第三章

狂気、来たる


 グランソラスの巨大な右腕に胸部を貫通され、ゆっくりと崩落するソーンカハル。

 先ほどまで帝都を覆っていた醜悪な魔の気配は、浄化されたかのように黒い粒子となって霧散する。

 かつては何万もの人々が暮らし、繁栄を謳歌した帝国最大の都は、その全ての機能を喪失し、ただの巨大な岩塊と化して崩れ落ちていく――。


 魔に魅了され、異形の魔窟へと成り果てたかつての故郷。

 ソーンカハルの崩壊を上空から見つめる帝国騎士たちは、その姿に悔しさと悲しみ、そして怒りの涙を流していた。

 

 しかし、戦いはまだ終わっていない。


 ソーンカハルの沈黙を確認したリーンは安堵のため息をつくと、グランソラスに更なる進軍の指示を出す。


「ふぅ――なんとかなったわね。さあ、次は――」


 ――その時である。


 リーンの視界を、どす黒い輪郭を持った赤い閃光が覆い尽くした。


 見間違いではない。それは今まで見たことも無いような、その場に突如として何も存在しない空間が出現したかのような、一切の光を発しない漆黒の閃光。


 まるで無から出現したかのような暗黒の炸裂に飲み込まれ、強固な防護障壁に守られているはずのグランソラス頭部が大きく吹き飛ばされる。


 崩落する戦闘指揮室。火花が飛び、瓦礫と木片が凄まじい勢いで石壁へと叩きつけられる。高空の突風が容赦なく室内へと流れ込み、巻き上げられた粉塵をすぐさま洗い流していく――。


「懐かしい匂いがするから、ここかなって思ったんだけど――」


 まるで、高価な陶細工を引き弾いたような、透き通った声――。


 半壊した戦闘指揮室に、いつのまに現れたのか、美しい褐色の肌を持つ白髪の少年が無防備に立っていた。


「まさかお前が居るなんてね。ハズレ……いや、アタリかな?」


 少年の見つめる先――。


 そこにはその美貌を鮮血に染めつつも、同じく肩口を負傷したリーンや、その他の兵員を自身の前方に展開した小型の保護障壁のようなもので庇う、エルの姿があった。


「い……っつ……エル……あなたっ?」

「アム、レータァ……ッ! まさか、もう……!?」

「リクトはどこ? 僕はリクトに会いに来たんだ……」


 常に余裕のある笑みを絶やさないエルがその瞳を血走らせ、ぎりと奥歯をかみ鳴らしてアムレータを睨む。

 だが、そんなエルの様子など映っていないかのように、アムレータは崩れ落ちた室内をゆっくりと見回すと、エルの腕の中で苦痛に顔を顰めるリーンへと視線を向ける。


「なに、こいつ……私を見てる……?」

「……君からリクトの匂いがする。君……リクトの――?」

「動くなッ! それ以上近づくのなら――!」

「お前は黙ってろッ!」


 再度の閃光。


 エルの展開する障壁が弾け飛び、エル自身もまた腕の中のリーンと共に側面の石壁へと叩きつけられる。その場で庇われていた兵員たちがエルとリーンに駆け寄ろうとするが、まるで金縛りにでもあったかのように動くことが出来ない。


「システムの力をほんの少し借りてるだけのお前が、僕の邪魔なんて出来るわけないだろ?」


 エルの障壁を砕き、周囲を完全に支配下に置いたアムレータが再びリーンへと声をかける。


「ねぇ、君。この部屋からは薄くリクトの匂いがする。けど、君はその中でも特に匂いが強いんだ。どうしてだろう? もしかして、君はリクトの友達かな? それとも家族……?」


 吹き飛ばされたリーンに向かい、一歩、また一歩と迫ってくるアムレータ。


 その様はまるで幽鬼のよう。意識を強く保たねば、その少年がそこに居るのか居ないのかすらわからない。

 闇そのものを纏っているかのようなおぼろげな人型が、ただ狂気と虚無の同居した蒼い瞳だけを闇の中に爛々と輝かせ、じっとリーンを見つめていた。


「くっ……逃げなさい……リーン! ここから、すぐに……っ!」

「がはっ……げほっ……! あはは……さすがに、それはキツそう……」


 必死の形相でリーンへと呼びかけるエル。リーンはなんとか立ち上がろうとするが、足に力が入らないのか立ち上がることもままならない。


「ああ……一つ言っておくけど、僕はリクトのことが大好きなんだ。リクトが他の誰かと仲良くすると、凄くイライラする。だからリクトの家族も友達も、みんな殺した」

「そんな……っ」


 今まで何度となく死線を潜り抜け、城に住む大勢の命を預かる決断も数え切れないほど下してきたリーン。だがそのリーンですら、アムレータという目の前の少年が持つ狂気の量と、その本質を計ることはできなかった。


「もしかして……僕が寝ている間にまた増えたのかな……? 少し面倒だなぁ……せっかく一人残らず潰したのに」


 リーンは流血している肩口を押さえ、苦痛に呼吸を乱しながらなんとか起き上がる。アムレータの放つ虚無の殺気はリーンの心臓を直接握り潰さんばかりに締め上げ、彼女の両足はガクガクと震えていた。だが――。

 

「っ……私が……リクトのなにかって……?」


 リーンはその紫色の双眸でアムレータを射貫くように見つめると、まるでアムレータを挑発するかのように、見下すように言い放った。


「――私はリーン・ソラス! リクトの恋人で家族で友達で、誰よりも信頼してる大切な仲間! 私からリクトの匂いがする!? 当たり前でしょ! 私とリクトはとっても仲が良いから! 私だけじゃない! 今のリクトは私以外にも大勢の友達や仲間がいる! お前が……! お前が……殺した……彼の……大切な人たちと同じようにっ! 今のリクトを仲間だって、家族だって思ってる人は、もう沢山いるのよ! だから――」



「あぁ……わかった。もういいよ。どうせ潰すから」


「だから――貴方は負けない。今度も勝つ。そうでしょ、リクト――」



 瞬間、光が満ちた。


 戦闘指揮室を掠めるように超高速の光芒が奔り、その光は生身のアムレータを押し潰すようにして掴み取ると、天上めがけてまっすぐに飛翔する。

 

 崩落した指揮室に残されたのは、たった今この場を掠め、アムレータを天上へと連れ去った竜――ラティの放出した舞い散る光の粒子――。


「リクト……気をつけて……」


 リーンは舞い散る光の粒子を優しく手のひらで包むと、その手を胸に当て、祈るように呟いた。


「リーン……! まったく……無茶をするのは何代経っても変わらないわね……」

「だってあいつ、本当に許せなくて……! でもちょっとスッキリした! あんな顔してたけど、私の言葉で血管ピキピキしてたもの!」


 瓦礫をどかし、その他の兵員たちの状況を確認しつつ、エルとリーンはお互いの無事を確かめ合うように軽口をたたき合う。


「……ところで、貴方いつからあの男と恋人になったのかしら? 私はそのような交際を許可した覚えはありませんが……ラティがやってくるのも、まるでわかっていたような様子だったわね……?」

「えっ!? えっと――いつだったかな? 結構すぐだった気がする……まぁ、その辺り全部終わった後ね! ね!」

「あのクソガキ――ッ! やはり永遠に孤独漬けにしておかなければいけない存在でしたわね!」


 先ほどのアムレータ襲来時に勝るとも劣らぬ形相で手に持った扇子を真っ二つにバキ折るエル。リーンはエルのその様子に引き気味になりつつも、まだ原型を残しているいくつかの通信管から指示が出せることを確認する。


「――急ぎましょう。アムレータがここに現れたと言うことは、既にプリオングロードの巨神は目覚めています。あの巨神が一度動き出してしまえば、グランソラスやアーハレヴでは太刀打ちできませんわ」

「そうね……エル、何か考えはある?」


 傷ついた兵員に肩を貸して助け起こし、壁面に座らせながらリーンが尋ねる。


「おそらく、リクトはアムレータと戦いながらでは自身の巨神を目覚めさせることができないはず。ここは私たちが直接プリオングロードに取り付き、残された一体の巨神をリクトに代わって起動させるしかありません」


 崩壊し、解放されて見晴らしの良くなったグランソラス頭部から臨む黒い影……霊峰プリオングロード。エルはその影を指し示すと、リーンに今自分たちが取るべき行動を進言する。


「わかった。それなら急がないと! 全軍! こちら戦闘指揮室のリーン! 少し攻撃を受けたけど、私たちは無事よ! 今から次の作戦を伝える!」


 リーンの号令を受け、頭部から白煙を上げつつもゆっくりとその巨体を再起動させるグランソラス。攻撃を受けたグランソラスを庇うようにアーハレヴが前に出ると、二体の巨神は再びプリオングロードへと進軍を開始する。


 そしてそのはるか上空――。


 沈まぬ紫紺の陽の光を背景に、上昇を続けていた光芒が漆黒の閃光を受けて弾け、対峙した――。



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