城の咆哮は響かず


「ごめんラートリー! 私が弱いせいでぇぇ――……あれ?」


 完全に日が沈み、戦火と建物から漏れる照明が辺り一帯をうすく鈍く照らす。

 操縦席で号泣しながらもがいていたオハナは、自らを襲うはずの致命的な落下の衝撃がいつまで経っても訪れないことに気づく。

 泣きはらして真っ赤になった瞳を凝らして周囲を見回せば、傷ついたオハナの愛竜ラートリーが灰褐色の竜に支えられ、ゆっくりと支城の城壁の上へと下ろされたところだった。


「な、なんだと!? 君は、私を助けてくれたのか――じゃない! 貴様! 情けをかけるつもりか!?」

「大丈夫ですか? 怪我とかあります?」

「怪我だと!? ……むぅ、ラートリーはともかく、私は特にない……」

「良かった! 竜の方も酷い怪我はさせてないと思います。しばらく休めばまた飛べるようになるってラティが言ってました」


 灰褐色の竜からオハナを心配する声が上がる。オハナは状況の把握が追いつかず、混乱した頭で目の前の竜とその乗り手に声を荒げた。


「……まさか、さっきまでの戦いは手加減していたというのか!?」

「はい。泣いていたみたいだったので、心配で……」


 オハナの問いに、申し訳なさそうな声で頷くリクト。


「わ、私は断じて泣いてなどいないっ! 屈辱だ! 殺せ! 私に生き恥を晒させるつもりか!(ああああ言っちゃった! 本当に殺されたらどうするの!?)」


 手加減されていたと知って激昂したオハナのその言葉に、ラティ内部のリクトは呆れたように一度大きなため息をつく。


「それ……本気で言ってます?」

「びえっ……(殺られる! やっぱり言うんじゃなかった!)」


 瞬間、リクトから放たれる強烈な怒気と威圧感。その圧にオハナは小さく悲鳴を上げて座席にしがみつくしかなかった。


「……俺は人殺しとかとかそういうのはしません。後味悪いので」


 張り詰めた空気が消える。ラティは傷ついたラートリーに背を向けると、そのやせこけた翼を広げて飛翔体勢に入る。


「ここがそういう価値観の場所じゃないってのは知ってますけど、俺は俺です! 本気で死にたいなら、誰か他の人に頼んでください!」


 リクトはラティを上昇させながら叫ぶと、残されたラートリーを一瞥して加速。そのまま残る帝国騎兵の群れへと飛び込んでいった。


「……た、助かった、のか……? 一体、なんなんだあいつは……うぐ……ぐすっ」


 夕闇の中、岩壁に残された山吹色の竜。


 強烈な安堵と緊迫を同時に与えられたようなリクトとの会話に、オハナはただ泣きながら見送ることしかできなかった。



 ●   ●   ●



 未だ戦い続く支城上空。戦闘の終わりは唐突に訪れた。


 ソラス軍が掌握作業を行っていた司令塔から高々と閃光弾が上空へと打ち上げられ、それと同時に支城が今までとは進行方向を変え、残る二つの帝国の城が迫る北方へと転進。徐々にその速度を上げていく。


 ついにソラス軍が支城の中枢部を支配下に置き、作戦の第二段階へと移行したのだ。


「敵支城、転進確認!」

「撤収急いで! 巨神砲の準備は!?」

「早く発射させてくだせぇ姫様ぁ! もう我慢できねぇ!」

「駄目よアルコスタ! もう少しだけ我慢して!」


 グランソラス指揮室。

 帝国の支城から上がった閃光弾を見て沸き立つソラスの兵員たち。作戦の成功を確認したエルがリーンに目配せすると、リーンは玉座から立ち上がり、号令を発する。


「巨神砲、用意! 標的は掌握した敵支城!」

「巨神砲、照準合わせ! 目標までの距離1320! 仰角23度!」

「騎士団の撤収、完了した模様!」


 城塞都市グランソラスを構成するいくつかの長大な尖塔のうち、東に位置する重厚な塔がその半ばでゆっくりと折れ曲がり、頂点部分が展開。

 地上部分との接続が維持されている石組みの土台が、まるで生物のように次々とその構造を組み替えていく。ついには完全にその様相を巨大な大砲へと変じた尖塔が標的めがけ旋回、赤熱する粒子が砲塔周辺に現れては消滅する。


「巨神砲! 発射!」

「ヒャア! 巨神砲発射ぁっ!」


 まるで世界そのものを照らすような閃光。


 リーンの号令を受けて放たれたその粒子の奔流は、光り輝く巨大な滝のようにも、夜空に架かる長大な虹のようでもあった。

 大きく天上に弧を描いて放出された光の渦は、それがなんらかの射撃兵器であるとは思えないほどのゆったりとした、重々しい速度で標的へと迫る。


 主の手を離れ、今やソラスを守る盾となった帝国の支城は、丁度帝国の城とグランソラスの中間にあたる場所で光の奔流に飲み込まれ、大地を大きく抉り取るほどの衝撃と共に大爆発を起こした。


 既に間近まで迫っていた帝国の城は、全てを焼き尽くす炎と穿たれた大地に足を取られて減速を余儀なくされる。

 既に城から飛び立っていた帝国の竜たちもまた、突如として巻き起こった豪熱の上昇気流と火柱に巻かれて体勢を崩し、大きく後退せざるを得ない状況となっていた。

 ついに、ソラス王国の全てを賭けた作戦はその完遂を間近にたぐり寄せたのである。

 

 指揮室まで届く紅蓮の閃光が、リーンの美しい相貌を照らし出す。


 数日前、偉大なる父王が崩御してから今このときまで、帝国の攻撃によって辛酸をなめ続けてきた新たなるソラスの女王が、ついにその時を告げる時が来た――!


「攻城戦開始! 巨神の加護と共に!」

「「「「 巨神の加護と共に! 」」」」


 リーンの発した号令に呼応して、グランソラス全域に勇壮な戦笛が鳴り響き、その音を聞いた戦えぬ町民たちは、避難場所となっているいくつもの石室で互いの肩を寄せ合い祈りを捧げた。


 宣言から僅かに後。数キロにも及ぶ広大な領域を誇る城塞都市グランソラスの外周が、地と天から発せられた規則性のある閃光に飲み込まれる。

 天地双方から放たれた光芒は無数の光の帯となり、天空に幾何学的な紋様を描き出すと、同時にグランソラスが重苦しい鳴動が始まる。


『各騎兵隊は領空警戒! コアが出るぞ!』


 帝国の支城から次々とグランソラスに舞い戻ってきたソラスの竜騎兵たちが、眼前に現れた光の渦の間を縫うように飛翔する。

 そしてそれら騎兵たちの援護を上空に受け、グランソラスの都市中央にある高層部に位置した宮殿が左右に大きく解放されると、紫色に光り輝く全長数十メートルの立方体――グランソラスのコアが出現する。


 現れたコアはそのまま宮殿直上にゆっくりと浮遊すると、ある一定の高さで強烈な力場を発生させ、グランソラス全域に更なる形状の変化を促していく。


 民家が解体され、長大な尖塔が折れ、または伸張し、多くの人々が行き交う大通りは二つに割れて巨大な断層を形成する。その様はまさに一個の生き物であり、見るもの全てに畏怖の心を抱かせるに十分な光景であった。


「よし! あとはコアを守り切れば我々の勝ちだ!」

「帝国め! グランソラスの力を見せてやる!」

「やつらは支城の誘爆で足止めされているが、油断はするなよ!」


 大地を揺るがし、大気を震わせながら巨大な人型を成そうと鳴動するグランソラスに、その光景を空中から見下ろすソラスの騎士たちが歓声を上げた。


 ――彼らは決して油断していたわけではない。

 ただ、先ほどまで精神を極限まですり減らす戦いを繰り広げ、その結果として祖国が優勢となった現状に高揚してしまっていたのだ。


 膨大な力の放出と共に、コアを中心として無数の雷電が小刻みに天上を切り裂いた、その刹那――。


 辺りに響き渡る甲高い衝撃音。


 その音と同時、数体の竜が避ける間も無く外殻や翼を切り裂かれ、力なく落下する。

 それだけではない。たった今竜の命を次々と奪った凍てついた疾風は、その先にあるグランソラスのコアにまで痛烈な一撃を加えたのだ。


「……!? なぜ……貴様がここに!?」

「ほう……さすが大陸最強の城と呼ばれるだけのことはある。一撃では砕けぬか」


 コアが発する強烈だが安定していた力場が大きく乱れ、弱まる。


 並の竜であれば一撃で戦闘不能に陥るほどの衝撃によって城の変形は一旦止まりかけるが、僅かな停滞の後、再びその勢いを取り戻していく。


「貴様らが南へと向ったこと以外は想定通りだったのでな。小数の手練れと共に我が城から離れ、大きく迂回してきたまでだ」

「支城の誘爆を足止めに使うことを、見抜いていたのか……!」


 その言葉に、周囲を囲むソラスの騎士が絞り出すように言葉を発する。


 彼らの眼前に立つ竜は、大鷲に似た頭部と六条の巨大な羽を背負った紺碧の竜。

 そしてその竜を駆る帝国騎士の名は、カリヴァン・レヴ――。


 強大な力を持つ竜に乗った帝国の将軍が、グランソラスの剥き出しのコアを前に周囲の騎士を睥睨する。

 そしてそれを合図にしたかのように、グランソラスの遙か上空から次々と帝国の竜騎兵が舞い降りてきた。


「ここがソラス王国最期の地となる。せいぜい抗って見せるがいい」


 紫色の雷光を背に淡く輝くランスを構え、六条の羽を大きく展開する紺碧の竜。


 ソラスに残された全ての軍勢を前にしても決して揺らがぬその姿は、まさに王国に絶望と恐怖をもたらす死神であった――。



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