第15話 奏の過去

 それから、俺は再び月極駐車場に戻ってくると、奏を迎える為に星稜高校へ向かった。帰りの会(高校ではホームルームと言うんだったか)は既に終わっているようで、グラウンドではソフトボール部と陸上部が練習を開始していた。俺のイメージではプレイヤーが男、マネージャーが女なのだが、この学校ではその逆になっているようだ。さしずめ、男だけではそもそも競技シーンに参加出来る程の部員が集まらない、と言ったところだろう。



 保健室にいると案内をされたから、言われた通りにそこへ向かう。入校許可証を首から下げているのだが、すれ違う生徒にはどうしても怖がられてしまうようだ。



 「失礼します。奏、いるか?」



 「遅いです。待ちくたびれました」



 なんか、思っていたよりいつも通りだな。今朝の調子だと、凹んで口も聞けないかもしれないと思っていたんだが。



 そんな事を考えて部屋に入ると、奏の隣に一人の女子がいる事に気付いた。クラスメイトか、それとも同じ年の友達か?



 「あ、えっと、その。わ、私はですね、その……」



 その子が突然立ち上がったかと思うと、手を空中でワシャワシャ動かしながら口を開いた。しかし、余程ビビってしまっているらしく、言いたい事が何も伝わってこない。



 「落ち着いてください。見た目はこんなのですが、基本的には無害です。それに、無駄に人生経験が豊富なだけで私たちより頭が悪いです」



 なるほど、美容室の時もこんな調子だったわけか。こいつ、とことんドSな奴だな。……心なしか、いつもより少し声色が低い気がする。



 「ムカつくが、奏の言う通りだ。取って食ったりしねえよ」



 しかし、だからと言ってここに長居する理由もない。もし奏に用事があるのなら、俺は退散するのがベストだろう。そう思ったのだが、この女は奏の言葉に少し安心したのか、息を整えて話を始めた。



 「わ、私はですね、東条さんと同じクラスで、クラス委員長をやってる市島雅いちしまみやびと言います。よ、よろしくお願いします!」



 「あぁ、よろしく。俺は黒木……」



 「歳は15歳で東条さんよりも年下なんですけど、中学の頃同じ吹奏楽部に入部していて。凄く憧れていた先輩だったので東条さんを見た時はすごくびっくりしてしまいまして。それでですね、趣味は読書とか色々あってですね。あ、吹奏楽部に今も入ってるんですけどパートはクラリネットでして……」



 全然落ち着いていなかった。怪しいのは確実に俺の方なのに、まるで殺人現場に居合わせて警察に疑われている一般市民のように自分の事を紹介し始めてしまった。この子、隼人に会ったら尻の毛一本も残らずむしり取られそうだな。だが、それよりも俺の興味を惹く言葉が雅の口から出ていなかったか?



 「待て待て。奏が憧れって、それどういう事だ?」



 「知らないんですか!?東条さんは中学生の頃、演奏もさることながらスポーツも……」



 「市島さん、それ以上は止めてください」



 そう口にした奏の口調は、俺と初めて出会った時の様に冷酷だった。しかし、自分の態度を顧みたのか、取り繕う様に咳ばらいをしてこう言った。



 「思い出しても仕方のない事ですから。これからは同じクラスメイトとして接してくれますか?」



 「は、はい!もちろんです!」



 雅は一瞬たじろいでしまった物の、若々しい笑顔で答える。それに頷くと、奏は自分で車椅子を操作して保健室の外へと出て行ってしまった。俺はと言うと、雅に軽く挨拶をしてから奏を追い、昇降口で靴を履かせた後に運転を切り替えて車椅子を押したのだった。



 「……悪かったな」



 「いきなり気持ち悪いですね。なんの話ですか?」



 「お前と初めて出会った時、変わったのはお前だって言っただろ。あれだけ慕われてたなら、相当惨めな気になったんじゃねえかと思ってよ」



 考えてみれば、俺は事故にあう前の奏の事を何も知らない。一体どんな奴だったのだろう。



 「私が不幸だと思い込んでいたのは事実です。それに、あなたに謝られると気味が悪くて仕方ないので止めて下さい」



 言われて、俺は今の発言を後悔した。そうだ、こいつは特別扱いされるのが嫌なんだ。きっと、それは今も昔も変わっていなくて、そもそもあぁして羨望の眼差しを向けられる事も良く思っていないんだ。だから、俺は心の中だけでもう一度謝ると、何も考えずに頭に浮かんだ疑問を投げつけた。



 「そうだな。ところでよ、昔何やってたんだ?」



 「吹奏楽と陸上です。実をいうと、この学校へ入ったのも陸上部のコーチに短距離走の元プロ選手が採用されていたからです。高校では、そっちの道に進むつもりでした」



 「へえ、お前足速かったんだな」



 「……もう思い出したくないので、シューズやトロフィーは全て捨てましたけどね」



 これで合点が行った。奏がスピード狂なのはこういう事だったのか。訊けば、中学一年で天才的なデビューを果たし、引退するまでに出場した大会を総ナメにする程の実力だったようだ。



 「本当は、学校に行ってトラックを見るのが一番嫌だったんです。でも、行ってみたら案外大丈夫でした。もう、全然気になんてなりません」



 嘘だ。奏は本心を語る時に必ず遠まわしな言い方をする。



 「そうか。……それはそうと、久しぶりに学校に来て疲れただろ?甘いもんでも食いに行こうぜ」



 「……別に私は欲しくないです。あなた、そんな図体して甘い食べ物が好きなんですか?」



 ほら、これが奏だよ。欲しい時は絶対に俺のせいにしたがるんだ。



 「バカ野郎。新日の真壁だってスイーツ大好きなんだぞ。体鍛えたって味覚は変わんねえよ」



 「……まあ、そう言うなら付き合ってあげてもいいです」



 何とか了承を得た所で、俺は車に奏を乗せようと車椅子から持ち上げる。しかし、シートに乗せても奏は手を放す事をせず、ため息を吐いて更にその手に力を込めたのだった。

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