第13話 心からの言葉

 ……。



 三日後、待ちに待った給料日がやって来た。



 「嘘だろ!?」



 残高を見て、俺は思わずコンビニのATMの前で腰を抜かしてしまった。どう考えても貰い過ぎだ。しかし、これは爺さんの気持ちだと思って受け取っておこう。あの人にとっては、鼻紙に等しい金額なんだろうしな。明細を見るに、どうやら俺は爺さんの経営する会社の正社員と言う形で雇用されているようで、保険やら年金やらの面倒な事は全て会計士が行ってくれているようだ。何から何まで本当にありがたい。



 纏まった金が入ったという事で、俺は早速免許の一発試験受けた。すると、これがあっさりと合格してしまった。二日程勉強をしただけで受かったので、とてもラッキーだ。美智子さんの教え方が上手かったのが良かったのだろう。感謝感謝。



 東条家に戻ってきたのは午後の四時。家に入ると美智子さんが出迎えてくれた。結果を心待ちにしていたようで、合格を伝えるとまるで自分の事の様に喜んでいた。その話をコックの北方にもしたのか、夕飯は俺の好物である大衆中華のコース。麻婆豆腐やエビチリ等の様々な点心から、チャーハンにラーメンまで。デザートには杏仁豆腐とゴマ団子を用意してくれたのが、心の底から嬉しかった(味を語ると五ページくらい使ってしまいそうなので申し訳ないが割愛だ)。



 せめてもの感謝に洗い物を手伝ってから二階へ。奏が風呂に入っている間にベッドや服を綺麗にしていると、いつもより少し早いタイミングで彼女が部屋に戻って来た。服装はお気に入りのグレーのパジャマだ。



 「悪いな。下で洗い物手伝ってたら、こんな時間になっちまった」



 言いながらシーツを直し、洗濯物をクローゼットへ仕舞う。フローリングを磨いてカーテンを伸ばして、最後にドレッサーの上を整えた。仕事を終わらせてから奏の方を見ると、何故か口を尖らせている。特に不手際はなかったのだと思うが。



 「どうだ?俺も段々、仕事が上手くなってきただろ?」



 「全然まだです。秋津ならもっとキビキビやります」



 そう言う事らしい。悪態も聞けたところで、俺はとっとと部屋から退散しよう。そう思っていたのだが、奏の前を通りかかったときに、不意にシャツの裾を掴まれてしまった。



 「どうしたよ。子守歌でも歌って欲しいのか?」



 しかし、奏は首を横に振るだけで口を開かない。だから、目の前に椅子を引いて座ると、じっと顔を見て何を考えているのかを考えた。



 「俺の髪型か?段々伸びてきて、いい感じになったろ?」



 違う。



 「ちょっと太ったからか?ひょっとして汗臭いか?」



 これも違う。



 「……あぁ、ドライブか」



 頷きはしないが、否定もしない。どうやら正解のようだ。免許を取ったのを知って、車に乗りたかったのだろう。そうと分かれば早速行動。ガレージへ向かうと、今日は数ある車の中からこの前とは違うトヨタの黒いランドクルーザーを選んだ。実はこの車にはちょっとした思い出があるのだが、その事は奏には黙っておこう。



 「デカイ車はいいよな、俺も将来はこういうのが欲しいぜ」



 車高のせいで奏を乗せるのに少し手間取ったが、なんとか用意を済ませて外へ。コックに連絡をすると、また何も言わずに門を開けてくれた。



 「普通、免許取った初日にランクルなんてあり得ねえよな」



 爺さんは自分で運転する事はないから傷付けても気にしないとは言っていたが、運転する俺からすればそうも行かない。そのうち、自分用の軽自動車を買わなきゃな。貰った金はなるべく貯めとこう。



 「無免許でベンツの方がもっとあり得ないです」



 「それは言えてるな」



 街へ出る。夜の光が通り過ぎていく景色は、やはりいつ見てもいい物だ。尾崎も言っていたが、こうして夜を走るだけで自由になれた気がする。



 「復学願、受理されました。来週の月曜日から学校に通います」



 こいつは自分から喋る時、本当に突然だな。いきなり確信に切り込むやり方は嫌いじゃないが、きっと苦労する事になるぞ。



 「そうかい。じゃあ気合入れていかねえとな」



 赤信号で車が止まる。ウーハーもないのに、エンジンの重低音でシートが小さく揺れるのを感じる。



 「……あなたは、恐いと思った事はありますか?」



 「あるよ。いつもビビってる」



 そう答えたのが意外だったのか、奏は俺の方を向いた。しかし、すぐに俯いてシートベルトを掴んだ。



 「嘘です。だって、そんな素振り一度だって見せた事ないじゃないですか」



 「顔に出す前に行動してっからな。ウダウダ言ってもどうせやるんだ。だったら文句垂れてる時間がもったいねえよ」



 すると、奏は唇を噛みしめてこう言った。



 「……私は、崖っぷちに立ってもやっぱり躊躇します。後ろから火が迫って来て、海に飛び込まなきゃいけなくなったとしても、きっと私は焼けて苦しみながら死ぬんだと思います。やらなきゃいけなくても、どうしてもその一歩が踏み出せないんです」



 初めて、こいつの胸中を覗いた気がする。怯えていて、悲しいほどに弱い言葉だった。



 「そんな事ねえよ。この一ヶ月で色々やって来たじゃねえか」



 「でも、学校にはあなたが居ません。それが、どうしようもなく恐いんです」



 その言葉は、俺の心に重くのしかかった。甘ったれだと笑う気など起こらず、ましてや否定するだなんて考えも出来ない。何故なら、奏の姿が再び昔の俺と重なって見えたからだ。



 「……だったら、止めてもいいんだぞ」



 「……えっ?」



 「確かに、学校にはたくさんの出会いやチャンスが待ってるだろう。俺やお前が考えもしない幸せなイベントが、毎日の様に起こるかもしれない。でも、嫌々行ったって、それに気づけるわけがない。閉じこもってる方が幸せだと思うなら、俺はそっちを応援するよ」



 沈黙。しかし、それはすぐに破られた。嗚咽が漏れ出し、感情が溢れたかと思うと奏はそれを拭いながら口を開いたからだ。



 「……どうして」



 その声は、消えてしまいそうな程に静かだ。



 「どうしてそんなに優しくするんですか?あなたは今日までずっと、私が学校に行けるように頑張ってたんじゃないんですか?なのにどうして、そんな優しく……」



 それを聞いて、俺は静かな通りの路肩に車を停めた。



 「初めてだから」



 奏を見る。頭を撫で、涙を指で拭った。



 「俺が初めて、幸せにしてやりてえって思った女だから」



 安心させたくて、だから笑ってみせた。仕事でもなく、恋愛でもなく、ただ純粋に。俺は、この捻じ曲がった毒舌なお嬢様を幸せにしてやりたいって、そう思ってる。不器用なりに前に進む姿を、最後まで見届けてやりてえって、そう願ってる。



 黙っていたのは、恐らく一分程度。鼻をすすってパジャマの裾で顔を拭うと、奏は少しだけ微笑みながら口を開く。



 「……胸が、張り裂けそうです」



 「だから無理すんなって。まぁ、俺も学校通ってねえけど今は幸せだしな」



 「そうじゃないです」



 なら、何のことだ?そう訊く前に、奏は深呼吸をしてからこう言った。



 「私、やっぱり学校に行きます。頑張りますから」



 「から、なんだ?」



 その先は、言葉にならなかったようだ。だが、決してそれを訊き返すような真似はしない。いずれ、奏の方から教えてくれるだろうからな。だったら、今は今を楽しむことにしよう。



 「それじゃあ、今日は最後の夜更かしだ。行きたいところ、どこでも連れてってやる」



 「それじゃあ、あなたの好きな曲をたくさん聞かせて下さい。そして、全て聞き終わるまで帰らないで下さい」



 「変な注文だな。まあいいか。それじゃあ、遠くまで行こうか!」



 CDをドライブに挿入し、再度ブレーキを踏む。シフトを動かしてアクセルを踏むと、俺たちはどこか遠い場所へと向かった。この先に、幸せがある事を願おう。

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