その城は死なず
「――どう? リーンはここからの景色は初めてでしょう。お父様とお母様に危ないから登らないようにと、ずっと言われていましたものね」
「わぁー……すっごーい!」
そこは、グランソラスで最も高い場所だった。
中央にそびえ立つ尖塔の更に上。城塞都市グランソラスの全てを一望することが出来る、ソラス国内でも知るものの少ない小さな展望台――。
周囲は見渡す限りの地平線。眼下には大勢の人々が暮らす城塞都市が広がる。
丁度炊事の頃合いなのだろうか、沢山の炊煙が街のあちらこちらから立ち登っている。
大通りを行き交う大勢の人々。広場で遊ぶ子供たち。建物の窓から覗く幸せそうな家族の団らん風景――。
その場所からはグランソラスの、ソラス王国の全てが見渡せた。
「――ここが貴方が生まれ、ずっと暮らしていくことになる貴方の国――ソラス。貴方のお父様やお母様も、そしてそのずっと昔から大勢の人たちがここで暮らし、守ってきた皆の家よ――」
「ねぇエル! みんな楽しそうだねー! それにとってもきれい! わたし、ここだいすき!」
エルに抱きかかえられ、そこから更に精一杯背伸びをしてその光景を見回すリーン。
遙か彼方の地平線からやってきた乾いた風が、二人の間を静かに通り抜けていく。
「リーン。これからは貴方にも、私やここで暮らす人々と一緒に、この景色を守って欲しいの。皆にとっても、貴方にとっても、もちろん私にとっても――ここは、とても大切な場所ですから」
「……守る? なんだかむずかしそう……わたしにできるかな?」
その大きな紫色の瞳を爛々と輝かせ、しかし可愛らしい眉を不安げに八の字にして首をかしげるリーン。エルはそんなリーンに向かって微笑むと、その少し寝癖のついた髪を優しく撫でた――。
「大丈夫。きっとできますわ――。貴方は、立派なこの国のお姫様ですもの――」
「えへへ……」
エルに撫でられ、心地よさそうな笑みを浮かべるリーン。
リーンはエルのその言葉を受けて、何かを思いついたようにその場で飛び跳ねると、エルのドレスの裾にしがみついてニコニコと笑いながら言った。
「じゃあわたしがんばる! みんなも守るし、みんなのおうちも、このグランソラスも守るし、おとうさまもおかあさまも守るの! それと、それと――」
リーンはそこまで言うと、少し恥ずかしそうに、はにかみながらエルに視線を向けた。
「エルのことも、わたしが守ってあげるから! あんしんしてね!」
「あらあら……ふふっ……」
リーンのその言葉に、エルは表情が緩むのを抑えきれない。普段の鋭利な表情は消え失せ、穏やかで柔らかな笑みと共にリーンを優しく抱きしめた――。
「ええ……私も、貴方とこの国を守るわ……必ずね……」
「うん――!」
それは、数百年にわたって続けられてきた、人々の営みの一つ。
遙か彼方の地平線からその場所へとやってきた無数の風が、二人の間を静かに通り抜けていった――。
――リーンによる最後の号令が下された瞬間とほぼ同時。グランソラスの周辺領域で決死の戦闘を続ける騎士たちにも、同様の指示が下った。
「信号弾!? 退却命令だと!? あの色……グランソラスには……もう戻らないのか――」
強烈な強さを見せる原初の竜と対峙し、すでにその外殻を傷だらけにしながらも、ロンドはグランソラスから打ち上げられた信号弾をはっきりと視認した。
「だ、団長! あの信号弾は――!」
「そうだな……女王がああ言ってるんだ。俺たちは黙って従うさ」
ロンドは寂しさと悔しさを滲ませながらそう言うと、未だ必死に戦っている味方の騎士たちに向かい、号令を発した。
「――全軍、グランソラス防衛を放棄! 城から出てくるやつらを守りながら、戦場を離脱する! 急げ! もたもたするな! 退却だ!」
その言葉を受けた騎兵隊に動揺が走るが、既に彼らもまた覚悟を決めてここまで同行してきたのだ。すぐにその動揺を押さえ込んで体勢を整えると、光の尾を引きながらグランソラスの領空から引いていく。
――そして、それとほぼタイミングを同じくして、まるで示し合わせたようにデウスエスカの漆黒の眼孔が次なる獲物――グランソラスへと向けられる。
グランソラスは既にその一歩を踏み出している。
霊峰プリオングロード周辺を満たしていた巨大な湖は、大きく裂けた岩盤と巨神同士の激突がもたらした衝撃で殆どが干上がり、黒く濁った湖底が露出しきっている。
その砕けてぬかるんだ大地に、ゆっくりと一歩を刻むグランソラス。
数百年、数千年にわたってこの大地へと巨大な足跡を残してきた力強い一歩。
ずっとそうしてきた。
立ち塞がるあらゆる困難を、そこに住む人々の運命を、その一歩で切り開いてきた。それは、たとえ自らを圧倒的に上回る超質量と対峙したとしても、決して揺らぐことはない。
先ほどアーハレヴにしたのと同じように、デウスエスカはそのあまりにも巨大な脚を、ゆっくりと滑るように右側へと動かした。
ただそれだけでいい。それだけで、この地上に存在する全ての者が破滅の神デウスエスカの前にひれ伏し、砕け散り、消滅する。それがこの世界の真理。そのはずだった。
だがグランソラスは止まらない。自らに迫るそびえ立つ死――絶望の岩壁には目もくれず、限界まで左腕を引き絞ったまま、ただ前へ。
そしてその一歩により、デウスエスカの起動で既にズタズタに砕かれていた岩盤が、グランソラスの力強い踏み込みによって地下数千メートルに及ぶ範囲で完全に崩壊し、グランソラスの半身が地面へと沈み込む。
瞬間。大地を震わせ、天上の雲も、大気も、そこに存在する全てが逃れることの出来ない超質量が、体勢を崩したグランソラスの右半身へと叩きつけられた。
全長一千メートル。小さな山にも匹敵するグランソラスの巨体が、まるで子供に振り回される玩具人形のようにあっけなく砕け、跳ねる。
数百年にわたって数多の巨神を打ち砕き、ソラス王国に勝利をもたらしてきた力強い腕があっけなく折れ、原型すらとどめずに破壊され、粉塵となって散っていく。
その構造の半分以上を打ち砕かれ、ここに城としてのグランソラスはその使命を終えた――そう見えた。
――しかし、グランソラスはまだ動いていた。
引き絞られ、力を貯めて残された左拳を、跳ね飛ばされた勢いすらも利用して、最後の力を出し切るかのようにまっすぐに突き出す。
巨体の崩落と激突の衝撃。デウスエスカの動作によって巻き起こった圧倒的質量の渦。それら全てが辺り一帯を凄絶に揺らした。
巻き起こる数百メートルにも達する粉塵。そして一瞬遅れてやってくる破滅的な衝撃波。周囲に存在するもの全てを一掃する突風がはるか彼方まで突き抜けていく。
そして、それら衝撃が収まった先――。
そこには、その半身を失い、コアを砕かれ、黒煙を上げながらも、プリオングロードに残されたもう一体の巨神にもたれかかるようにしてその拳を穿つ、グランソラスの姿があった。
渾身の力で繰り出されたグランソラス最後の拳は、そのまま見事プリオングロードに残された巨神の根元へと突き刺さったのだ。
――この眼下の小さく無力な存在は、小癪にも自身の狙いを遂げた。
グランソラスの残骸をはるか上空から見下ろすデウスエスカの内に宿る意志が、果たしてそう思ったのかは定かではない。
だがその光景を見たデウスエスカは、すでに崩れ落ちてその原型を僅かに留めるばかりのグランソラスと、未だ起動せぬ自らの片割れへ全てを終わらせるとどめの一撃を放とうとする。
全長数千メートル、質量数百万トンにも達するその巨大な片脚が、雲と大気と無数の岩塊を引きずりながらゆっくりと上昇していく。
愚かにも自らに立ち塞がろうとする、小さな、本当に小さな抵抗の意志を刈り取るために。
だが、その目論見は崩される。
片脚を大きく上昇させ、グランソラスを踏みつぶそうとしたデウスエスカの全質量を支える残された一本の足。
片脚とは言え、そびえ立つ山脈にすら匹敵するその残されたデウスエスカの片脚に、振動が伝わる。
それは崩れ落ち、既に大破したはずのアーハレヴ。
もはや残された区画は上半身と左手のみとなったアーハレヴが、デウスエスカの片脚にその残された手を伸ばし、最後の力でしがみついたのだ。
もしデウスエスカがその感情を表すことができたのなら、驚愕の表情を浮かべただろうか。
アーハレヴから目映いばかりの閃光が奔った。
残された質量全てをエネルギーへと変換し、アーハレヴは豪炎の火柱と化して爆散。デウスエスカの巨体すら飲み込むその衝撃は、たった今この戦場へと散った二つの城が、最後に見せた魂の輝きであった――。
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