第28話 思い出の一端

 「明日ですね。ボストンへ行くのは」



 「あぁ、寂しいか?」



 冗談めかして訊く。こうすれば、黙っている奏のSっ気に火がついてあれこれ難癖を付けてくれると思っていたからだ。



 いつの間にか、そうではなくなっていたとも知らずに。



 「……寂しいです」



 耳がイカれたんじゃないかと思った。視線は自然と奏に引き寄せられ、一瞬だけよそ見をしてしまった。アクセルから足を離すのを忘れて、車は加速度を上げていく。我に返った俺は前を向くと、もうすぐそこに信号を待つ車が止まっていた。



 「あぶねぇ!」



 急ブレーキをかけ、右手を助手席に伸ばして奏を支える。間一髪のところで停止すると、俺はシフトレバーをニュートラルに戻してサイドブレーキを踏んだ。



 「な、なにやってるんですか!ばかぁ!」



 ジェットコースターの安全バーの様に俺の腕を握りしめる奏。しかし、その力強さを気にしている余裕もなく、ハンドルから話した左手で顔を拭い呼吸を落ち着かせる。



 「……悪い。いや、マジに悪かった」



 心臓がドキドキと叫んで、思わず笑ってしまった。変な癖だが、本気でビビると俺の顔は引き攣ったような笑みを浮かべてしまう。隼人にブルースター・ビバップに誘われた時も、こんな顔をしたはずだ。



 信号が青になると、前との距離を充分に開けてからゆっくりと走り出す。助かった事を神に感謝しつつ、気持ちが落ち着くまでの間はずっと前を向いていた。そして、ようやく重たい空気を全て吐き出すと、奏が俺の手を握っている事に今更気が付いた。



 「まだ恐いか?」



 返事はないが、顎を引いて俺を見る。それをしたと言う事は、今のセリフが癇に障ったと言う事だ。だから、俺は右手に少しだけ力を込めて、再び前を向いた。



 「……このまま捕まえておけば、あなたは明日ボストンに行けませんね」



 なんて子供じみた言葉。しかし、奏がまだ子供である事を思い出すと、こんなわがままも年相応でいいんじゃないかと思った。命令は多かったけど、大概察するように仕向けられて、困らせるようなわがままを口にする事は少なかったからな。



 一時間程走って、気が付けば見慣れた場所に来ていた。既に寝静まっているこの灰色の建物は、俺が青春を捧げた帯大少年刑務所。今の奏と同じ、16歳から居続けた忘れることの出来ない場所だ。



 車を停め、金網の向こうにある牢獄を見る。時折チラつく小さな光は、看守が持つ懐中電灯の灯りだ。それが往ったり来たりを繰り返すだけで、どうにも懐かしい気持ちになってしまう。



 「ここで、どんな生活をしていたんですか?」



 「朝起きて、飯を食って、家具を作って、本を読んで、筋トレをしてた」



 だが、それがつまらなかったとは思わなかった。むしろ充実していたとさえ思う。奪う以外の生き方を知ったのも、あぁして刑務作業に従事していたからだしな。



 「どうして、ここに来たんですか?」



 「もう、見る事もないだろうから」



 言うと、奏は俺の手を更に強く握った。別に今のはいいだろうに。



 「いつも、何を考えていたんですか?」



 「親友が出来てな。そいつを見て、どうすれば俺は変われるかを考えてたよ」



 そう答えた所で、俺は再び驚いてしまった。何気なく答えていたが、こいつが話をする以外で話題を振ってくるだなんて初めての事なんじゃないだろうか。慣れていないからか、回答からは広げず質問攻めになってしまうところがどこか愛おしく感じる。



 やがて奏は手を離した。それが合図だと分かって、俺は車を走らせる。少しだけ窓を開けると、生暖かい風が頬を撫でた。



 「私、あなたの曲を聞いてみたいです」



 なら、練習中にでも部屋に来ればよかったのに。そんな事を一瞬でも考えた自分が恥ずかしい。しかし、口に出してしまわなかった事を思えば、おつりがくるくらいに上出来の筈だ。



 「来週の水曜日の夜だ。場所は、爺さんに訊くんだな」



 隼人からのメールには、とりあえず出演が決まった事だけが記されていた。向こうの空港で合流して、当日まであいつのアジトで寝泊まりする事になっている。



 「分かりました。楽しみにしていますね」



 返事をして、それからは何も喋らない。しかし、しばらくは聞いていなかった音楽を奏が流した時、彼女はようやく言いたかったことを言えたのだと思った。



 ……。



 翌日、俺は久しぶりにベッドの上で朝を迎えた。窓の外を見ると、随分とスリムになった大学生が、ペースを落とさずに下の道を走り抜けていく。その背中を見送ってから、身支度を済ませて玄関へ向かった。



 「おはよう。よく眠れたかな?」



 「はい。とても」



 下には、爺さんと美智子さん、そしてまだパジャマ姿の湊が待っていた。どうやら、爺さんが空港まで送って行ってくれるようで、こんな朝早くに集まってくれたという訳だな。人の運転する車に乗るのは相当久しぶりだ。



 「お兄ちゃん、行ってらっしゃい」



 夢現ゆめうつつのままに、湊は俺の脚に抱き着く。頭を撫でて「行ってくる」と伝えると、額をグリグリと押し付けて小さく返事をした。



 「頑張ってね。きっとうまくいくよ」



 そう言う美智子さんの表情は、やはり優しい。この笑顔で見送ってくれるだけで、不思議と勇気が湧いてくる。



 「じゃあ、もし上手く行ったらデートして下さいよ」



 最後の誘いだ。これで断られてしまえば、そのチャンスは永遠に来ないだろうな。



 「……分かった、いいよ」



 「マジすか?やった!」



 思わず右手でガッツポーズをすると、こんな大勝負の前にもかかわらず変わらない俺の態度に飽きれたのか、腰に手を当てて眉を八の字にした。ちょっとしたジョークじゃないすか。



 「それじゃあ、行ってきます。爺さん、よろしく頼む」



 鞄をトランクに置いて助手席に乗る。シートベルトを締めて発進を待つと、爺さんがいきなりアクセルを吹かした。



 「おいおい、大丈夫か?」



 「大丈夫、任せ……」



 ドカン!まだ開いていないシャッターに正面から突っ込むと、頑丈なベンツのバンパーが砕けて飛んで行ってしまった。首を抑えながら爺さんの方を向くと、彼は瞬きを三回。音に気が付いて駆けつけて来た美智子さんを見て、「怒られるかな」と言った。



 「俺、命の恩人が三回りも下の女に叱られてるの見たくねえよ」



 この人が自分で運転しないと言っていたのはこういう事だったのか。てっきり、金持ちだから美智子さんに任せてるんだと思ってた。



 「と言うか、これで俺を空港まで送っていくつもりだったのか?」



 「二人で話したかったのさ。すまんね」



 「……仕方ねえ。帰りは運転代行でも呼べよ」



 外に出て、美智子さんに色々と言い訳をしてみる。すると、実は彼女も外の門を出る前にこうなる事は予測していたようで、むしろ片付けが楽でいいとまで言っていた。何かが間違って公道に出てたらどうするつもりだったんだよ。



 「絶対にありえないから大丈夫。それじゃ、今度こそ行ってらっしゃい」



 車をランクルに乗り換え、今度は俺が運転席へ。爺さんは優雅に座ると、窓を開けてタバコを吹かした。俺も俺で昨日の事があるから、なるべく慎重に行こう。



 門を出る前、一度止まって家の二階を見ると奏がいた。窓を開けて手を振ると、小さくだが確かに返してくれた。演奏、楽しみにしててくれよな。



 話したいと言ったが、爺さんは口を開かなかった。だから、暇つぶしに奏には話さなかったこの車にまつわるエピソードを話す事にした。



 「強盗たたきの日、俺はこの車で質屋に突っ込んだんだよ。まあ、かなりデカい店のフランチャイズだったからさ。警備も頑丈で、こんなデカい車じゃねえと突破できなくてよ」



 「知ってるよ。大福屋、伊勢崎町店の強盗事件。当時の新聞にもデカデカと載っていた」



 店にバックで突っ込み、リアドアから俺を含めた五人で突入。まずは金やプラチナの保管されたどデカい金庫を床ごと取り外してランクルへ。一人はそのまま車で立ち去り、残った俺たちでショーウィンドの宝石とブランド物の財布と鞄を根こそぎ奪い取った。その後は、近くに止めていたバイクで逃げて警察を振り切ったのだ。包囲が薄かったのは、ギャング同士の抗争をけしかけて、そっちに注意を逸らしていたからって訳。



 「映画、『ヒート』を思わせる素晴らしい手口だ」



 「俺もそう思ってたよ。でも、最後はフィクションみたいに上手くいかねえモンよ」



 結局、しょうもない綻びから捕まってしまったしな。その後、捕まったメンバーは別々の刑務所に幽閉され、今では疎遠になってしまっている。他の奴も、最後に聞いた噂では薬に手を出してくたばったり、路上で殺し合いをしてくたばったりしているらしい。あいつらの名前を覚えていれば、黙とうの一つも捧げてやれたんだが。



 「ところで、その時に手に入れた金はどこへ?金庫の中身は、未だに一部が見つかっていないみたいじゃないか」



 「さあな。俺の分は全部黒木寮に置いてきちまったし、おもちゃにでも変わってるんじゃねえの?」



  捕まる前に金にした分は、全てあそこに置いてきた。移ってすぐに寄り付かなくなった場所だから、足は付いていない筈だ。



 「……はっはっは!全く、楓らしい」



 空港に着くころには日は昇っていて、カンカンに俺たちを照らしつけた。飛行機の時間まで、二人で空港内の喫茶店でコーヒーを飲んでいたが、そろそろ旅立つ時になってようやく爺さんが口を開いた。

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