光と闇
地平線の彼方が緩やかな弧を描き、その輪郭が蒼く輝く。
限界まで加速し、その緋色の刃で生身のアムレータを切り上げた白き竜は、ついには成層圏の高さまで上昇を続けると、突如として出現した漆黒の閃光に弾かれ、その光翼を乱しながら後方へと滑るように飛翔する。
「――やっぱり来てくれたんだね。君はいつも僕がひとりぼっちでいるとやってきて、僕と遊んでくれる。あのとき僕とした約束を、ずっと、ずっと守ってくれてるんだ! なんて美しいんだろう! なんて素敵なんだろう! 僕はこの世界で、君よりも尊いものを知らないんだ! もっと、もっと僕に君を見せてくれ――リクト!」
生身では耐えられるはずもない極限の空間でありながら、アムレータは歓喜に震え、その瞳にはうっすらと涙すら滲ませて再会の喜びを露わにする。
「アムレータ……」
白き竜――ラティに乗るリクトが呟く。その小さな呟きからは、今のリクトの感情を読み取ることは難しい。
「あれ……? どうしたの? 前みたいに大きな声で叫びながら僕と遊んでくれないの? 息をつく暇も無いほどの攻撃や、この世界全部がひっくりかえるような鬼ごっこでいっぱい遊んだじゃないか」
あまりにも静かなリクトの気配に、アムレータが拍子抜けしたように尋ねる。リクトはその問いに僅かな間を置いた後、答えた。
「――そうだよ、アムレータ。俺は君が遊びたいならいつだって遊ぶ。いつだって一緒にいる。一緒に何かを食べたり、面白いことをしたり、そんなこと、いくらだってするよ。そうしたいって、あのときだって、俺はそう思ってた」
「アハッ! それなら――!」
「だから――」
リクトの返答に喜びの表情を見せるアムレータ。その言葉をリクトは遮る。
「だから――もう他の人たちを殺したりするのは止めて欲しい」
リクトの言葉に、アムレータの動きが止まる。
「俺は今でも君を許せない。俺の家族を、友達を、大勢の人を殺した。世界をめちゃくちゃにした。今だって帝国の人たちに酷いことをしているよね? 正直、これから先何年経っても、結局俺は君を許せないかもしれない。もう友達になんてなれないかもしれない。でも――」
アムレータは動かない。ただ静かにその言葉に耳を傾けている。
「それでも――! それでも今すぐこんなことを止めて、もうみんなに酷いことをしないって約束してくれるのならっ! 俺はまたアムレータと友達になろうって努力する! アムレータを許せるように頑張るよ! だから、お願いだからもうこんなことは――!」
「――駄目だッ!」
決死の懇願。今にも泣きそうな顔でアムレータへと呼びかけるリクト。だが、その言葉はアムレータの叫びによって遮られた。
「ダメなんだ……リクト……。ダメなんだよ……! リクトのお願い、僕だって本当はかなえてあげたい。世界で一番大切な人のお願いだから、僕も君の言うとおりにしてあげたい――」
「だったら――!」
「でも、駄目だッ!」
アムレータはその蒼い虚無を湛えた瞳に深い悲しみの色を浮かべ、とめどなく流れる涙をぬぐいもせずに叫ぶ。
「そのお願いはきけない。無理なんだ……僕の中にこびりついてる黒い汚れが、拭いても拭いても落ちないんだ。どんなに綺麗にしようとしても、全然綺麗にならないんだ! 綺麗にしたいのに、何度も拭いてるのに、何をしても綺麗にならない! ずっと汚れたままなんだ! 君と一緒にいたいのに、こんなに汚い僕じゃ、君まで汚れてしまう!」
「俺は……そんなこと!」
泣き叫ぶアムレータの周囲に、黒い粒子が収束し、プラズマの閃光と円形の力場を発生させながら巨大な人型を成していく。
「許さない……! 許せないんだ……僕をこんなに汚した人間が……この世界が……! せっかく、せっかく大好きな人が出来たのに……せっかく傍にいたいって思える人ができたのに……! 僕をこんな汚れで塗りつぶしたやつらがッ! 僕は許せないッ!」
漆黒の闇はいつしかアムレータを飲み込むと、硬質化した極黒の外殻と、鮮血のような緋色のラインを描き出す。
「早く……っ! 早く奴らを皆殺しにしないと、リクトまで汚れちゃう! こんなに大好きなリクトが、僕と同じになってしまう! そんなの、絶対に駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ――ッ!」
「アム……レータ……」
アムレータが発する嘆きの叫び。その叫びに呼応したかのように、漆黒の宇宙空間と蒼い大気を背景に、絶望の竜がその姿を露わにする。
その竜はラティとほぼ同型の姿でありながら、アムレータの狂気に影響されたかのように細部が鋭角化し、背面の翼はまるで死神が羽織る黒衣にも似た様相へと変貌している。
漆黒の竜は眼前のラティを見留めると、二度、三度と眼孔を紅に明滅させ、喜びの色が浮かぶうなり声を上げた。そして眼前の空間に漆黒の粒子を凝縮させ、そこから自らと同様の色を持つ漆黒の長剣を掴みだした。
「ごめんね、リクト――。君のお願いを聞いてあげられなくて――でもね――」
漆黒の竜の翼から暗黒の粒子が迸り、禍々しい影翼を形成する。
それを見たラティもまた自らの光翼を展開すると、長剣を構えて眼前に迫る闇と対峙した。
「――君は! 君だけはッ! 僕が絶対に守ってあげる! 助けてあげる! 救ってあげるから! だからまた始めよう! 僕と君で、また世界が滅びるまで! ずっと二人で最後まで遊ぼう! それだけが――それだけが僕の意味なんだ! さあ、行くよミーティア!」
「――ラティ!」
溢れ出る暗黒。迸る闇の光芒。
もはや人間の反応速度を遙かに超えた領域の加速で純白の竜へと襲いかかる漆黒の竜。
ラティはすでにその本領を取り戻し始めた反応速度でリクトへ危機を伝えると、漆黒の竜――ミーティアに対して突撃した。
どこまでも広がる蒼と黒の世界。もはや邪魔する者は誰も居ない。
光と闇。二つの光芒が広大な空間の中心で激突し、凄まじい衝撃波と共に弾け飛ぶ。
「アハハハハ! そうだよ! これだ、これなんだ! 僕が目覚めたのは、また君とこうやって遊ぶためなんだ! 楽しい! なんて楽しいんだ! この瞬間があれば、僕はもう何もいらない!」
「アムレータ……俺は……俺はこんなこと! ちっとも……楽しくないんだよっ!」
一度離れた二つの光は再び交わるように接近するが、その閃光は決して交わることはない。近づいては離れ、空間そのものを激しく震わせる激突と共に反発し、再び接近しては衝突を繰り返すその様は、まるでリクトとアムレータ、二人の紡いできた関係性そのもののようにすら見えた――。
――そして、その遙か直下の地上では――
『プリオングロードより起動震確認! 繰り返します! プリオングロードより起動震確認! 巨神が来ます!』
「――っ! あと少しなのに!」
半壊した戦闘指揮室の応急処置が終わり、再び前進を開始したグランソラスとアーハレヴに、絶望を告げる報告が上がった。
霊峰プリオングロード。全長一千メートルを超えるグランソラスからですら見上げる高さのその巨大な威容が、唸るような地鳴りと共にその巨躯を僅かずつ持ち上げていく。
それは、巨神という巨大構造物の壮大な変形や移動を見慣れている者たちですら、言葉を失う絶望的な光景。
『き、起動震測定不能! とんでもないでかさです!』
「見ればわかる! みんな落ち着いて!」
苔むし、堆積した無数の土砂や岩塊を振り落としながらそのあまりにも巨大な神がついに目覚める。
かつてその拳一つ、両の足一つで世界を更地へと変え、決して癒えることのない傷跡を大地へと刻み込んだ破滅の魔神――。
その全長は三千メートルを超え、比べればグランソラスやアーハレヴはまるで大人と子供。その踏み出された足に掠っただけでも大きな損害を被ることは間違いない。それほどの圧倒的質量差。
そしてその背後には、未だ膝をつき、微動だにしないもう一体の神が――。
「距離測定急いで! あいつが自由に動き始めたら終わりよ!」
「巨神まで距離1200! あと5歩で到達予定! 到達予測時間、残り180!」
その報告に、リーンの顔が青ざめる。
リーンが持つ巨神の動作予測の才覚が、彼女の脳裏にまるで道ばたの雑草のように潰され大破するグランソラスを描き出したのだ。
「だめよ! 最短距離は避けて! 進路を東北東に! 到達予定を5から7に変更! アルコスタ、アーハレヴに信号弾! 二手に分かれて、どちらか一方でもプリオングロードに到達できるようにって伝えて!」
「あ、アイアイ姫様ぁ! こいつはヤバくなってきたぜ!」
即座に指示を出すリーン。だが最善を尽くす彼らの前に更なる絶望が襲いかかる。
『りゅ、竜です! 起動した巨神の周囲に、無数の竜が出現しています!』
「竜まで!? そんなのどこから出てるの!?」
『そ、それが、なにもない空間に、いきなりわらわらと!』
空を覆い尽くす無数の竜。さきほどソーンカハルが出撃させたような異形の竜ではない。リーンたちも初めて見る、強いて言うならば彼らがよく知る純白の竜――ラティと似た姿を持った硬質で洗練された竜の軍団が、グランソラスとアーハレヴの前に立ち塞がる。
「これが、あの巨神――あのシステムが持つ能力です――無からあらゆる有を生み出し、際限なく生み出すことの出来る力――」
「そ、そんなのってありなの!?」
動き出した破滅の巨神と、旧世紀の力を持つ無数の竜。
あまりにも深い絶望の闇が、ついにその全貌を現した――。
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