第二部 ここがあなたの家

第一章

続いていた神話


 吹きすさぶ極寒の氷雪。

 辺り一面塗り込められた白の世界。


 視界すら定かならぬその氷霧の中、突如として浮かび上がる果ての無い垂直の岩壁。


 否、それは壁ではない。


 それは、空気すら凍結する寒獄の中、眼前に立ち塞がる敵を打ち砕く、一体の巨人であった――。


『敵巨神からの歩行衝撃を確認! 歩行音との到達時差0.7! 東北東に距離400と予測します!』


「さすがね! 左腕装填! 射角マイナス30! 出力60%で打撃開始! 手加減して!」


『左腕装填! 射角マイナス30! 出力60%ぉー! 帝国のやつらが凍えないようにしてやるなんざ、やはり姫様はお優しい!』


「この寒さの中で城が死んだらあそこの人たちは生きられない。そこまでしないといけない相手でもないし、うまく当ててあげて!」


『アイアイ姫様! この左腕部隊にお任せを!』


 グランソラス戦闘指揮室。


 指揮室の窓から見える城の外は圧倒的な白で埋め尽くされている。

 巨神が周囲に展開する保護障壁のおかげで室内への豪雪の侵入は防がれているものの、防ぎ切れぬ寒さに兵員たちは皆厚手の服装で巨神の制御に当たっていた。

 

 身を切るような寒さの中、周囲と同じく厚手の服にロングコートを纏ったリーンは、指揮室へと上がってくるグランソラス各部からの報告――特に脚部からの報告を元に、既に倒すべき敵をその白い壁の向こう側に見いだしていた。


 数メートル先の視界すら阻まれる猛吹雪の中、その各部に大量の雪の層を積み上げたグランソラスが眼前に向かって巨大な一歩を踏み出す。

 同時に、その全身から一斉に大量の熱気が漏れ、グランソラスへぶつかろうとする大量の粉雪が一瞬で蒸発、水蒸気へと変換され、そうかと思えば即座に周囲の冷気によって再び雪の結晶へと再結合されていく。


 まるで手探りのような白い壁の中、グランソラスはある一点に狙いを定めるとその小山ほどもある拳を迷い無く繰り出す。

 繰り出された拳は吹きすさぶ雪の嵐を風圧と質量で押し潰し、その巨大な腕が通った後に一瞬の晴れ間すら描きだす。


 衝撃。


 突き出された拳が、そこに存在した巨大な何者かにぶち当たる。


 刹那、周囲の全ての雪粒が停滞したかのような空間の沈黙。その停滞は次の瞬間粉々に打ち砕かれ、雲が、風が、雪が、そしてこの一帯に寒さをもたらしていた気象現象一切全てを吹き飛ばし、その空間に地面から天上へと貫く陽光の狭間を生み出した。


 寒気の断層を割って現れた暖かな陽光の下、姿を露わにした一体の巨神は、グランソラスにコア横の左胸部を打ち抜かれ、大地を穿つ巨大なたたらと共に後退、そのままたっぷり数十秒をかけて純白の雪原に仰向けに倒れていく。



 そして、その光景をはるか眼下に見下ろす上空では――。



「この衝撃――どうやら決着がついたな。ロンド殿、敵軍に降伏勧告を!」

「わーってるよ! 偉そうにするな捕虜の分際で! 騎兵隊、雪が晴れてるうちに白煙弾3発! 抵抗を止めた竜は城に返してやれ」


 グランソラスの放った一撃によって発生した凄まじい気流の渦の中、急に見晴らしのよくなった周辺の空域を乱れ飛ぶ多数の竜。

 紺碧の竜――ファラエルに乗るカリヴァンは深緑の竜ウィスカに乗るロンドへと声をかけた。


 ロンドの指揮によって三度打ち放たれた白煙を上げる弾頭が、のたうつようにぽっかりと空いた晴れ間を飛び、未だ戦闘を続ける敵勢へと投降を促した。


「全軍注目ー! あの白煙が見えるか! あれこそをお前たちの城が陥落した証! これ以上の戦いは無益だ! 投降すれば我々はなにもしない! 武器を収め、今すぐ戦いを止めるのだ!(決まった! 今の私輝いてる!)」


 その白煙を指し示しながら大声で叫ぶのは山吹色の竜――ラートリーに乗った帝国騎士オハナ。

 だが空中で見得を切ったポーズを決めたラートリーの上方から、未だ抵抗を止めぬ敵側の竜が襲いかかる。


「この裏切り者どもめぇ!」

「し、しまったあああ!(終わった……さよなら私の栄光……)」


 謎のポーズを取ったままのラートリーはこの攻撃に対して反応が鈍い。

 が、そのままラートリーを両断するかに見えた敵竜の斬撃は途中で逆戻りするかのようにラートリーから引き離され、そのまま竜ごと別の方向へと引っ張り上げられていく。


「大丈夫ですかオハナさん!」

「び、びえ……リクト君……あ、ありがとう……うぐ……!」

「まだ戦おうとしてる人が結構います! オハナさんも気をつけて!」

「う、うむ! わかった! 気をつける! 感謝するぞ!」


 ラートリーを襲った竜は間一髪で現れた純白の竜――ラティから放たれた光のロープで翼を拘束され、難を逃れたオハナは目に涙を浮かべつつリクトへと感謝の言葉を伝えた。


「俺はこのまま他の竜も連れてきます! また後で!」


 リクトはそう言うと、たった今拘束した竜と同様に光のロープで簀巻きにされた竜を何体も引きずりながら次の空域へと飛翔した。


「よし、我々も吹雪が戻ってくる前にアーハレヴへ帰投するぞ! オハナ、損傷を受けて墜落した竜の回収を急げ」

「は、はい! オハナ・カパーラ、回収してきます!」


 渦巻く雲海の断層から見える狭間に、砕けて倒れ伏した一体の巨神の姿が見え始める。

 先ほどまで敗北を認めていなかった帝国の竜騎兵たちも、自らの城が沈黙した姿が明らかになると共に戦意を失うと、次々と投降のサインを掲げて武器を捨てていく――。


 グランソラスが霊峰プリオングロードへの移動を開始して既に一ヶ月。

 散発的に続く帝国軍との遭遇戦は、これで17度を数えていた――。



 ●   ●   ●



「おつかれ、リクト!」

「そっちこそ!」


 竜倉すぐ外の広大な通路に、リーンとリクトが互いに掲げた手の平を叩き合わせる音が響く。


「ま、リクトのことだから大丈夫だと思うけど、怪我はない?」

「俺は大丈夫! リーンたちは?」

「よゆーよ! 完璧な勝利ね!」


 既に巨神から城塞都市へと姿を変えたグランソラスは、再び辺りを覆い尽くした吹雪の中、鈍い地響きと共にできる限りの速度で霊峰プリングロードへの移動を再開していた。


「でもなんか、出てくる敵が段々弱くなってる気がする。気のせいかな……」

「それは――たしかにね。さすがの帝国も燃料切れ?」

「――むしろ、足止めだけのためにこれほどの数の城を動員出来るのも、帝国だからでしょうね」


 リーンの背後から遅れて現れたエルは、普段と変わらぬ妖艶な微笑みを崩さぬまま淡々と状況を説明する。


「帝国はすでに我々を殲滅することは諦めています。それよりも、我々がプリオングロードに辿り着くのを少しでも遅らせるための逐次投入、といったところでしょうか」

「なら、まだ向こうの準備は整ってないってことか」

「でしょうね」


 リーンが持ってきてくれたコートに袖を通しながら、リクトはエルに視線を移す。


「ここまでなりふり構わず戦力を使ってくるという事から見ても、既に帝国の実権はあの子が握っていると見て間違いなさそうね」

「目的地にはあとどれくらいで着きそう?」

「――この異常な天候と大気の状態から見て、プリオングロードにはあと二三日といったところでしょう」

「そっか……そこにあいつもいるんだな?」

「ええ。間違いなく――」


 エルの返答を聞き、表情を曇らせるリクト。


「そこにいる――アムレータってやつを止めないと、私たちみんな死んじゃうのよね?」

「彼の目的が5000年前と同じなら、そうなるわね」


 この期間、何度も尋ねてきた内容を今一度確認するリーン。


 一ヶ月前、記憶を取り戻したリクトとエルから様々な話を聞かされたとはいえ、その想像を絶する内容は未だに彼女の理解を大きく超えていた。


 ――5000年前、現在よりも遙かに発達した文明を人類が築いていたこと。その文明が突然現れた巨神同士の戦いで消滅したこと。そのとき戦った二体の巨神の主こそがリクトとアムレータであり、5000年振りに目覚めたアムレータが、かつて世界を滅ぼした巨神を覚醒させ、再びこの世界を滅ぼそうとしていること――。


 それらの話はどれも簡単に信じられる内容では無かったが、リクトとラティの存在と、投降したカリヴァンが皇帝から受けていた勅命は、どちらもその話を肯定するのに十分過ぎる証拠になっていた。


「あの時、俺がちゃんと倒していれば――」

「たとえ何度倒しても、本体の巨神が生きている限りあの子はいつか必ず蘇る――。それでも貴方と違って5000年もの間目覚めなかったのは、それだけあの子の傷が深かったということですわ」

「で、でも! 前戦ったときはリクトが勝ったんでしょ? なら、きっと今度だって勝てるわよ。私たちだっているし!」


 そう言いながらリクトを覗き込んで微笑むリーン。だが、リクトの表情は冴えない。


「――うん。俺も今度こそ、ちゃんとやってみせる。絶対に!」


 リクトは力強く頷くが、思い詰めた表情のまま通路を一人歩いて行ってしまう。


「リクト……」


 遠ざかるリクトを見つめるリーンの横に、エルが寄り添うように立った。


「彼は、勝ってなどいない――」


 エルはどこか遙か遠い記憶の中の景色を見つめ、静かに呟いた。


「確かに彼はアムレータを倒した。けれどその時にはもう、この星には何も残っていなかった――。倒されはしたものの、あの子は自分の目的を殆ど達成していたの。地上から人類を消し去るという、狂気の目的を――」

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