もう一人の少年


 闇は晴れた――。


 白く輝く日の光が地平線からその姿を現し、攻城戦によって深く傷ついた大地をまばゆく照らしていく――。


 二体の巨神のうち、一体を完全に沈黙させ、もう一体を行動不能へと追い込んだソラス王国の居城――グランソラスが、その見上げてもまだ足りぬほどの巨躯を日の輝きの中に晒し、誇らしげに直立している。


 そして、その足下――。


「――というわけです! あのときは本当に死ぬかと思いました! いや、あれは今思うと死んでましたね! 俺もなんで生きているのか不思議なくらい! でもそれのおかげで、俺はついにあの巨神の右脚に一撃入れられたんです!」

「むぅ――にわかには信じがたい話だが、確かに筋は通っている」

「カリヴァン様ぁぁ! お腹がすきましたぁぁ! この子の話いつ終わるんですかぁぁぁぁ!」

「まてオハナよ。ここからがこの話の肝要な部分だ」

「そうですよオハナさん! ここから左脚と左腕、次に右腕を破壊して口から巨神の中に突入していくんです!」

「びええええ! もうやだーーーー!」


 グランソラス直下。

 大きく穿たれたクレーターのほぼ中央で、傷ついたファラエルの横に並んで立つラティ。

 そしてその足下で身振り手振りを交えながら話し続けるリクトと、リクトの前に集合して大人しく座っている大勢の帝国の兵員たち。

 その先頭には、ソラス王国を散々に苦しめた歴戦の帝国騎士カリヴァン・レヴまでもが座り、その意味不明さを更に増していた。


「――なにこれ? ちょ、ちょっとリクト!」


 最低限の確認作業を終え、グランソラスの下に降りてきたリーンは、目の前に広がるその光景を見て困惑の声を上げた。


「リーン! 無事だったんだ、良かった!」

「リクトもね! でもこれ――一体どうしたの?」

「この少女が、ソラスの……」


 笑みを浮かべてリクトに駆け寄るリーンと、駆け寄ってくるリーンの姿を見て神妙な表情となるカリヴァン。

 リクトは片手を上げてリーンを迎えると、リーンに事の次第を説明する。


「――なるほどね。まあ、たとえ敵でも怪我人や死者は少ないに越したことはないわ。特に私たちにとってはね」

「……陛下。我々は陛下と戦い敗れた身。いかなる処断にも従う覚悟はできております。ですが、どうか我が部下の者たちには寛大なる処置を……彼らは皆、私の指示に忠実に従っただけでございます」


 現れたリーンを前に、片膝をついて頭を下げるカリヴァン。リーンはそんなカリヴァンの言葉に考え込んで瞼を閉じると、静かに言葉を発した。


「――ソラス王国女王、リーン・ソラスが処断する。貴方たちの城は一つ残した。古来より、戦で敗れた城とその民は、自らを下した相手との遺恨を忘れ、手に手を取り合ってこの大地を生き抜くべしと定められている。貴方たちは今後一年の間ソラス王国の捕虜として、残された城と共に我が道行きに同行し、しかる後、エルカハル帝国への帰還を許可する――わかった?」

「陛下の寛大なる処置に――感謝します」


 リーンのその言葉に、更に深く頭を下げるカリヴァン。横で見ていたリクトはそのやりとりに安堵した表情で頷く。


「一応聞くけど、リーンは今ので良かったのか? 結構色々やられたんだろ?」

「良いわけないでしょ。私も泣かされたし。怪我した人も、死んだ人もいる。でも――」


 そこまで言って、リーンは朝日の下に直立するグランソラスを遙かに仰ぎ見る。


「この世界では憎しみ続けるより、生き続ける方がずっとずっと大切なの。動ける人が一人増えるだけで、明日を生きれる確率が少し上がる。そして、そんなことソラスの皆だって、この人たちだって良くわかってる。だから、これでいいの」

「――そっか!」


 一切の迷いを感じさせないまっすぐなリーンの言葉に、いよいよリクトは満面の笑みになると、ついに爆発したようにその手を握ってぶんぶんと上下に振り、うんうんと何度も頷いた。


「ちょ、ちょっとリクト! さっきから思ってたけど、なんかキャラ変わってない!?」

「良い! リーンはとっても良い! 好きだ! 大好きだ!」

「はっ!? ええっ!?」


 突然の告白に絶句するリーン。


「大丈夫、俺が勝手に好きになっただけだから!」

「ぜっ、全然大丈夫じゃない!」

「あらあら――幾千の時が流れても、その性格は変わっていないようですわね。アマミ・リクト」


 そんな二人のやりとりに、遅れてやってきた燃えるような髪の女性――エルがリーンの手を握るリクトの手を強引に引きはがしながら割って入ると「次リーンの手を勝手に握ったら殺しますわ」と念押しする。


「エル! なんで俺が目を覚ましたときここが異世界とか言ったんだよ!? リーンだってそう思って凄く頑張って説明してくれてたんだぞ!」

「あら、それを言うならいつも貴方が起きる度に一から説明するこちらの身にもなってほしいわね。まあ――端的にいって今回は面倒だったからですわ」

「なんだそれ!?」

「フフッ……そう怒らないでくださいまし。あの巨神以来ですから、300年振りといったところでしょうか。お元気そうでなによりです」

「俺はもう戦ったりしたくないって何度も言ってるだろ――」


 エルの姿を見たリクトは、今までとは打って変わったように苦々しい面持ちになってしまう。しかしそんなリクトの様子にもエルは眉一つ動かさず、淡々と答えた。


「貴方にしかできないからですわ。前回のも、その前のも、さらにその前も――そして、今回も」


 エルをじっと見つめるリクト。すでに先ほどまでの笑みはなく、エルから発せられる次の言葉が、確実に厄介な出来事であることを確信しているようであった。


が目覚めています――止められるのは、貴方しかいない」


 瞬間。その言葉を聞いたリクトの世界が、全ての色を失った。



 ●   ●   ●



 広々とした薄暗い石室に、幾つものかがり火が輝く。その紫色の炎は室内を怪しく照らし出し、その場所で起こる惨劇をつぶさに見つめ続けていた――。


「ひ、ヒエアアアアアアッ!」


 男の悲鳴――。


 まるで蛙か鼠が圧死する際に発するような、押し潰された、甲高い笛のような悲鳴――。


「お、お許しくださいアムレータ様! 私は、私は貴方の障害となる存在を、先んじて排除しておこうと!」


 悲鳴の主はエルカハル帝国皇帝、ラナダン・エルカハル。

 その壮麗な白い法衣は既に鮮血でまみれている。優美で流れるような金色の長い髪はぐずぐずに乱れ、その左手は手首から先が切断され、もはや存在していない。


「リクトを排除――。僕がいつそんなことをお願いしたの? もしこれで僕がリクトに嫌われたらどうするつもり?」

「は、ヒアアアアッ!? お許しくださいっ! お許し下さいいいいアムレータ様ああああ!」


 ラナダンの体が空中へゆっくりと浮かび上がっていく。

 大陸で最も隆盛を誇る国家を支配する男は無様に悲鳴を上げ、体をよじり、その美しい顔全ての穴から体液を吹き出しながら懇願する。目の前に立つ、一人の少年に。


 美しく艶めいた褐色の肌に、腰まで伸ばした純白の長い髪を持つ蒼い瞳の少年――アムレータと呼ばれたその少年は、虚無的な様子で男に向かって言葉を発した。


「僕はただ、リクトと一緒に遊びたいだけなんだよ? それを手伝ってくれるって言うから少しだけ殺さないでおいてあげたのにッ!」

「ぎゃ、ギャアアアア……ア……アアアッ!」


 ラナダンの右脚が空中で捻れ、鮮血を絞り出しながら千切れ飛んだ。


「アハハハハッ! 可哀想に! 色々なっちゃったね!」


 千切れ飛んだ脚が、ごとりと重い音を立てて落下する。


「でも安心して――。もう少しだけ生かしておいてあげる。僕が全部やるのは面倒だからね。ついでに、その無くなったところも僕が代わりを作ってあげるよ!」

「あ、アムレエエエエタさまああっ! お、おゆるじをおお!」


 アムレータがラナダンに向かって手をかざすと同時、ラナダンの切断された手首と大腿部から、メキメキという耳障りな音と共に節くれ立った太い木の枝のような物体が生え伸びる。

 しかしすぐにその節くれ立った部分は無数のミミズにも見える粘液にまみれた物体へと姿を変え、うねうねとのたうちながらそのままラナダンの肉体として固定された。


「が、がああああ!? 私の、私の体がっ! アムレータ様ぁぁぁぁ! 助けて下さい! どうかお慈悲を!」

「アハハハハハハ! お前みたいなウジ虫にはその体がお似合いだよ!」


 およそ人のものとは思えない異形の手足に生え変わらされたラナダンは、血にぬれた地面を不格好に這いずってアムレータに慈悲を請うた。


「……それで、もう一つの話はどうなってるの? そっちは順調なのかな?」

「は、はひいい! 霊峰プリオングロードでの作業はぁ、順調ですぅぅ!」

「……ふーん」


 アムレータは地面でのたうつラナダンを虚無的な瞳で射貫くように見つめると、その返答に満足したのかも定かではない様子で、気の抜けた返事を一つ。


 十秒。一分。三分が過ぎただろうか。アムレータはその姿勢のまま何かを考えていたようだったが、突然その表情に薄い笑みを浮かべると、くるりと踵を返して背後の闇へと歩みを進めた。


「行こうミーティア。あそこで待っていれば、きっとまたリクトに会える――ククククッ! アハハッ!」


 アムレータの狂気に満ちた嗤い声が闇の中に響く。


 その闇の中――。

 

 アムレータの向かう部屋の奥に、その闇よりも暗い暗黒の外殻と、発光する緋色の紋様を浮かび上がらせた極黒の竜が姿を現す。


「楽しみだなぁ……! リクト、リクト、リクト! 早く会いたい……! アハハ……アハハハハ!」


 うっとりと、まるで恋い焦がれた思い人を夢想するかのような声色でリクトの名を何度も呼ぶアムレータ。


 極黒の竜はアムレータの放つその狂気に呼応するかのように、鋭い眼孔を赤く明滅させた――。





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