ふたり


 グランソラス中央、宮殿前に位置する中央広場。

 既に先ほどまでの強烈な吹雪は止み、空からは暖かな陽光が降り注ぐ。


「わー! 雪だ雪だー!」

「誰だよ今ぶつけたのー!」


 つもりに積もった雪で遊ぼうと、子供たちが広場へと集まってくる。いくら城の内側は過酷な環境への防護障壁があるとはいえ、外は十分に寒い。

 しかし子供たちは白くなった吐息をあたりにまき散らしながら、ゆっくりと通り過ぎていく青空の下、元気に雪の中を駆け回っていた。


「うお! つめたっ! 首から雪が入った!」

「あははは! リクトよわー!」

「今度はこっちからいくよ! ていっ!」

「ぎゃー! 全員で投げるのは卑怯だろ!?」


 子供たちから雪球の一斉攻撃を受け、雪まみれになって逃げ惑うリクト。そんな子供たちとリクトの様子を、広場から宮殿へと続く階段の上方からやってきたリーンが発見する。


「いたいた! リクトー!」

「あー! 姫様だー!」

「リーンもきたー!」

「ひー、助かった! このままだと本当に雪だるまにされるところだった」

「あははっ! みんな元気ね。寒くないの?」


 広場へとやってきたリーンに集まる子供たち。

 リーンに寒くないのかと問われても皆一様に「さむくなーい!」と元気よく口を揃える。リーンも子供たちの元気な声に、にっこりと笑顔で頷いた――。


「――ふふっ、リクトもすっかり人気者じゃない。いっつも誰かと遊んだり、話したり、手伝ったりしてて忙しそう」

「みんなのおかげだよ。ここにいる人はみんなとっても優しいし。みんながこの国のことを大好きで、大切にしてる」

「最近は戦いが多くて、よその国の人がくるのも増えたからね。この前の帝国のみんなもそうだし。誰かと仲良くなるのに時間なんてかけてたら、仲良くなる前に死んじゃうかもしれないもの。それじゃもったいないでしょ?」

「ははっ! たしかに!」


 ひとしきり子供たちと遊んだ後、広場から少し離れたベンチに腰を下ろすリクトとリーン。

 リーンはロングコート越しにリクトの手に自分の手を重ねると、微笑みながら言った。


「――リクトだって、会って次の日には私のこと好きだって言ったじゃない。そういう大事な気持ちなら、なおさら時間なんてかけていられない。私も、自分の気持ちを伝えないで後悔したくないから」

「うん――」


 二人は、この一ヶ月でお互い様々な話をした。

 自分のこと、家族のこと、今まで体験したことや、お互いが知らないであろう世界のこと――。


 それは本当に僅かな期間ではあったが、繰り返される戦いの日々と、それと共に積み重ねられた無数の言葉は、二人がお互いにとってかけがえのない存在となるには十分なものだった。


「もう何百年も眠ったりはしないの?」

「うん。というか、俺が死ぬようなことになったら勝手にそうなっちゃうから、そこは俺が頑張らないといけないんだけど」

「もし眠っちゃったら……もう会えない?」

「……そうなると思う。この前の巨神と戦ったときはかなり死にかけたけど……それで300年眠ってたみたいだし……」

「アムレータって、その巨神と比べてどう? やっぱり、強い――?」

「……めちゃくちゃ強いよ。正直、また倒せるかわからない」

「そっか……」


 重ねた手に力をこめるリーン。


 リーンは、聞かれれば全て正直に答えてくれるリクトとの会話が好きだった。リクトは気休めを言ったり、はぐらかしたり、曖昧にすることがなかった。思わせぶりな態度や物言いも見たことがない。常にまっすぐに言葉を投げ合えるリクトとの関係がリーンは心地よかった。


「聞いても良い? その人のこと――」


 リーンはそう言うと、リクトの目を見つめた。

 この一ヶ月。二人の会話の中でアムレータについて話が及びそうになったことは何度もあったが、その際のリクトの表情があまりにも辛そうになるのを見かね、それについて深く話をしたことは今までなかった。


「もちろん! 俺もあいつのことについて知ってるのは、本当に少しなんだけどね」


 リーンのその言葉に、今度はリクトがリーンの手を優しく握りしめる。そして自らに向けられる紫色の瞳を見つめ返すと、静かに頷いた――。



 ●   ●   ●



 どこからから、ジリジリという電子音が聞こえてくる。


 白い部屋。部屋の中央には丸いテーブルが置かれ、テーブルを囲むように椅子が四つ。


 部屋の外の通路では、時折人が行き交う足音が聞こえる。

 鈍く曇ったガラス窓越しに見えるその人影は、皆一様に真っ白な服装をしていた。


 今、その部屋には少年が一人。


 美しく、艶のある褐色の肌に、長く白い髪。彫りが深く、目鼻立ちのはっきりとした相貌は、女性的な色気すら漂わせている。


 少年は椅子に座ったまま、ただ正面を向いて目を開けていた。


 少年が行う瞬きと、ゆるやかに上下するやせこけた胸元だけが、その部屋で唯一動作する部分だった。 


「ただいまー!」


 静寂は突然破られる。


 元気な挨拶と共に入ってきたもう一人の少年は、目的を達成した喜びからかにこにこと笑みを浮かべ、褐色肌の少年が座る椅子の前にやってくると、手に抱えた紙袋をテーブルに置いた。


「おまたせ! チーズバーガーあったよ! アムレータはコーラでいい?」


 後から現れた少年は笑みを浮かべたまま紙袋をいそいそと開け、中から紙に包まれたハンバーガーを四つ、ポテトを二つ。飲み物のカップを二つ取り出す。


「チーズバーガーが食べられないときは言ってね! 他のも買ってあるからさ!」


 そう言って少年は褐色肌の少年――アムレータの前に包装を開いたバーガーを並べた。アムレータはその虚無的な瞳を並べられたバーガーに向けると、数秒の逡巡の後、一つを手にとって口に運んだ。


「……おいしい」

「やっぱり!? やっぱりバーガー最高だよねー! 俺もバーガー大好き!」


 アムレータは呟くと、あとは貪るように残りを平らげ、結局そこに並べられていたバーガーやポテトの殆どを食べ尽くしてしまった。

 食べ終わったあともアムレータの表情に変化はなかったが、その瞳はじっともう一人の少年――リクトに向けられていた。


「あなた、は……」

「リクトでいいよ! たしか歳もほとんど一緒だったよね?」

「リクト――」


 アムレータのガラス玉のような瞳に、初めて感情の色が浮かぶ。その色は――驚き。


「リクト……は、どうして、僕に食べ物を……くれるの……?」

「仲良くなろうと思って! この前ラティにあげたらラティも凄く喜んでたからさ!」

「ぼくと……なかよく……?」

「そう、友達! フレンズ? フレンド? まあそんな感じ!」

「ともだち……」


 リクトのその言葉に、アムレータの瞳に浮かんだ驚きの色はどんどんと強くなる。それほどまでに、リクトが言った何気ないその言葉はアムレータにとって衝撃だった。

 

「俺さ……いきなり空から降ってきたラティに飲み込まれたと思ったらこんなところに連れてこられて……家族とも連絡取れないし、外に行くのも監視つきだしで、誰かと話してないと落ち着かなくて」

「家族……」

「しかも、俺とアムレータの二人であのでっかい山みたいなロボットをなんとかしないといけないんだろ? そんなこと、本当に出来るのかなって……まあ、やらないと皆死んじゃうっていうから、やるけどさ……」


 先ほどまで努めて明るく振る舞っていたリクトが、不安と恐怖の気持ちを吐露する。


 地球上の環境を100%管理し、再構築することも可能な夢のシステム。

 それが開発されたのは、21世紀末のことだった。


 ほとんど無に等しい状態から有を生み出すそのシステムは、地球環境の管理再生のみならず、今後の人類の宇宙進出すら容易にする究極のシステムだった。


 だが、そのシステムは稼動開始直後に暴走を開始する。


 暴走したシステムは真っ先に人工物の排除へと動いた。大地を埋め尽くす高層ビル群を破壊し、平らにし、地球を人類史以前の状態に戻そうとしはじめたのだ。

 当初は広大な空間に収まる程度の大きさだったそのシステムは、自らの無から有を生み出す機能を使ってより人工物を破壊することに特化した姿へと変貌を遂げた。即ち、全長数千メートルを超える、破滅の巨人へと――。


「でも、とりあえずあのロボットのところにはラティが連れてってくれるみたいだし、そうしたら後はパスワードとコマンドを入力して終わり――はぁー! 緊張する!」

「リクトは……あれを止めたいの……? ぼくは、別に世界がなくなっても、なにも思わない……なにも、感じないんだ……おかしいのかな……?」

「そっか……俺も話しか聞いてないけど、アムレータは凄く大変なところで生活してたんだよね……それなら、そう思うのも全然おかしいことじゃないと思う」


 アムレータはリクトをじっと見つめたまま、リクトの発する言葉に耳を傾けている。


「でも、俺は皆を助けたいんだ。たとえそれが一度も会ったことのない人だったとしても、その人たちが悲しんだり苦しんだりするのはやっぱり見たくない」

「みんなを……助ける……?」

「そのためにはアムレータの力が絶対に必要なんだ。だから、一緒にやろう! それで、それが終わったら二人で色んなことして遊んだり、食べたりしようよ! 今まではわからないけど、これからはずっとそうして行こう! そしたら絶対楽しいよ! ね!」


 そうしてアムレータの手を握るリクト。


「あたたかい……すごく……暖かい……」


 アムレータは自分でも気づかないうちにぽろぽろと、大粒の涙を零していた。

 アムレータにとって、握られたリクトの手から伝わるぬくもりは、生まれて初めて実感した人の光が持つ暖かさだった。


 彼はこのとき、初めて人から光を浴びた。

 彼はずっと漆黒の闇の中にいた。

 奪われ、傷つけられ、虐げられる。それが彼が知る世界だった。


「ありがとう……リクト……僕は、君に会えて良かった……」

「そんな……俺もアムレータと会えて良かったよ。大丈夫?」

「うん……ありがとう……本当に、ありがとう……」


 何も見えない、漆黒の闇の中にいた彼は知らなかった。光がこんなにも眩しく輝いていることを。

 その瞬間、彼はその光を浴びて知ってしまったのだ。

 今まで自分を取り囲んでいた闇が、どれほど醜く、どす黒く、唾棄すべき極悪なものであったかということを。


 少年の内外に充満した闇の中で、その果てすら見えぬほど膨張していた狂気という名の巨大な怪物。それはたった今、リクトという光を浴びてその輪郭を明確にした。



 リクトを守る。こんなにも黒く、醜い世界から―― 

 リクトだけは絶対に、絶対に助ける。絶対に汚させない――

 安心してリクト――

 僕が、絶対に君の光を守ってみせるから――



 二体の巨人が互いに争い、世界の行く末が崩壊へと傾いたのは、この二人のやりとりから僅か数日後のことであった――。


  

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