破滅の偶像
紫紺の空が巨大な闇に染まる。
動き出した絶望の巨神。そしてその巨神から放たれる無数の竜。
その二つが大地に描き出す影は、死と破滅をもたらす巨人が自らの翼を大きく開いたかのよう。
全長一千メートルを誇る巨神であるグランソラスやアーハレヴには、自身より上を見るという可動域は想定されていない。そのような巨大な相手はかつて存在しなかったからだ。
だが、今彼らの目の前に現れた巨人は、そんな巨神である二城がまるで父親の足に縋り付く幼子のよう見えるほどの巨大さを誇っていた。
二城の頭頂部に設けられた指揮室から見える視界は、その巨神の丁度大腿部までであり、そこに居座る人々にはその巨人の頭部はおろか、胴体すらその視界に収めることができない。
それは、彼らが今まで体験したことも、想像すらしたこともない程の圧倒的質量差であった――。
「――あれが、かつて世界を崩壊に導いた始まりの巨神の片割れ――デウスエスカです。今この世界に存在する数多の城や竜――それらは全て、デウスエスカと残るもう一体の巨神が自らの尖兵とするために生み出した、劣化コピーにすぎません。城はこの二体、そして、竜はリクトの乗るラティとアムレータの乗るミーティア、それぞれの――」
「あれが……私たちの城の……最初の一体……」
崩落し、壁面が大きく開いた上空を見上げてリーンが呟く。
今目の前に文字通り巨大な壁として立ち塞がったその巨神――デウスエスカの威容は、確かにリーンがよく知る城とは全く異なったものだった。
リーンには知る術もないが、その巨体は旧世紀に作られた巨大構造物が雑多に結合したものだ。天を貫く金属製のタワーや、幾重にも基部を重ねた超高層ビル。
かつて地上に存在していた人類の栄華。その結晶が一つに集まり、歪つに組み合わさって生まれた、超質量存在。それこそがデウスエスカの持つ姿だった。
『姫様! 超大型巨神から敵竜騎兵多数! 来ます!』
「っ! 防空戦用意! 絶対に近づけないで!」
『対空砲、一斉射開始! 騎兵隊はグランソラスとアーハレヴの防衛に全て回せ! ここで沈んではならん!』
『信号弾! 赤・赤・赤三連! 最終防衛線構築急げ!』
まるで屍肉に群がるハゲタカのように、遙か上空から大挙して降下する原初の竜。人も乗っておらず、竜としての意識があるのかすら定かではないが、それらは一様に統率の取れた機動で眼下の二城に襲いかかる。
それら竜の群れを迎え撃たんと、グランソラスとアーハレヴから一斉に数千を数える火砲が撃ち放たれる。
高空から雨のように降り注ぐ竜の群れに、無数の弾丸が突き刺さる。だが――。
『だ、駄目です! 対空砲効果無し! 繰り返します! 対空砲効果無し! 撃墜できません!』
「嘘でしょ!?」
弾丸の直撃を受けたラティに似た竜の群れは、その周囲を覆う薄い光の膜のような障壁で二城から放たれた弾丸を滑り逸らすと、まるで障害などなにもないかのように勢いを増して加速する。
だが、そこに未だ健在なソラスと帝国の騎士団が立ち塞がる。
「いいかお前ら! 命を賭けてとか相討ちだとか、そんな馬鹿なことは考えるんじゃねぇぞ! この戦いは時間を稼ぐための戦いだ! 今動ける竜が一騎でも減れば、それがそのまま俺たちの敗北に繋がる! 絶対に生き残れ! 生き残って泥臭くやつらの足を止めろ! 行くぞ!」
「今正に目の前で故郷を失い、その魂の拠り所を失った我が勇壮なる帝国の騎士たちよ! 貴公らの心に燃える怒りの炎を天まで届かせよ! その炎で群がる敵全てを討ち滅ぼし、我らが祖国への弔いとする! 黒き竜の咆哮を上げよ! 全軍、このカリヴァン・レヴとファラエルの槍に続け!」
デウスエスカから放たれた無数の竜。
その群れが二城へと殺到する寸前で間に合った騎士たちの隊列が、そのまま二城の周辺空域で壮大な剣戟と爆炎の火花を散らす。
対空砲の弾頭を撃破狙いから機動妨害へと切り替えた二城の火砲も再び斉射を始め、周辺の領域はもはや敵も味方も乱れ飛ぶ大乱戦へと突入した。
「だめ……これも、どんな軌道で入っても、どうすればいいの……!?」
グランソラス戦闘指揮室。周辺空域が大乱戦へともつれ込み、デウスエスカは今にも行動を開始しようとしている。
しかしリーンはその最後の一歩をグランソラスに踏み出させることが出来ない。
リーンはすでに数百を超える予測をその脳内でシミュレートしたが、それらの全ては悉くグランソラスの破滅をはじき出した。
時間はない。しかし踏み出せない。
躊躇い、動きが鈍るリーンと、その居城グランソラス。だが、そこに一つの報告が上がった。
『アーハレヴから通信弾! 「先行して巨神の注意を引く、その隙に霊峰へと到達されたし」 以上です!』
「アーハレヴが!? そんな……! 待って、そんなことしたら――!」
『アーハレヴ加速! 最短ルートでプリオングロードへ直進していきます!』
「だめ! だめよ! 行かせないで! 今動いたら――っ!」
「リーン! 行動予測を! 貴方は、貴方がやるべきことをしなさい!」
「――っ!」
その行動を制止しようとするリーンを更に止め、今自らが成すべき事を進言するエル。リーンはエルの言葉に下唇を血が滲むほど噛みしめると、再び正面を向いて号令を発する。
「到達まで残り歩数3を予測! 進路を東北東から東へ! 岩盤強度調査継続! それから――っ! 駄目……逃げて……お願いだから逃げて……っ!」
だが、その号令は発せられる最中で悲鳴へと変わる。リーンには既に見えていたのだ。自らを囮として先行させた、アーハレヴの末路が――。
グランソラスよりも一回り小さく、小回りの利くアーハレヴがデウスエスカの左腕の斜め下を大地を砕きながら進む。
だが、デウスエスカの直立によって既にその大地を支える岩盤は大きく破損し、アーハレヴの歩みを遅滞させていた。
巨大な影が、アーハレヴの巨体を覆い隠すように飲み込む。
それは、全長一千メートルにも達する自らすらすっぽりと包み込み、粉々に握り潰せるであろう、巨大な掌であった――。
ゆっくりと、本当にゆっくりと――。
しかし実際には音すら置き去りにする速度で迫り来る死。
デウスエスカにとって、それは特に意味も無い動作だったのかもしれない。それほどまでに無慈悲で、無味乾燥な、ゆっくりとした動作。
その全てを飲み込む巨大すぎる掌は、その軌道上にいた全長一千メートルのアーハレヴの半身を、僅かに掠めただけで粉々に粉砕する。
それだけではない。その掌はついでのようにアーハレヴ周辺で戦っていた竜たちまでをも散り散りに吹き飛ばしていた。
超質量物体の動作によって発生した乱気流と真空の渦に巻き込まれ、制御を失った竜たちは、まるで強風に煽られた羽虫のように、音も無く粉々に砕け散ったのだ。
ただ一度――。
ただ一度その掌がゆっくりと空間を通り過ぎただけで、一瞬にして無数の命の灯が消え去った。
『アーハレヴ轟沈! 帝国騎士団の残存数は不明! 繰り返します、アーハレヴ轟沈!』
「うっ! く……ぅ……うう……っ!」
その光景に体を震わせ、今にも漏れそうになる嗚咽を必死で堪えるリーン。彼女はしかし、その紫色の双眸に決意と悲しみを漲らせて即座に号令を発した。
「グランソラス、最大加速! このまま直進! 超大型巨神の横を抜ける!」
『は、はい! グランソラス最大加速! 目標到達予測! 3から2へ変更!』
アーハレヴの身を挺した行動は、彼女の脳裏に新たなる未来を予測させた。前を向き、次々と号令を発するリーン。
『こちら脚部! 岩盤強度確認! かなりやられてます! 踏み込み可能回数、残り1と予測!』
「構わないで! 左腕装填! 出力120%! 射角30! 180の後、自動射出開始!」
『こ、こちら左腕! ここから撃つんですか!? プリオングロードまでは、まだもう一歩踏み込まないと――!』
「大丈夫、私を信じて!」
『――わかりました! 左腕装填! 出力全開120% 射角30! 射出時間を180に設定! 自動射出設定完了』
かなり近づいたとは言え、左腕からの報告通り、未だプリオングロードには距離があるかのように見えた。
だがリーンは一切の迷いがない瞳で、眼前に眠る巨神へと視線を注ぐ。
「エル――ごめんね。せっかく私たちのために、ずっと守ってきてくれたのに――」
「ふふっ……そうね。でも、私が最初に思っていたよりも、この子は随分と長いこと頑張ってくれましたわ。この子を選んだ私とあの人の目に、狂いはなかった……」
リーンのその言葉に、エルは何かを懐かしむように笑みを浮かべる。
「……少しだけ待ってて。私たち、絶対に貴方を一人にしたりしないから……どんなことになっても、私たちの家はここだから――」
崩れ、半壊した玉座を慈しむように優しく包むリーン。そして彼女は再び正面を向いて玉座から立ち上がると、このグランソラスで行う最後の号令を発した。
「グランソラスに残る総員に告ぐ! 白兵戦闘を行える者は左腕へ集結! それ以外の者は全員離脱用の竜と籠に乗り、戦場から退去! グランソラスを放棄する――!」
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