから!別にお父さんの為じゃないです!」



 その割には、しっかりお父さんと呼んでるじゃねえか。



 爺さんは喋れず、おまけに美智子さんまで貰い泣きして(面白そうだからこの事は伝えてなかった)、誰も食事の音頭を取る奴がいないから俺がする事にした。



 「いただきます!」



 湊だけが元気に返事をしてくれる。こいつ、マジで可愛いな。



 食事中、俺と湊だけが会話をして、あとの三人はチラチラと目線を動かすだけで口を開かない。つーか大人二人は涙拭けよ、それじゃ味わかんねえだろ。



 食べ終わって、外野は外へ。部屋を出る前に二人を見ると、どちらも阿呆のように俺を見ている。



 「頑張れよ」



 そう残して、俺は扉を閉めた。その後、しばらくの間トランシーバーが鳴らなかったからピアノを弾き続けていたが、不意に扉が開いた。入って来たのは爺さん。その表情は、呆れるくらいに朗らかだ。



 「やられたよ。許さないだなんて、君も人が悪い」



 窓際に寄って、タバコに火をつける。俺はその様子を見て、隣に立った。



 「これからは、私も毎日奏と話をするよ。ありがとう」



 「気にするなよ。それに、何かあったら俺がなんとかしてやる」



 結果に満足してくれたようで、だから俺も思わず嬉しくなってしまう。しかし、実はもう一つだけ訊いておきたい事がある。今ならきっと、答えてくれるはずだ。



 「でもよ、愛人作ってんだろ?それを悪い事だとは思わねえが、一途とは少し違うんじゃねえか?」



 「……君にだけは話しておく。誰にもいってはいけないよ?」



 縦に首を振ると、とんでもない事を言った。



 「実は、愛人と説明したがフランスの彼女も妻なんだ。もう、離婚してしまったがね。当時の私は二人ともこの世界で一番愛していて、だから二人と結婚したんだよ。冷静に考えて、愛人との子供なら堕ろすさ」



 「強欲過ぎるだろ!いや、まあ男としてその甲斐性と度量は尊敬するけどよ」



 笑いが止まらない。時代が時代なら、きっとこの人は海賊になっていたことだろう。まあ、これだけ金を持っている優秀な男なのだから、妻の一人や二人居てもむしろ普通に思えてしまう。



 「誰にも言ってはいけないよ。普通の人間には、この愛は理解出来ない」



 つまり、俺は普通の人間ではないという事だろうか。良くも悪くも、何者かでいられるなら悪い気はしないけど。



 その後、何故ヨーロッパの女に美人が多いかを聞いていると(端的に言うと混血だからだそうだ)、話に割り込む様にトランシーバーが鳴った。お嬢様も、そろそろ寂しくなってきてしまったのだろう。



 「それでは、行ってきます」



 丁寧にお辞儀をした後、笑ってみせた。さて、今日はどんな話を聞かせてやろうか。そんな事を考えながら、俺はピアノの鍵盤蓋をパタリと閉じた。

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