悪夢を超えて


 眼下で巻き起こる閃光に照らされる戦闘指揮室。

 薄暗い橙と紺の空を埋め尽くすほどの黒い影が、数百メートルの距離を隔てて相対するソーンカハルから吹き出してくる。

 

『敵、竜騎兵来ます! 総数は不明ですが、とんでもない数です!』


「うえっ……なにあの気持ち悪い竜……あれには近づかれたくないわね! 防空戦闘用意!」


『対空砲、一斉射開始! 敵編隊の進行方向に弾幕を張れ!』

『騎兵隊は対空砲火で足が止まった隙を各個撃破! 斉射信号、赤二連!』


 広大な湖に荒波と共にそびえ立つグランソラス、その全長一千メートルを超える全身から、数千の火線が何重にも重なった層となって規則的に撃ち放たれる。

 戦場は闇夜と言うほどではないが視界が悪く、高速で迫る敵騎兵に対しては竜そのものを狙うのでは効果が薄い。

 グランソラスの全身から放たれた無数の火砲は迫り来る敵機の進行方向に対して壁となるように弾幕を展開し、その動きを的確に制限していく。


「どうかしら? あの化け物の動作予測はできそう?」

「今やってる……けど、なんだろう……凄く嫌な感じがする」


 かつて類をみない、異形の巨神へと変貌したソーンカハルに対しての動作予測は困難を極めた。

 リーンの巨神に対する動作予測は計算を超えた予知能力じみた領域だが、そのリーンの才覚が、今のソーンカハルに不用意に接近することを躊躇わせていた。


「あれは多分……ううん、間違いなく一撃で仕留めないとこっちがやられる……」

「巨神砲の直撃に耐えていることがなによりの証明ですわね。せめて、コアの位置がわかればやりようもあるのでしょうけれど――」

「……アーハレヴに伝えて! 不用意に前に出ないで、今は迎撃に専念するように! 騎兵隊に信号弾! ソーンカハルのコア位置特定急いで!」


 ソーンカハルが一歩踏み出せば、グランソラスもまた下がる。互いの相対距離が縮まらぬ膠着状態の狭間。

 それぞれの巨神がその僅かな動作で発生させる破滅的な乱気流と、渦巻く豪雨を縫うように、双方の竜は決死の戦いを続けていた――。


「今の信号弾見たか? さしもの姫様もこんな化け物の動きは予測できねぇみたいだな! コア位置特定どうなってる!?」

「あと少しです! ただ、鼻のいい竜がさっきから妙な迷いかたしてて――」

「妙だと?」


 周囲から迫り来る何体もの邪竜を戦槌で叩きつぶしながら、ロンドは哨戒索敵に優れた竜を引き連れてソーンカハル胸部空域へと接近していた。


「一旦上に行こうとしたり、かと思ったらここで留まったりで……近いことは間違いないと思われます!」

「……なるほどな。ま、こんな化け物だ、もしかしたらコアも何個かに分かれたりしてるのかもしれないな」

「そんなのアリですか!? ど、どうしたらいいんです!?」


 ソーンカハルから放たれる対空砲の斉射から身を躱しつつ、ロンドは一瞬の逡巡の後、引き連れた騎兵たちに指示を下す。


「とにかくまずは一番近いコアを探す! なぁに、リーンのことだ。一個でもコアの場所がわかれば後はいつも通りぶっ潰してくれるだろうぜ!」


 言うと、ロンドは味方の竜に襲いかかった邪竜を深緑のブレスではじき飛ばし、ソーンカハルの更なる近傍へと緑光の尾を引いて飛翔していった。


 そして、その遙か上空では――。


「貴様を信じ、付き従った臣民の無念――この一撃で晴らす!」

『オオオオ……』


 裂帛の雄叫びと共にファラエルが加速する。

 全てを穿つ蒼光の突撃槍と化した紺碧の竜が、ソーンカハルの崩れかけた異形の頭部へと突き進む。


 響き渡る閃光と衝撃。


 並の竜なら巨神の防護障壁を単騎で突破するなど到底不可能だが、氷竜ファラエルは並の竜ではなく、それを駆る帝国騎士カリヴァンもまた、並の騎士ではなかった。


『オ……オオ……? オオオオッッ!?』

「貫け! 貫けファラエル! 私とお前の誇りにかけて! 全てを貫けぇぇ!」 


 瞬間――。


 三体の巨神が対峙し、無数の竜が飛び交う戦場を蒼白い閃光が目映く照らした。

 そしてその閃光から一瞬遅れ、ソーンカハルの頭部から生えていた異様な触手が幾本もはじけ飛び、崩れかけていた頭部もまた粉々に爆散する。


 爆風と音を置き去りに、見事超音速でソーンカハルの後方までをも貫き通したファラエルが、全身から氷結の霜と蒼白い粒子を立ち上らせて残心する。しかし、その時――。


『オオ……オ、愚かな……カ、カリヴァン……わ、ワタシは、私は……既に……喜びを、知ったのだ……!』

「――っ!?」

「カリヴァンさん! 危ない!」


 巻き起こる粉塵の中から、無数の硬質化した鞭のような触手がファラエルめがけて飛び出してくる。

 油断せず残心していたカリヴァンはその攻撃に対して即座に反応していたものの、横から高速で突っ込んできたラティがその触手の射線からファラエルを退避させる。


「リクトか……なるほど、助けられたな。礼を言う」

「いえ、無事で良かったです。ちょっとには嫌な思い出があって――。触れられないように気をつけてください!」


『ほほう……白き竜……ようやく私の前に現れましたか……』


 立ちこめる粉塵が晴れていく。

 ファラエル渾身の一撃により砕け散ったはずの頭部があるその場所に、黒い異形の影が浮かび上がる。


「うわっ……」

「貴様……もはや完全に人外へと堕していたか……!」

『不敬ですねぇ……あの方が私に与えてくれたこの姿の美しさがわからぬとは……』


 そこに現れたのは毒々しい赤と黒に彩られ、雄しべや雌しべにも見える何本もののたうつ触手を展開した直径数十メートルにも及ぶ巨大な花だった。

 そしてその花の中央。そこには白い法衣を纏った輝くような金髪の青年が。エルカハル帝国皇帝ラナダン・エルカハルの変わり果てた姿だった――。


『ああ……夢にまで見た白き竜とその乗り手が私の目の前に……お前をここで殺してしまったら……あの方にまた怒られるだろうか? 今度はどこを千切られ、潰されてしまうのだろうか? ああ……たまらない……!』

「な、なんか……この人の目的は俺っぽいですね……? いやだなぁ……背筋がゾワゾワする」

「以前は決してこのような人物ではなかった。一体何がこの男をここまで……」


 巨大な花びらの中央で、くねくねと自身の体を抱きしめてもだえるラナダン。その言動と異様な様相に眉を顰めるカリヴァンと困惑するリクト。

 だが次の瞬間。花びらの周辺でのたうっていた触手が一斉にラティとファラエルめがけて襲いかかる。


『潰されたい! 潰されたくてたまらない! 私はあの方の成すことならなんだって受け入れる! あの方の望み、全てをかなえて差し上げる! だのに――』


 蒼と銀、二つの光芒が上空へと飛翔。即座に二手に分かれると、迫り来る触手から逃げるように頭部周辺で弧を描くように加速。

 それと同時、ファラエルは氷の、ラティは光の弾丸を中央のラナダンめがけて高速連射。二属性のブレスは追いすがる触手と共にラナダンの体を一瞬で吹き飛ばす。


『だのにだのにだのに……! なぜあの方はお前しか見ない!? お前の名前しか発さない!? あの方は私のモノだ! あの方の全てを私が手に入れたい! お前は邪魔だ! 貴様が邪魔なのだ! アマミ・リクトォォォォ!』


 だがそのブレスの爆発も収まらぬうち、炎を突き抜けて更なる触手が襲い来る。衝撃と打撃によってラナダンはその姿を大きく崩しながらも、全く意に介さず攻撃の手を緩めない。


「あー……もしかしてこの人、アムレータのことが好きなのかな……? 俺が言うのもなんですけど、あいつは止めた方がいいですよ! 絶対ろくなことになりませんから!」

「今ここでその助言は流石に手遅れだな、リクト!」

「確かに! どっからどう見てももう無理そう!」


 ラティとファラエルは交差するように上昇し、追いすがる触手の混乱を誘おうと試みる。だが機械のように正確な触手の追尾はぴったりと二体の竜に追いすがり、互いにぶつかったり絡まるような隙を見せない。


『あの方から頂いたこの素晴らしい肉体! 全てが小さく、無価値に見える! いや、実際に無価値だ! 価値があるのはあの方だけ! 許されるのはあの方だけ! あの方だけがこの世界の真理なのだ!』


 ラティ内部のリクトが、ちらとその視線をプリオングロードへと向ける。正確には、そこで眠る二体の神のうち、一体の巨神へと――。


「カリヴァンさん! お願いできますか!」

「言え! アレを倒せるのならば、我が力いかようにでもするがいい!」

「ありがとうございます!」


 瞬間。示し合わせたように上空へと飛翔する二体の竜。

 一旦届かぬ位置まで離れた二体の竜めがけ、触手はその先端から無数の種状の弾丸を撃ち出す。


『なにをしようとも無駄だ! たとえコアを破壊しようが、ここにいる私を潰そうが、既に私は無尽蔵の生命を手に入れたのだ! あの方だけが私を汚せる! あの方だけが私の命を踏みにじれるのだ!』


 触手から射出された弾丸を、ラティは光翼から発せられる光輪で、ファラエルは周囲一帯を一瞬で凍結させて難なく防ぎきる。

 二体の竜はその手にランスと緋色の長剣を構えると、まるで無限に続くらせん階段の如き軌道で錐もみに混ざり合い、遙かなる天上から直下の醜悪な花の中央部めがけ一筋の力強い光芒と化して特攻した。

 

 まるで、小型の流星が直撃したかのような衝撃。


 巨神の頭部を覆い尽くしていた巨大な花は閃光と共に木っ端みじんに砕け散り、二体の竜が一体となった光芒はそのままソーンカハルの長大な本体を一直線に貫通。股間部分まで貫き通すと、異形と化したソーンカハルの全身に、幾筋もの閃光が奔った。


『オ……オオオオ! こ、こんな、もの! 今の私には、む、むいみ……』

「――いいえ、貴方の無限再生は今ので止めました。貴方はもう、不死身じゃないです」

『な……馬鹿、な!?』


 ソーンカハルの異形の人型が大きく揺れる。

 頭部に咲き誇った醜悪な花はもはや咲かず、散った花びらは腐敗し、散り散りになりながら消滅していく。


「すぐそこに俺の巨神もあるので、アムレータにできることは俺にも出来ます。物質の無限精製も、その停止も」

「お前の命を踏みにじるのが想い人でなくて残念だったな。このまま消え去れ、外道が」

『おのれ、カリヴァン……アマミ・リクト! あの方以外の者が、この私を! この私をぉぉぉぉ!』


 叫ぶラナダン。


 だがそんなラナダンの断末魔の叫びも虚しく、体勢を崩したソーンカハルの前に、その巨大すぎる右腕を既に大きく引き絞ったグランソラスが迫る――!


「右腕出力120%! 射角マイナス10! ロンドから目標誘導の閃光弾が上がってるから、そこを狙って!」


『右腕出力120%! 出力全開! 目標、ソーンカハル胸部の閃光弾!』


「一撃で抜いて! 右腕、射出開始!」


『右腕射出開始!』


 限界まで引き絞られたグランソラスの右腕が、その直径数百メートルの巨大な拳が、凄絶すぎる質量の塊となって大気そのものを打ち砕きながらソーンカハルの胸部、その先に収まったひび割れたコアに突き刺さる。

 一つ一つが数十メートルにも及ぶ岩塊が周辺空域に飛散し、どす黒い血液にも似た生物的な毒液が撒き散らされる。

 

『あ、アムレータ……様……アムレータさ……まぁぁぁぁ……!』


 しかし、その異形が再び動くことはない。


 帝都ソーンカハル崩壊の音と、皇帝だった男の断末魔はいつしか重なりあい、眼下に広がる地の底へと埋没していった――。


 

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